Island Life

2013/12/28

こういうのはおもしろい (差別についての続き)

人工知能学会の表紙の件について最尤推定とMAP推定したらがっかりした

抽象化でもこうやって定式化すると議論の土台になって良いですな。

フレームワークについては異議なし。議論すべきは点はふたつ。

  • この記事で論じられているように、前提条件を変えると結論が変わる。 前提条件の見積りをどうするか
  • 批判をするというのことの意味

まず前提条件について

パラメータの名前を「蔑視」にしていて、これはまあ議論の発端でそういう 言葉遣いがあったから仕方ないんだけど、差別のフレームワークを 論じる時にはちとまずい言葉である。「蔑視する」という行為には ネガティブな印象を持つ人が多いだろう。したがって人はかなり積極的な 理由が無ければ「私は××を蔑視している」と自認することはない。

差別の問題はそれが無意識で起きることで、つまり 「○○が××するのは常識だろ」「普通○○は××だよね」という、 あまりに当然すぎて普段思いつきもしないくらいの認識が根っこにある。 これは被差別側にもあてはまる。「予断でもって不利益を被っている」こと自体を 認識していなかったり、むしろそれを良いことと認識することさえある (極端なのが「奴隷の鎖自慢」というやつ)。

なので、上のエントリにあるように「女性なら<<女性差別的視点>>を持つ割合はかなり低いだろう」 というような見積りは自明ではない。

無意識の予断について興味があれば、例えば次のテストをやってみて欲しい。 自分が意識していない関連付けについて気づかせてくれるかもしれない。 トップページは英語だけど、"Project implicit social attitudes"で 日本語を選択すれば日本語のテストができる。登録する必要はない。 ただ、日本語だとテストの種類が少ないな… 英語だと今回の話題に関連する「ジェンダーとキャリア」のテストがあるんだけど。 ちなみに私は「男性とキャリア、女性と家庭を結びつける傾向がかなり強い」と出た。 やってみれば分かるが、考えて結果を操作できるようなものではない。 頭では対等と思ってても、身体は正直だな、ってやつだね。

私は、上のエントリ著者が「ありえない仮定」と言っている、平均70%くらいの人に バイアスが有る、くらいの方がむしろ現実を反映してると思う。 むしろもっと高いと思う。

何か統計情報があれば教えて欲しいけれど、実際の数字はどこまでを意味有るバイアスと 見なすかで変わってくるので、数字自体に絶対的な意味を持たせるのはまずい。それは 次のトピックと係わってくる。

なぜ批判が出るのか

とても重要な前提は、 差別についての批判は特定の人や行為の「善悪」を決めるものではないということ。

批判されて「○○したら悪いのかよ」という反応が見られるけど、いえ、悪くないです。 法律に触れていないなら、○○することは自由であります。

ポイントはそこではない。

差別問題というのは簡単に言えばこういうことである:

  • 「誰それは○○だから××だろう」という予断でもって、 ある集団が、その予断を受けない他の人々に比べ社会的に不利益を被ること

ここで○○は大きなグルーピング(性別とか、国籍とか、民族とか、年齢とか)で、 ××であるかどうかには他の要素の方が大きく影響するにもかかわらず、 それら他の要素を考慮することなく「○○だから××」と判断される場合を対象としている。

また、個々人の感情や判断は基本的にそれぞれの自由なので、 例えば個人商店のオーナーが「俺の親は××人にひどい目に遭わされたから ××人はお断りでぇ」とするのも自由ではある。それをひどいと思う人は 行かなければいいだけだから。もちろん批判するのも自由であるが、 その批判を受け入れるかどうかもまたオーナーの自由だ。

