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2009/02/06

表現の訓練の場

レポートコピペ問題の問題

小中学生の読書感想文に、ネットのサイト「〜児童、そして生徒のための〜自由に使える読書感想文」からのコピペが増えており、中には市の読書感想文コンクールで上位に入ってしまったものまであって、先生たちが頭を抱えている‥‥というニュースを昨日やっていた。

なぜコピペじゃだめで自分の頭からひねり出さないとダメか、という点については 課題を出す側の目的によってそれぞれに論点が異なってくると思うが、 初等教育での読書感想文や作文については、自分の頭の中にあるもやもやを 「表現する」ということの訓練、という側面もわりと大きいのではないかと思う。 表現することが目的であれば、当然コピペは訓練にならないわけだけど、 「何でもいいから感じたことを書け」といきなり言われて困ってしまう子供の立場もよくわかる。

表現にはスキルが必要で、それは自分から表現してみることで伸びて行く。 もちろんちゃんとした指導も重要で、作文教育で体系的なスキルの教授が 行われてるかってとこにも問題はあるだろうけれど、別の側面として、 表現教育の場の問題もあるんじゃないか、という気がした。

どんな演技のワークショップでも稽古場でも、大前提となっていることがある。 それは、「基本的なルール(自分や他人に危害を及ぼさない、等)を守る限り、 そこで何を表現しようが許される」という安心感と一体感をその場に作ることだ。 出した表現はもちろん後から批評を受けるけれど (そうでないと改善できない)、 それはあくまでよりよい表現をするための建設的な意見であって、人格批判ではない、 ということをすっと信じられるだけの空気が必要だ。 これはあまりに当然のことで、わざわざ言わないインストラクターやディレクターも 多いけれど、演技にかかわる者の間ではほとんど常識に属する話だと思う。

役者という、人前で表現をすることを自ら選択した者にとってさえ、 表現することはとても怖いことなのだ。 少しでも萎縮するような要因があると、灯りかけた表現の種火はすぐに消えてしまう。 種火が、少々の風では消えないくらい力強い炎になるまでは、 慎重に守ってやる必要があるのだ。 参加者全員がその恐れを乗り越えることが出来てはじめて、 表現について取り扱う準備が整ったことになる。

プロの役者でさえそうなんだから、学校の生徒ならなおのこと、 表現をしようとする最初の段階での安心感がとてつもなく重要なのではないか。

  • 最低限のルール (人格攻撃をしない、とか) を守っていればどんな表現も許される、
  • 表現したものに対する評価は、表現そのものの良し悪し (感じたことをどれだけうまく 表現できたか)についてのものであって、感じたことそのものについての評価ではない。

ということがはっきりしていれば、生徒もずいぶん楽だと思うのだ。 もっとも小学生にこういうルールを(頭ではなく、体感として)わかってもらうのは 相当難しそうだ。高校生くらいなら何とかなるかもしれないなあ。

Tags: 表現, 芝居