2012/11/08
問いと答え
「解くべき問題」を的確に表現し得たなら「問題を解くための作業」の過半数は終了しているというようになることも多いような気がします
本当のところ、「答える」ためには「的確な問い」を描くということが必要十分条件なのではないか、と思います。だから、「問題を出されたら、答えることができる能力」なんて(その問題が作り出された段階で、すでに問題は解かれているのですから)実は無意味だ…と感じることも多いのです。
必要なのは「問い・問題」を手にするための力で、「答えられる(だけの)力」ではないだろう…と思うことが多くなりました。
良い問題というのは、それに答えを出すことで、 多くの新しい問題への扉を開くような問題じゃないかなと思う。
単に疑問が増えるっていうことじゃなくて。
ああ登ってみたいなあと思うような山がある。その山が問題。実際に登ってみるのが答え。 で、登ってみたら景色もいいし気持ちいいんだけど、その先にまた素敵な山がいくつも 見えてきて、わあこんどはどの山に登ろうか、と思えるようなのが、結果的に良い質問かなと。
出された問題に答えるというのは、「その先の素敵な問題」を見つけるために必要な基礎訓練と 考えれば意味があるかなと思う。また、自分で問題を作ってみるというのも、 「こっちの方向に言ってみたい」という霧の中に、明確に登るべきピークを 見出すという意味で良い訓練になる。
でもどちらも、どんどん先へ進んでゆく問いと答えの連鎖を旅するのが目的だと わかってると、より楽しいんじゃないかと思う。
Tag: ものつくり
ヨシア機 (2012/11/08 14:35:25):
shiro (2012/11/08 19:01:24):
aka (2012/11/09 01:13:21):
shiro (2012/11/09 01:52:28):
aka (2012/11/10 13:20:10):