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2013/03/16

在宅勤務と出勤

私のプログラミングの仕事は、ほとんどのクライアントが日本か米国本土なので 必然的にリモート(在宅)での仕事となる。 自分としては在宅勤務は都合が良いし(通勤時間をカットできる、というのは本当に大きい)、 デメリットも感じない。 けれど、どんな仕事も在宅でok、というわけじゃないのも承知している。

在宅でもokな仕事と、そうでない仕事を分けるものはなんだろうか。

在宅のデメリットとして、「対面でないと伝わらないことがある」という議論を良く見る。 もちろん物理的に空間を共有することで伝えられる非言語情報というのは大きい (それは舞台役者として日々実感してるわけで)。 けれど、客を相手にする場合とかならともかく、 仕事上のコミュニケーションを非言語情報に頼っているとしたら、 少々、いやむしろ非常にまずいんでないかと思う。

例えばミーティングなども、必要な事項を伝達したり、 自分の主張を明確に伝えたり、まともな議論をしたいならば、 情報はかなり言語(+話し方)にエンコードされているはずで、 それならリモートでのカンファレンスコールやビデオ会議で十分だ。 むしろ、「カンファレンスコール+オンラインでの資料共有や共同編集」で成立するか どうかは、有用なミーティングかどうかの判断に使えるのではないか。 それで成立しないようなら、そのミーティングは多分時間の無駄。

でもやっぱり、空間を共有しないとどうにも動かないなあ、ということはある。 それは何だろう。

最近は、あと10日ほどで初日を迎える芝居『All That Remains』のリハーサルに 入っているのだけれど、それにヒントがあるような気がした。

『All That Remains』のリハーサルは月〜金の18:00〜22:00でやっている。 (本番直前の週だけはtech rehearsalが入るから土日も埋まるけど)。

リハーサルというのは単なる練習ではなく、参加者全員による共同創作だ。 やってみる、感じる、アイディアが出る、それを試す、さらに感じる、そのサイクルを高速で回す。 これを4時間やるとくたくたになるけれど、 その間は自分の創造回路がブーストされていると感じる。 これこそ、空間を共有しないとできないことの典型例だ。

この時間を有用なものにするためには、この4時間とは別に、一人で考える時間が必要だ。 リハーサル後に、その日稽古場で起きたことを頭の中で整理する。 日中の生活のでも頭のバックグラウンドプロセスで芝居の分析を回しておく。 ああそういうことだったのか、と昼間に突然わかることもあるし、 今日のリハではこれをやってみよう、っていうアイディアが出てくることもある。 その準備がないと、リハーサルの時間を有効に使えない。

このサイクルは、何かを作る仕事なら共通するところが多いんじゃないかと思う。 「わーっと作って壊して具合を見る」ための、 共有する時間は必要だ。けれどもその時間を有効利用するための準備として、 他人に邪魔されない、一人での時間も必要だ。

毎日8時間、創造回路のブースト状態になるのは、短期間ならともかく、継続するのは よっぽど特殊な人でない限りは無理なんじゃないかと思う。せいぜい6時間、 ウォームアップを各自済ませて共同創作モードに入れるなら1日4時間で良いんじゃないか。 そして、一人でやる準備時間は他人との空間共有はむしろ邪魔であって、 本人が最も集中できるところでやるべきだろう。自宅であれ、ドアのあるオフィス部屋であれ。 それなら1日4時間出勤すれば良いことになる。 あるいは1日置きに一人モードと共同モードをスイッチするのもいけるかもしれない。 それなら通勤時間も減らせるし。

在宅が良いか、出勤が良いか、という選択ではなく、それをうまくブレンドすると 生産性が最大化できるかもしれない。

Tags: 仕事, 芝居

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