2014/07/20
誠実さ
プログラミング教育における「ふたこぶラクダ」の話はプログラマ界隈では有名だろう。 2006年の論文で、 プログラミングの入門教育をすると、好成績グループと 低成績グループの二つの山に分かれる、そして好成績をおさめられるかどうかは、 生徒があらかじめ「一貫したメンタルモデル」を持っているかどうかでだいたい決まる--- つまり、メンタルモデルを持ってない生徒にはいくら教えても無駄になる可能性が高い--- という話 (少なくとも、そう受け取られた話)だ。
Coding Horrorで取り上げられたのがポピュラーになった一因かな。
わかりやすいサマリ
その当の論文の著者から、「あれは言い過ぎでした。取り消します。」という記事が出された。
元論文にあるテストを行ってかような結果が得られたのは事実で、 しかもその実験自体には再現性がある。しかし、その実験事実からだけでは、 「一貫したメンタルモデルを持ってる生徒がプログラミングをマスターしやすく、 そうでない生徒は落ちこぼれやすい」ということは言えない、ということだそうだ。
科学的事実というのは、直接目に見えないことが多い。見て分かるものがすべてなら 手品師は皆本物の魔術師だ。人間の目や体験は事実を正しく捉えられないからこそ、 様々な測定をして客観的な指標を得ようとする。けれども、その実験が 本当に欲しいものを測っているのかどうかを判断するのは難しい。
実験は、目隠しして対象物に触ってるようなものだ。触って、何らかの感触が得られたなら、 そういう感触が得られたというのは事実だ。でも触っているものが本当に触りたかったものなのか、 それは別に証明しないとならない。 「触っているものが違うものだったとしたら、どういう可能性があるか」 「直接触ってるつもりで間に何か別のものが挟まってるとしたら、どういう可能性があるか」 といったことを思いつく限り列挙して、それらの可能性を排除するような実験を組む。 それでも、全ての可能性を網羅することはできない。ただ、そうやって慎重に実験を 重ねることで、徐々に元の仮説の蓋然性が高まってゆくだけだ。
元論文の実験は、何かの事実を指している可能性がある。けれども ふたこぶラクダ現象自体は別の説明が可能で、 また使われたテストが本当に見ていたのは何かもはっきりとはわからない。 科学的に誠実な態度は、「まだわからない」ということになる。
上のretractionの記事は、少々読んでて苦しくなるのだけれど、 誠実さというのが伝わってくる文章だった。
Tags: Programming, Science
seiki (2014/08/04 16:38:28):
shiro (2014/08/04 20:23:36):
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