Island Life

< プログラマとGnuCashと複式簿記 | ピアノレッスン79回目 >

2013/01/20

苦労と値段

メルマガ本文を読まずにここだけに反応するのはまずいかも知れないけど:

Life is beautiful: 今週の週刊 Life is Beautiful:1月22日号

「オープンソース」というムーブメントには、Microsoft 時代から注目して来ました。「なぜ苦労して作ったソフトウェアを無料で公開するのか」という部分に関して、かなり理解できるようになったとは言え、未だに抵抗があります...

なぜ「なぜ苦労して作ったソフトウェアを無料で公開するのか」という疑問が出るのだろう。正確に言えば、なぜ苦労と価格をリンクさせるんだろう。

価格は需要と供給で決まるんで、「どれだけ苦労して作ったか」は本質的に価格を決めるパラメータじゃないし、リンクさせる必要もないよね。ビジネス的には「なるべく少ない苦労で高く売れる」のがいいわけだし。

もちろん喰ってくためにソフトを作っているという前提なら、投入する労力が利益に見合わないと持続できないので、「苦労に見合う価格」が供給側の価格の下限になる。そして供給側に複数の競争相手がいる買い手市場なら市場価格はその下限まで下がるので、結果的に労力の量と価格が釣り合うことになるわけだけれど。それはいくつもの前提のもとでの結果にすぎないし、たとえこの前提のもとだって、「これだけ苦労したからこの値段で」は理屈が逆で、「この値段で売れるからここまで労力をかけられる」という話になるはずだ。「こんだけ苦労したんだからこの値段で」っていうのは、価格が常に原価で決まるという思い込みに通じる気がする。

現実には上の前提が成り立たない場面っていくらでもあるわけで。喰ってく手段が別にあるなら、たとえ見返りを求めるにせよそれが金銭である必要は全くないわけだ。自分のまわりを見回しても、全然金にならないことに膨大な労力を注いでる人はたくさんいる。むしろ「なぜ有料にするのか」=「なぜ見返りが金銭でなくてはいけないのか」に自覚的であるべきじゃないかなあ。(有料にしたらダメとか無料が偉いとか言ってるわけじゃないよ。金を取るのは「喰ってゆくため」とか「買い手にそれだけの価値を提供するから」とか「サポートに対応するためのリソースが必要」とか「金という形で評価を得たい」とかいろいろあるはずで、自覚的であれば価格の説得力も増すはず。「苦労したから金を取って当然」っていうのは短絡的なんじゃないかな、って話)。

(追記2013/01/24 10:39:40 UTC): 立場によって受け取り方がいろいろあるようだけど、プログラミングの仕事と役者の仕事を両方やってる身からすれば、広い意味で労力と報酬は結びついてないってのは経験的真実ですな。例えば報酬が一般的に「CM > 映画 > 舞台」なのに費やされる時間は「舞台 > 映画 > CM」だったりするし。まあ個々のケースはいろいろだけど。 なんつうか、確かにお金というのは為される仕事の指標なんだけど、あんまりきちきちに結びつけちゃうと世知辛いと思うんだよね。お金は、あるところから頂けばよい というユルさが多少ある社会の方がうまく回るんじゃないかな。「あるところから取らなければならない=金持ち許すまじ」となってしまうとそれはそれでまた硬直するんだけど。

Tags: 生活, 仕事

Post a comment

Name: