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2015/04/27

バックの話、あるいは信じること

(訳注: これは、演技コーチ・演出家のScott Rogers氏による 記事を、 氏の許可を得て翻訳したものである。 Scott Rogers氏はハワイとオレゴンで Scott Rogers Studiosを主宰し演技を教えるほか、 映画・TV撮影のオンセットでの演技コーチ、また時に地域の劇場で演出をしている。 本ブログの記事はCC-BYライセンスだが、翻訳部分についてはCC-BY-NC-NDとする。)


注意: 本記事は私のいつもの「演技のヒント」記事とはかなり毛色が違うものだ。 でも良いんだ。この記事には演技の深い真実が含まれているし、 私にとって個人的にも特別なものだから。あなたがどう思ったか聞かせてほしい。 また、良いと思ったらぜひシェアしてほしい。

ジョージ・『バック』・アシュフォードが私の演技のクラスに来たのは、2002年頃だった。 彼は当時、65くらいだったと思う。単なる推測だが。 彼はそれまで演技の経験はなく、演技を教わるのも生まれて初めてだった。 彼の本職は弁護士で、ホノルルで自分の事務所を構えて大いに成功していた。 彼と会っていて、思わず微笑んでしまったのを覚えている。彼が私に微笑んでいたからか、 それとも、彼の目の奥に、わんぱくな妖精のようないたずらっぽい光が見えたからかもしれない。 彼は、役者として映画に出てみたいんだと言った。

今になって演技を始めようと思ったのはどうしてだい、私は聞いた。 「本当のことを知りたい?」 「もちろん」 そこで彼は、肺癌を患っており、医者から余命4〜5年と言われたからだ、と教えてくれた。

何だって?

彼は健康そのものに見えたし、人生を本当に楽しんでいるようだったから。 もし私が医者にそんなふうに言われたら、世をはかなんで3年くらい無駄にしそうだ。

でもバックはそうじゃなかった。

どうして私のところに来たのか、聞いてみた。 彼は、医者からその診断を聞いてすぐに、人生で今までやりたかったけどやってこなかった ことのリストを作ったんだそうだ。そしてそれを順番にやり始めた。 項目の一つが、映画に出演するということだった。 そこで演技のコーチを探して私に行き当たったというのだ。 ちなみにこれは、映画『最高の人生の見つけ方』より数年前の話である。

バックが私の生徒だった8年近くの間、私は彼が「死刑宣告」について誰かに話したということを 聞いたことがない。私自身、彼がそれについて愚痴るのを一度も聞かなかった。

彼はこれまでに2〜3の舞台と、ひとつかふたつの短篇映画に出演した。

彼は演技のクラスではいつも私に議論を挑んできた。といっても彼自身の演技についてではない。 いつでも、他の人の演技について、私が否定的過ぎる、自分はあの演技はとても良かったと思う、 といった調子だった。彼は耳が遠くて、すぐに出血してしまう体質だったのだけれど、 身体を使うエクササイズではいつでも真っ先に参加して、誰よりも熱心だった。 彼は時々、おそろしく長い話をして、でも辛抱して最後まで聞いていれば大笑いさせてくれた。 芝居の後に盛大な打ち上げパーティをやってくれた。 私は毎日自分の生徒から学んでいるけれど、彼ほどに色々なことを教えてくれた生徒はいない。

だから何かって? 何でこんな話をしてるんだって? 演技に関係あるのかって?

うん、確かにあまり関係ないかもしれない。

でも、私は正直に言って、バックが法律ではなく演技の道を最初から志していたら 成功してたと思う。それも大成功。私は、彼に演技の技巧を教えそれを磨くのを助けたけれど、 彼はその前から、役にどっぷり浸かることができるという子供のような貴重な能力を持っていた。 想像上の状況をある程度まで信じるということ、 あるいはサンフォード・マイズナーの言葉を借りれば、 「与えられた仮想的な状況の元で誠実に生きる」ということだ。 彼はまた、65歳を越えていながら、他人の目を一切気にせず (役者には重要な素質だ)、 そして20代30代の生徒よりも台詞を覚えるのが速かった。