しかし、その観念が社会的にある程度遍在している時、 たとえばある地方でどの店も「××人お断り」となっている、という状況になると、 ××人は困ってしまう。

これは構造の問題だから、その構造を少しでも改善していきましょう、というのが 差別問題への対応なわけ。

誰か特定の人を断罪するものでもないし、 また誰か特定の人が「差別されて傷ついた!」と言ってるのに同情することでもない。

「これは女性蔑視だ!」という命題の真偽を決めるのは問題ではなくて、 現に生じている性役割の固定化による不利益を減らすのに何かできないか 考えようや、っていうのが出発点なわけだよ。

人間なんだから、何らかの予断を持って判断すること自体は避けがたいし、 予断を持つことが「悪いこと」ではない。

でも、気づいてない構造によって誰かが困ってるとして、「ああそうなのか、 じゃあ気をつけるよ」でそれが軽減されるなら、そうしない理由は無いんでないの?

もちろんその指摘が当たってないものであれば、「あなたの指摘は一般的には もっともだけど、今回のこの表現はちゃんと理由があってこうしてるんでこれで通すよ」 とか「あなたの論はちと極端すぎて、本来の目的にとって逆効果だよ」とかいうのもあり。

賛成でも反対でも、「不利益を生じる構造を減らす」という目的を忘れないように 議論するのが建設的だろう、ってことっすよ。

Tags: 生活, 社会

2013/12/27

サベツダー

人工知能学会誌の新しい表紙について、性差別の観点から批判が出てるという話について。

もう大人の対応である公式コメントが出ているので、 話としては収束してると思うんだけど:

人工知能学会誌の表紙、女性イラストレーターが描いていた

こうしたネット上の反応について、編集委員長の松尾准教授は、次のように話した。

「ネット上で広く議論をしていただくのは有り難いと思っています。学会としては、女性を差別したり蔑視する意図はありません。ただ、そういう意見もあるときちんと受け止めて、今後の表紙デザインを考える上で参考にしていきたいと思っています」

自分は最初の批判を見た時に性役割の文脈で順当な(想定される)批判だなあと思ったんだけど、 批判への反論やそのまた反論を見てると色んなレイヤでの議論が入り乱れてて カオスになってた。

まあどのレイヤで議論するかは自由なんだけれど(感情に感情で返すとかも)、 差別の文脈を踏まえてない意見はどうも的外れに見えてしまう。 わざと文脈を外して茶化してるようにも見えない意見も多くて、 基本的な「議論の枠組み」に結構隔たりがあるんじゃないかと感じた。

自然科学系とか工学系にいると、相対化して抽象する、という操作を良くやる。 「○○が××しているのを描くのは○○差別だ」という命題を見たら、○○や××を変数にして 色々なものを当てはめて不変条件を見つけるとか。 なので、「じゃあ描かれてるのが男だったら男性差別になるの?」といった反応になる。 また、表現者と表現内容を切り離して議論する、という習慣もある。 誰が言ったかではなく、あくまで言われた内容のみを材料として考える。 なので「この表現がダメなら△△にあるあの表現はどうなんだ」という例を持ち出したくなる。

差別といった社会的な問題は対照的に、「誰が」「何について」「どこで」「いつ」表現したか、 という文脈が極めて重要になる。

今回の話では、女性型を描くか男性型を描くか、は対称な話ではない。 なぜなら背景にある歴史やステレオタイプが非対称だから。 なので、描かれるものを入れ替えたらどうなのよ、とする議論は的外れ。 入れ替えたいなら文脈ごと置換可能なものを持ってこないとならないけど、 それはなかなか難しい。

これが学会誌というそれなりに公共性が高い(少なくとも、 学会はどこも性役割について中立であるべきコミュニティとされてると思う)ところに 出てるってのも重要で、 中立性を要求されないコミュニティがやるぶんには全く問題ではないし、 個人的な見解や嗜好を表明することとも別の話である。 (なので、これは表現の自由とは直交する話。ここ重要。 (追記2013/12/31 01:43:57 UTC)完全に独立でないので「直交」は不適切。言いたかったのは、今回の文脈上での表現の是非を議論することは、文脈を外した一般的な表現規制の是非の議論につながらない、ということ。コメント欄の議論参照。) 誰が言ったかが問題の重要な一部なので、「そう言うお前も差別してるだろ」という反論はやっぱり 的外れ。主語は入れ替え可能な変数ではないのだ。

