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< 翻訳と理解 | Meisner intensive 2回目の6 >

2011/04/11

グラフ指向理解

昨日のエントリで取り上げたjmukさんに続き、kdmsnrさんも直訳からはじめるとか。

これはもちろん唯一の正解があるわけじゃなく、人それぞれ自分の脳内のプロセスを反映した手法を選んでいるということだと思うけれど、私は直訳はしない。

私の場合、原文を読んでわかった時点で、脳内にあるのは英語でも日本語でもない、概念とその関連からなるグラフだ。「表現する」段階では、そのグラフをどうやったら日本語で伝えられるかを考える。

直訳を書き下すにしても一度内部グラフ→日本語という変換をしなくちゃならないし、後で「自然な訳」にするのにもまた内部グラフ→日本語の変換をかけるから、二度手間になるだけなのだ。

この内部グラフは、どうも自然言語とは独立しているように感じる。英語にせよ日本語にせよ、ある言葉の指す意味対象というのには広がりがあるものだけど、脳内グラフのノードは単語の指す領域よりも小さい、特定の意味だ。例えばjoyという単語の指す心理状態には幅があり、喜びという単語の指す心理状態にも幅があって、両者の指す領域はずれているけれど、原文を理解した段階では「ある特定の心理状態」というもっと絞り込まれた意味になっている。で、なるべくその心理状態を特定できるような日本語を探してあてる。それは辞書的に対応する言葉であることもあるし、そうでないこともある。

技術文書ならともかく、脚本のせりふなどでは、本当に言いたいことと実際に出てくる言葉が違うことが普通なので、辞書的な対応が全く無い言葉になることもよくある (もちろんそこには訳者としての解釈が介在してしまう。自分が訳すのはあくまで自分が参加する芝居で数ヶ所、日系移民が喋る言葉とかそのくらいだからいいが、戯曲の翻訳というのは自分にはとても出来る気がしない。)

だもんで、単語や短い句を持ってこられて「○○って英語でどう言うの?」とか聞かれるのはものすごく苦手。コンテキストがないと脳内グラフが作れないのでうまくマッピングができない。

で、おもしろいなあと思ったのは、私はプログラムを考える時も頭の中にはグラフがあって、プログラムはそのグラフをテキストとしてダンプしたものになっている。WiLiKi:Lisp:S式の理由 で書いたけれど、だからプログラムを書くときにいちいち頭の中のグラフを翻訳しなければならないプログラミング言語よりも、グラフを生に近い形でダンプできるLispの方がずっと書きやすい。

でも非Lisperなプログラマに脳内グラフのことを話してみてもあまり賛同されないので、Lispを好むか好まないかの境目は案外そのへんにあるんじゃないかという仮説を持っているのだけれどどうだろう。

そしてまた、Haskellerの頭の中にはレゴブロックみたいのがたくさんあって、 それぞれに

    Γ, x:T1 ⊢ t2 : T2
 ------------------------
  Γ ⊢ λx:T1.t2 : T1 → T2

とか書いてあって、出っ張りと凹みの形がぴったり合わないと組み立てられないようになっているんだ。 きっとそうに違いない。とも思っているんだがどうだろう。

Tags: 翻訳, Programming, Lisp

Past comment(s)

jmuk (2011/04/12 11:43:36):

ちょっと誤解されたのかもしれません。翻訳という作業に不慣れなうちは、まずきちんと直訳することで文章の構造とかを把握する技術を磨いたほうがいいんじゃないだろうか、というのが私の言いたかったことで、私自身も逐語訳を作ったりしているわけではありません。もっとも、私自身は翻訳をするわけではありませんけれど。 もっとも、今見なおしてみたら、確かに誤解されても仕方ない書き方でしたね。

shiro (2011/04/12 12:46:05):

あっ誤解してました。

文章の構造については、私は「英文標準問題精講」にずいぶんお世話になった記憶が。確か修飾関係なんかをツリーで示すようなことをやってませんでしたっけ。それとも高校の英語の先生に習ったんだったかな? SVOCの基本要素がどれで、どこからどこまでが形容詞句/節や副詞句/節でそれぞれどの語にかかっているのか、代名詞は何を受けているのか、等を図示してゆくようなことです。

emeitch (2011/04/12 14:17:09):

概念認識とグラフ指向というのは凄く興味深いテーマですね。私もデータモデルなどはリレーショナルより、セマンティックWebのようなグラフ指向の方が人にとって自然な表現なんではないかなぁ、と思ったりすることがあります。

shiro (2011/04/12 19:13:33):

私もそう思いがちなんですが、きっと対象領域と、各人の考え方の性向とに依存するんだと思います。

前にOODBを使っていた時に、ユーザの多くはグラフよりテーブルで説明される方を好むということに気づきました。それは表形式のデータを見慣れた習慣によるものだと思っていましたが、もしかすると考え方のしくみ自体がいくつかあって人によって向き不向きがあるのかもしれません。

kazuya (2011/04/12 23:27:38):

bit誌でNECがPIVOTとかいう中間言語を用いた機械翻訳を研究しているという話を読んで、自分の理解の仕方と似ていて面白いなあと思った覚えがあります。25年ぐらい前の話ですが。

ちなみに私は素人Haskellerなんですが、まず作りたいものの骨組みがあって、それをライブラリや自分のコードで埋めていくようなイメージを持っています。

shiro (2011/04/13 01:59:06):

学部の時ちょっと音声認識の研究室にいたんですが、やっぱり意味ネットワークとかありましたね。20年前くらいです。でもこういう脳内知識表現はきちんと定式化しようとするとするりと逃げていってしまうようなイメージもあります。結局、「グラフのようなものがある気がしている」だけかもしれません。

Kei (2011/04/18 18:25:48):

日本語と英語だけ話してた時は割とマッピングがしっかりしてた気がしますが、3つ目をやり始めて音声に概念がくっつく感じになった気がします。 おかげでたまに日本語がでてこなかったり、理解してるのに日本語訳ができなかったりします。多分日本語の音声の紐付けないか弱いかのどっちかだとは思うのですか。

通りすがりですいません。

aka (2011/04/27 03:21:09):

私自身は、表現と意味のプロセス境界は曖昧な気がします。話言葉にしても書き言葉にしても自分が発した言葉(単語)から逐次フィードバックがかかり、文を作り進むなかで自分の中で意味も形成というか形式を与えることにより意味の存在が特定される感触があります。これは自然言語(日本語・英語)どちらについてもです。レトリックとコロケーションが比較的強い影響を与えているのかもしれません。

翻訳する場合、文から文に訳すというある種の直訳ではなく、意味を経由する感触はあります。しかしその経由するところの意味とは、量子が如く不確定であり、ある言語で文にするという観測による特定が再度なされる感触があります。shiroさんのはもっと論理的かつ構造的に意味を脳内構成している印象を受けました。 プログラミングは門外漢なので、プログラム言語にて類似性があるかどうかは自分にはわからず。 私も通りすがりですいません。

shiro (2011/04/27 07:46:28):

返事を書いていたら長くなったので別エントリにします。少々お待ちを。

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