2007/11/11
プライド
理系の女の子が 一部で盛り上がっているがおじさんの出る幕でもないかとスルーするつもりでいた ところに弾さんが参入:
こういう幼少期の「プライド」が本物のプライドに化けるためには、一度「プライド」は徹底的に破壊される必要があるのかも知れない。私にとって、それが大学だった。
このエントリには大いに共感するのだけれど誰もがいきなりバークレーに 行けるわけでもないし、またこの話は元エントリの「東大理系女子」に限らず 大かれ少なかれスケールを変えていろんなところで見られる話なので (「初対面の人に大学名を聞かれて素直に答えられない東大生」、とかね) ちょっと書いてみよう。
弾さんが括弧を付けてる「プライド」は、昆虫や甲殻類の外骨格のようなもので、 特にまだ中身が未完成であるうちに外の世界から身を守るために重要な役割を果たす。 (子供時代のhigh achieverにはおそらく不可欠の要素だろう)。 ただ、やはり昆虫と同じように、中身が成長してきたらそれを脱ぎ捨てねばならない。 ちょうど学部生の頃はこの「プライド」の存在についてアンビバレントな感情を 持つ時期だろう。ずっと自分を支えててくれたものを手放したくない、けれども やりたいことをやるのに邪魔になっていることも感じる。
弾さんのようなショック療法で破壊してもいいんだけれど、問題は普段の日常の 中からいきなりそういう環境へと身を移す機会を誰もが持っているわけではないことだ。 また、やはり昆虫の脱皮と同じように、一度脱皮すれば本物のプライドが手に入るかというう とそんなことはなくて、脱皮してしばらくすると再び面の皮が突っ張ってくるものなのだ。 基本的に「プライド」は身を守る反応だから、何歳になろうとも、生き方が守りに 入れば自然についてきてしまう。(で、歳を食ってるほど「プライド」が破壊された時の ショックがでかいから、ますます守りに入るという悪循環があり得る。)
「プライド」を忌避したり隠したりするのではなく、 春になったらコートを脱ぐように、気軽に脱ぎ捨てるコツを身につけることが肝心だ。
それにはどうすればよいか。方法のひとつは、 モノを作り、それを衆目に晒し、批評に耳を傾けることだ。 あなたがあなた自身をどう思っているかにかかわらず、 あなたの作品は現在のあなたを残酷なまでにはっきりと表現する。 (その意味では 元エントリの gomi-boxさんは良いスタートを切った。ただし「自分語り」は最初の きっかけとしては良いけれど、二度は使えない。)
そうやって「自分が思っている自分」と「表現し得る自分」とのギャップを 何度も感じているうちに、奇妙な主客の転倒が起きる。
自分が作品を作るのではない。何か大きなものが、自分に作品を作らせていることに気づくのだ。
その大きなものに比べたら、「プライド」などはごく瑣末なものにすぎない。 瑣末であっても使える時はある。例えばしばらく表現することをさぼっていると 「プライド」の殻がくっついてくるが、 それは生き方が守りに入っているシグナルとして使える。攻めるばかりの人生も 疲れるので、守りに入ることは別に悪いことじゃない。 ただそれをわかってやっているかどうかは大きな違いになり得る。
(現役東大生の人には、手軽に使えるリトマス試験がある。 大学名を聞かれて、一切の照れもわだかまりも無く答え、 相手の反応を素直に受け取ってそこから自然に話を発展させてゆけるようになったら、 東大生という外骨格からの脱皮は完了だ。)
(追記2007/11/12 12:13:36 PST: 東大とかバークレーとか連呼してるから学歴ネタかと思われる かもしれないけれど、一般的な話をしているつもり。つい自分を属性で語ってしまい (「理系である」「女性である」「中卒である」etc)そうすることに こそばゆい自意識を覚えてしまう、もしくは逆に属性で語ることを意識的に避けてしまう 人にはすべて当てはまる; 別にそれが悪いというのではなくて、 もしそういうことに足を取られる感じがあるとしたら、どうすればいいかって話ね。)
Tag: 表現
sumii :
shiro (2007/11/15 17:44:30):
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