という前提を踏まえて、自分なりにこの手の批判の論理をまとめるとこうなる。

  • ある固定観念 (それが現状の追認である場合も多い) があって、 それによって不利益を被っている集団がある。できれば不利益を減らしたい。
  • 既に固定化されている役割を無批判に描くことは、 多かれ少なかれ固定化の強化につながる。
  • その表現に必要性があるなら (例えば映画や小説などの表現で、現状をありのまま描写する必要がある場合) いいんだけど、選択の余地がある公共性の高い場所で、 わざわざ固定観念の強化につながる表現を選ばれるのは、困るのだ。

批判に対して反論するにしても、このロジックを押さえた上での議論じゃないと 話がすれ違っちゃう。 批判の目的は不利益の解消にあり、表現そのもの是非は二次的である、 というのもポイントで、不利益の解消を忘れて表現の是非だけ論じても意味がない。 (このロジックはまた、根拠ある批判なのか単なるヒステリックな表現刈りなのかを 判定するのにも使える。) 論点は、「そういう固定観念はあるのか」「どういう不利益があるのか」 「表現の必要性は」「公共性は」あたりになるだろう。

まあ、とはいっても固定観念というのは自分で気づけないから固定観念なんであって、 うっかりそれを言っちゃって批判を受けたら、「気づきませんでした、これから気をつけます」 っていうのが順当な対応で、人工知能学会はまさしくその通りの対応をしたわけで、 問題としてはもう収束してる。

自分としては、文脈を切り離す訓練を受けている人と文脈を重視する訓練を受けている人の すれちがいが際立つなあ、と思った事例だったので記しておく次第。

(追記2013/12/29 01:13:31 UTC)続き→こういうのはおもしろい

Tags: 生活, 社会

2013/12/26

10年

米国に来て、やっぱり芝居がやりたくなって演技のクラスをとりはじめ、 初めてオーディションを受けたのが2003年10月だったので、気がつけば 10年経ったことになる。役者で喰ってくのは無理だけれど、 副業として細々と「毎年、芝居か映像(映画, TV作品)の どちらか1本できたらいいな」と思ってやってきた。今年は芝居("All That Remains", KKT)と メジャーTV("Hawaii Five-0")に出られたのでかなり充実していたことになる (映画"Under the Blood Red Sun"も決まってるけど、撮影は来月に延びた)。

なんとなく、これまでやったプロジェクト(と、オーディションに落ちたプロジェクト) をグラフにしてみた。報酬が出る仕事も 大学の映画学科の学生映画もごっちゃにしてるので実績としての意味はあまりないけれど、 自分の挑戦の記録としては多少の意味があるかも。

[image]

年毎のばらつきがありすぎるけど、何となく上昇傾向ではあるので こんな調子でゆるゆるやって行けたら良いな。

Tag: 芝居

2013/12/24

無限多倍長整数の右シフト

Bignumには右論理シフトが無い、という記事

オーバーフローとシフト演算

おそらく、Javaの場合は最上位bitが符号bitになるんで、シフト対象がわかりますが、Rubyの場合は最上位bitがわかりません。 たぶん型という概念がないんで、最上位bitが32bit目なのか、64bit目なのがわからないんでしょう。

Javaのコードを移植する場合は右論理シフトも要注意です。

論理シフトが無いというより、区別の意味が無いと言った方がいいかなあ。

有限桁数で考えると「最上位bitの扱いの違い」が目につくんだけれど、 無限多倍長整数(2の補数表現)の場合、左には無限にビットが続いていると考える。 正の数なら0が、負の数なら1が無限に続いている。

