Island Life

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2007/09/28

悪女とツンデレ

これ面白かった:西欧的悪女とキリスト教的な善悪の繋がり 悪女とツンデレの違い

西欧的悪女というのは、男の側に「悪」の影響を及ぼして男の運命(悪女が現れなければ善と して生きられる筈だった男の運命)を狂わして、破滅に誘う(例え、男が悪へ転向 することで生涯、物質的には成功しているように見えても、悪に堕落することは、 最後の審判があるキリスト教的価値観から見れば破滅以外の何ものでもない)、 男の運命を破滅させる女、ファム・ファタル(運命の女)としてあるんですよ。

日本にも悪女はいますが、この価値観(神の信仰による絶対的善悪と、悪=破滅 の価値観)が抜けているので、西欧では悪女とされるものも、「男を成功させれば、 別に悪女じゃないんじゃね?」みたいな感じで、悪女の概念が不確かになっている ところがありますね。日本では善悪の規範がはっきりとしてないので、悪女という概念 は捉えられにくいところがある。男を惑わせるのが悪女みたいな日本的通俗理解。

日本における上記のような西欧的悪女、というのでは斎藤憐の『クスコ』がすぐに 思い浮かんだ。といっても芝居を見たのははるか昔でストーリーもよく覚えていないんだけど、 目的のためにあらゆるものを利用しようとする藤原薬子を演じた吉田日出子と、 破滅へ向かうことを予感しながらも薬子との道を選ぶ小日向文世 (役名は忘れた) の 演技が忘れられない。

『クスコ』を見たときに「なんかシェークスピアみたいだなあ」と思ったんだけど、 たぶん斎藤憐は意識的に上のエントリのような西欧的な構図を日本の史劇に 持ち込もうとしたのではないかという気がする。もちろん薬子に唯一神に 基づく絶対善/悪という概念があったわけじゃないけど、定められた道を 外れるために悪を選ぶという点で、メフィストフェレスと取引したファウスト みたいな構図ではある。戯曲が手元にないからあまり分析できないけど。

逆に、シェークスピアの方に登場するツンデレといえば『から騒ぎ』のベアトリスだろう。 ベネディックとは会うたびに互いに悪口を浴びせあっているが、周囲の計略で 「ベネディックはあなたを好きなんだよ」と言い聞かされて心が動いて 恋文までしたためる。しかも計略が明らかになった後でも、 「あなたが可哀想だから結婚してあげるんだからねっ!」。 これをツンデレと言わずして何といおうか。

BEATRICE: I would not deny you, but by this good day,
I yield upon great persuation, and partly to save your life,
for I was told you were in a consumption (註: love sickness).

BENEDICK: Piece! I will stop your mouth. (They kiss)

[Much Ado About Nothing, Act 5. Sc. 4]

ベネディックも相当鈍い男で見てていらいらするのだがここの行動は称賛できる。

しかしラブコメの要素なんてここ数百年変わってないような気がするな。

Tag: 芝居