Island Life

< ピアノレッスン11回目 | 因果律を否定するバグ >

2011/08/25

点と点とナード

ちょっと新鮮だった。

chibicode - 点と点がつながると信じてたバカへ。元アップルのインターンが、ジョブズ引退の日に思ったこと。

ジョブスの「将来、点と点がつながることを信じよ」のスピーチに感化されて、つなげるための点を置くためにいろいろ手を出したけれど、そんなに無理することなかったんだ、どう置こうがつながる点はつながるんだし、というような話が出てくる。そこでほほうと思った。

ジョブスの本意がどうかはわからないけれど、私はあのスピーチをナードに向けたメッセージと読んでいた。つまり、世間的な常識や評価、あるいは自分の将来の得失とかを考えると、どうもこういうことをやってて良いのか不安になるんだけれど、でもどうしても今これをやらずにはおれないんだ、という人に対して、「今それをやっておくことは将来必ず何かにつながるから、心配せずに好きなだけ入れ込みなさい」と言っているのかと。

だから、つなげるための点を置こうとする、という発想自体が新鮮に感じたわけ。

別にそれが悪いことってわけじゃなくて、ただ違うなあと。

Paul Grahamのエッセイなんかも、私感ではかなりナード向けに特化したメッセージが多いと思う。感想を見ていると、その対象にspot onした人とそうでない人で反応が違うなあと思うこともあるけれど、どちらが正解というわけでもない。それに、大事なのは言葉そのものではなく、それを聞いた人がどういう行動を起こすかってことだしね。

★ ★ ★

(追記2011/08/27 00:48:13 UTC): 以前書いた、関連するようなしないような話。

ハック

あくまで個人的な印象だけど、Paul Grahamのメッセージは実は非常に限られた種類の人間をターゲットにしてて、そこにメッセージを届けるためならそれ以外の人々に誤解されても構わないと割り切ってるふしがある。だから、彼の書いたものを読んでそれは自分向けではない、あるいはみんながみんなそう考えたら困るじゃないか、と思ったとしても、それは正しい。もともと万人に向けて書かれているわけじゃないから。 (ただ、ある人が対象でないということは、その人が「ふるい落とされている」ということにはならない。単に対象でないっていうだけ。)

そうやってブロードキャストしたメッセージが埋没している潜在的なハッカーに届いて、そのハッカーの背中を押すことができれば、社会が結果的に(ハッカー以外の人にとっても)より良い場所になると彼は思ってるのでは。

2005/01/25

たぶんあの頃の年代は、上の世代からハッパをかけられると、それが正しくても何か素直に従いたくないものがあるんだと思う。自分でやりたいから、先回りされてやることを言われるのが面白くないのだ。背中を押されるよりも、それで良い、という確認の方が素直に受け取れるんだろう。 (「あまり苦労をかけさせるなよ」と笑いながら、「やりたいならおやんなさい」と言ってくれた劇部の顧問の先生を思い出す。)

Tags: Career, PaulGraham

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