Island Life

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2006/07/26

「ハッカーと画家」を訳していて、唯一ピンと来なかった章が "Why nerds are unpopular" だった。

自分は間違いなくNerdだったし、決してpopularではなかったが (たぶん変人と思われていたんじゃないかと思う)、 学校は居心地の悪い場所では無かった。いやむしろ、楽しかった。 なんてことを話したらPaulは 「じゃあ、米国の学校が特別おかしいのかもね」と言っていたのだが、 ネットでの感想を見る限り、日本でもあの章に共感を覚えている人は多いようだ。 「スクール・カースト」とか言うらしい。

私の通った学校が変だったのだろうか。確かに中学も高校ものんびり したところではあったが。思い返してみると、むしろカーストが あったとしても見えていなかったのかもしれない。 そもそもクラスというものに参加していた覚えがあまりない。 いつでも、何かしら取り掛かってるプロジェクトがあって、授業中も休み時間も そのことばかりやっていたような気がする (ずーっと論理表書いて回路図引いてたりとか)。 たとえそれがクラス絡みであったとしても(音楽祭でクラスの自由曲を編曲したりとか) それはやっぱり「プロジェクト」のひとつと思っていたんじゃないだろうか。

特に高校では大部分の時間を演劇部で過ごしていたから、たまに 劇部の活動が無くて教室で弁当を食べる時は一人で食べてたな。 あれ、俺、孤立してたのか? 大体そういう時も何かやりながら だったけれど。

自分(達)のやっていることが学校の中だけの価値基準で判断される ことに強く反発していたのは覚えている。「しょせん高校の部活動、 3年間楽しんで、卒業したら懐かしい想い出」、そういうのがすごく 嫌だった。未熟ではあっても、それが「大人」が本気でやるような 「本物の仕事」に連続的に接続しているものであって欲しかった。 高校生としての物差しではなく、プロの仕事と同じ物差しで見てほしいと 思っていた。それがどれだけ不遜な考えだったかはその後思い知る こととなるのだけれど、たとえそれを知っていたとしても、 「高校生としての評価、70点」よりは「実世界での評価、0.01点」 を望んでいただろうと思う。

でもPaulの理屈によれば、それこそがNerdの特質なのではないか。 特定集団内の相対的人気度ではなく、外にある問題を自分がどれだけ 解けるかという絶対的な尺度にこそ価値を見出す、っていう。

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結局、そうやってつるんでいた連中のうち幾人かは、本当にそれを 仕事にしてしまった。そうしなかった連中の人生も、多かれ少なかれ、 あの時やっていたことの何らかの延長にあるんじゃないかと思う。

仕事の質、あるいは技術という意味では、あの頃やっていたことは 本物の仕事には到底及ばない。本当にものを知らなかったし、 何をやっても下手糞だった。 けれど仕事に向かう姿勢は、何ら変わっていないように思う。