Island Life

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2007/07/16

時をかける少女

アニメ版。DVDになってこちらでもレンタルできるようになったんでようやく観た。 脚本も演出もやりたいことの筋が通ってて、丁寧に作られていて好感が持てたし楽しめた。 それほど感情移入は出来なかったけど---20代で見てたら違ったかもしれん。 まあそれだけ分別くさい大人になってしまったということだろう。今や、 登場人物よりも作り手の情熱の方に共感してしまう。

背景が美しい。教室と、校門脇の守衛所、それから中庭の屋根付き通路は東京女子大かな? スペシャルサンクスに出てたし。学生の時の劇団が東女・東大中心だったので よく東女のキャンパスで稽古をしてた。

で、やっぱり気になったのが、ネット上でも盛んに議論されている 例の記憶に関するinconsistencyだなぁ。 (一応、以降完全ネタバレ)

叙述トリックという説もあるんだけれど、そう解釈するには苦しいセリフが 2箇所ある(真琴の「だって、今、ここで…」と「ゼロになったはずなのに」)。 脚本は十分に練られたらしいから、 叙述トリックにするつもりならちゃんとそう出来ただろう。 敢えてそうしなかったのだから、これらのセリフは (脚本上のミスではなく)制作者側が意図したものだと考える。

さらに、リーパー以外の記憶が通常は巻戻されることもセリフではっきり述べている (千昭「今のお前は知らないだろうけど、功介とあの子、一回…」)。 (「実は千昭も全部覚えていたよ説」「千昭が真琴を道連れに跳んだ説」は このせりふと整合しない)。

この矛盾を解決するものとして「真琴勘違い説」とか「白昼夢説」とかがあるけれど、 一見矛盾するせりふが意図的に仕込まれたのなら、そこには制作者の明確な意思があるはずで、 これらの説はちょっと明確な意思としては弱い。制作者側に立つなら、 メカニズムはどうあれ、あの記憶だけは(通常のタイムリープのルールを超越する) 特別なものであったとしたかった、と考えるべきだろう。

脚本は他の部分でも余分な説明をギリギリまで刈り込んでるから、 ここでもメカニズムの説明が省略されたのは意図的だと思われる。 SFやミステリとしてはルール違反だろうけど、 メカニズムの説明よりもその記憶の重大さこそが制作者の 伝えたかったことなのだろう。

それでも納得できない人はターゲットオーディエンスではなかったということで。

Tag: 映画