私のコーチングの経験では、ほとんどの役者は想像することに十分に重きを置かず、 台詞を覚えることに必要以上に気をとられすぎる。 演技における想像の重要性を示すために、彼が来て間もない頃の 演技クラスでの批評の様子を紹介しよう。

(注意をひとつ。バックは時々強い言葉を使うので、そういう言葉が(私は「率直な発言」と呼ぶが) 不快な方はここで読むのをやめて欲しい。彼の言葉を勝手に変える権利は私にはない。)

バックによる『招かれざる客』からのモノローグ

スコット: いいね。ダメ出しがひとつだけある。ただ、これは多くのことに影響を与えると思う。 まず、君の目的はなんだい。それを5語以下にまとめて言ってほしい。

バック: (少し考えて) やつらはクソッタレだ。俺は違う。

スコット:なるほどね、確かにそうかもしれない。でもそれは2つの事実であって、目的じゃない。 君は何が欲しいんだ、それが知りたい。それも、できれば君が話している相手に何を求めているか、 ということだ。

バック: 子供が結婚してからも、敬意を持って扱って欲しい。俺はそんな燃えカスじゃない。

スコット:よし。じゃあ3語でまとめると、「私は敬意が欲しい」

バック:そうだ。

スコット:じゃあ、それを得る障害になってるのは何だい? 何が邪魔している?

バック: やつらがクソだから。

スコット: じゃあ、彼らが君に敬意を払わない時に、どんな感じがする?

バック: クソにまみれた感じ。

スコット: 感情を聞いている。

バック:強い怒り。

スコット:そう、その通りだ。だけど君はシーン中で実際に強い怒りを感じてはいなかった、そうだね。 (彼は少し考え、微笑んでおずおずと首を振った。まるでクッキー瓶に手を突っ込んでいるところを 見つかった子供みたいに。) 感じていたらもっとずっとやりやすかったと思うよ。 心底、敬意を望んでいるのに、人々は君を軽んじる。そしたら何か感じるだろう。 この場合は強い怒りだ。目的を明確に、簡潔に言うことができないと、 シーンの中で君を突き動かすものを求めるのが難しくなるんだ。 君のやったシーンに唯一欠けていたものが、その突き動かす力だ。 でも次に見る時はきっとそれがあるだろう。

(クラスの参加者に向かって)モノローグの真ん中あたりで、彼が台詞を間違えたのに 気づいた人はいるかな。かなり大きな間違いだったんだけれど、彼はずっと話し続けたから、 どこで間違えたか言い当てるのは簡単じゃなかったと思う。 私はいつでも眼を見てるんだ。何か予想しないことが起きた時、まず眼に出るからね。 でもバックの眼にはそれが現れなかった。彼の演じているキャラクタ自身が、 次に何を言うべきか迷っている、そういうふうにしか見えなかった。 これが出来るようになるのに何年もかかる役者もいる。バックは自然に出来ちゃったけれどね。 でもこれが目指すべき目標だ。キャラクタとして反応し、シーンの中に留まる。 よくやった。バック。

後記

2007年、バックはポルトガルで小型船を購入し、ハワイまでの航海を始めた (「死ぬまでにやることリスト」の項目のひとつだ)。 しかしカナリア諸島近辺で転倒し怪我をした(容易に出血する体質だったと書いただろう。) なんとかアンティグアまで航海を続け、そこからフロリダの病院に運ばれた。 でも彼はそんなことでくじける男じゃなかった。ハワイ島で船に再会すると、 そこからホノルルまで航海してきた。

2010年にバックは亡くなった。医者から言われた余命の2倍近くを生きたことになる。 その間、彼は毎日仕事していたし、隔週くらいで私をランチに誘ってくれた。 亡くなる2日前に病院から電話してくれた時は、次はタヒチへの旅行を計画してるんだと話してくれた。

誰もが死ぬ。でも誰もが生きるわけじゃない。

バック・アシュフォードは生きた。


翻訳はここまで。

この記事は「演技のヒント」についてのブログの一部ということをもう一度強調しておく。 単なる「いい話」ではなく、もう少し具体的な話なのだ。つまり、人はいくつになっても 役者になれるってこと。

昨日まで、"The Waipahu Project" という舞台に出てたんだけど、最高齢のキャストは 89歳。車椅子での出演だった。

Tags: 芝居, 翻訳

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