2018/01/06
"Chains"と差別の構造
しばらく前に、子供が学校の読書課題でLaurie Halse Andersonの"Chains"という 本を借りてきたのだがこれがとても面白かった。
1776年、アメリカ独立戦争直前から、独立宣言を挟んで英国軍の反撃、 独立軍の再反撃までのニューヨークが主要な舞台。 主人公は13歳の黒人の少女で、奴隷の立場から見た白人間の争い、という視点がまず興味深い。 そして彼女が圧倒的な逆境にめげず自由を求めて道を切り開いてゆく冒険もの的な ストーリーも読ませる。
その逆境のポイントとなるのが、構造的な差別だ。
差別というのは、誰かが憎しみや蔑みを持って他の誰かを扱うことではない。 それは差別の表面的な症状のひとつにすぎない。 差別の本体は、「常識」や「規則」、「既得権益」あるいは「無知」という形で社会の中に深く埋め込まれている。 善意の人であってもその構造に抗うのは難しい。だが抗わないことが差別構造を温存させ、 ヘイトや不公正をのさばらせる土壌を作る。
(以下、"Chains"の内容に触れるので、ネタバレなしで読みたい方はここでストップ!)
* * *
主人公Isabelの両親は騙されてアメリカ大陸のコロニーに連れてこられ、奴隷にさせられる。 Isabelと妹は生まれながらに奴隷だった。早くに父も母も亡くすが、 その頃仕えていた老婦人が親切な人で、Isabelに読み書きを教え、 「Isabelと妹を自由にする」という遺言状も残す。 (所有者の許可があれば奴隷は自由人になることができた)。
しかし老婦人が亡くなった後、甥にあたる男が現れて後始末を急がせ、遺言状の件がうやむやになる。 Isabelは男や牧師に訴えるが、取り合ってもらえない。 遺言状を読んだ、と言っても、そもそも読めるということを信じてもらえない。 二人は男に連れられ、 奴隷としてニューヨークに屋敷を持つ英国忠誠派(Loyalist)の夫妻に売り飛ばされる。
この新しい主人の妻Ruthがわかりやすい悪役でIsabelにひどく当たるわけなんだけど、 Isabelの前に障害として立ちふさがるのはこの女主人ではないのだ。
例えば主人の叔母にあたるLady Seymourという人がいる。 上流階級だけど優しい人で奴隷にも親切。事故があって伏せってしまうんだけど、 その後でIsabelに「あなたを買い取ろうと思っていたのよ。 うちに置いておけばRuthが手を出せないからと思って」と漏らす。
そこでIsabelはショックを受けるんだな。
「なぜ、自由にすると言ってくれないのか」
あるいは、妹と引き離された時に、ちょっと関わりがあった独立派の軍の司令官に直訴にゆくのだけれど、 そこに女主人Ruthも現れて、司令官は忠誠派の大物の妻との対立を避け、 Isabelの言い分は聞き届けられない。
英国軍が勢力を盛り返してマンハッタンに上陸して来る時に、 「忠誠派に協力した奴隷は自由になれる」という噂を聞いてIsabelは上陸部隊の元に走る。 けれどもIsabelの主人が忠誠派と聞いて、部隊長はIsabelの境遇に同情しつつも、 「忠誠派の財産権を侵害することはできない。法を守らなければ秩序は維持できない。 自由になれるのは反乱分子である独立派の主人に所有されていた奴隷だけだ。」と言う。
つまり、Ruth以外の白人は概ね善良で、法に忠実で、自分の理想のために動ける人なんだけれど、 「奴隷は主人の所有物」という観念から離れられないため、Isabelの道を塞いでしまう。
Isabelはトマス・ペインの『Common Sense』を手に入れこっそり読む。 自由と人の権利を説く同書は独立派の理論的支柱となった。 けれどもIsabelは思うのだ。独立派に自由を求める権利があるなら、 奴隷にもその権利があるはずではないか。
誰の助けも得られないと絶望の淵に立った時、Isabelは自分で自分を救う大胆な行動に出る。
* * *
Lady Seymourの「私が買い取って手元に置いておけばひどい目にあわないで済む」という言葉は 善意から出たものだし、状況を少しでも改善するという点では確かに有益なアクションだ。 けれどもその考えに囚われている限り、つまり「自由にする」という 発想が出てこない限り、差別構造は温存される。
冒頭に出てきた牧師も、奴隷には親切な人だった。けれども 「奴隷が読み書きを覚えることは社会秩序を乱す」と考えていた。
Isabelの境遇に同情しつつ、 差別構造という大きな「仕組み」に従わねばならないと考える善良な人々。
Ruthのような悪役がいなくなれば差別は無くなるのか。 いや、構造が温存される限り、Ruthのような人々は自然に現れてしまう。 わかりやすい差別主義者は原因ではなく、結果なのだ。
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