  5  : ....0000101
 -5  : ....1111011

右シフトする時は単にそのいくらでも続いてるところから0や1が供給 されるだけなんで、算術とか論理とかの区別を持ち込む余地がないのだ。

与える数を有限の範囲でぶった切ってやれば、論理シフトの振る舞いが得られる。

  (define |2^32-1| (- (expt 2 32) 1))
  
  (ash -10 -1)  => -5                          ; -10 >> 1
  (ash (logand -10 |2^32-1|) -1) => 2147483643 ; -10 >>> 1

「左に無限に続いている」という振る舞いは、各種ビット演算で 確かめられる。

  (logbit? 100 -1) => #t  ; -1の100ビット目は1

なお、上の記事中のinteger overflowについては、0を中心としたmoduloが あれば一発である。R6RSのmod0がそのものずばり。

  (mod0 (+ 2147483647 1) (expt 2 32)) => -2147483648

Tag: Programming

2013/12/21

ちょい役 = Co-Star

昨夜放映された "Hawaii Five-0" のシーズン4エピソード11 "Pukana" にちょっとだけ出演した。 ちなみに今まで3回オーディションで落ちてて、これが4度目の挑戦であった。 Casting directorの人に「やっとだね、良かったわね」と喜ばれてしまった。

[image]

脚本のページが色とりどりなのは、差し替えがある度に違う色のページが配られるから。 差し替えは頻繁に起きるので、写真のようにピンで簡単に止めてあるだけ。 撮影当日には、その日のスケジュールとその日に撮影する脚本の該当部分を小さくコピーした "minis" がトレーラーに用意されてて、それで最終確認をする。 (日本の撮影では、ばっちり製本された脚本を見たことがあるんだけれど、 あれって脚本の差し替えにはどう対応してるんだろう?)

以前のAFTRA契約では「せりふが5行以下」というUnder-fiveというカテゴリが あったのだけれど、SAG-AFTRAになってからなくなったようだ (もともとSAGには 無かったのかな)。私のせりふは3行だったけどちゃんとフルレートでの契約だった (現在$880/day)。 撮影時にトレーラーの部屋が割り当てられるし、組合様々である。

契約のタイトルが "Co-Star" となっていて、これだけ見るとまるで主役に準ずる 扱いのようだけど、業界ではこれは「主役にちょっとでも絡む、せりふのある役」という意味らしい。 主役に準ずる形で単独エピソードに出る場合は"Guest star"とか"Show star"になる。

"Five-0" は、事件の大きさのわりに毎回都合良く解決しすぎる気がしてあんまり 観てなかったんだけど、ここ何回か友人が出演してるので観てみて、何となく人気の 理由はわかるような気がした。主役二人(O'LoughlinとCaan)の掛け合いが 上手いバランスで、事件よりもそっちを観る方が正しい見方なんだろうな。

エピソードはオンラインで観られるけれど、日本からだとリージョン制限にひっかかるかも: http://www.cbs.com/shows/hawaii_five_0/video/P3dj9hNz5ghJD_wbKnnv3RP_equHL5fh/hawaii-five-0-pukana/

以下はネタバレ含むので観てない人は注意。

* * *

  • 私の役名は"Mitsue Tanaka"。男なのにMitsue?と思ったけど「田中満衛」ならありかな。 ちなみに役名は契約ほか様々な書類に記されるので、役が決まった時点ではもはやそうそう 変えられるものではない。
  • 出演場面は石巻の仮設住宅なんだけど、撮影したのはホノルルなんで、 冬の東北にはちょっと見えないですな。 衣装は冬装束だけど。
  • 最後に「Merry Christmas」で締めるのはクリスマスエピソードとして綺麗なのだけれど、 クリスマス当日の朝にDannyが箱の持ち主を知ったとして、そこからどんなに急いでも 日の出ている時間に石巻に着くのは27日の朝になると思う。果たして27日に 「メリークリスマス」と言うであろうか、という疑問が。 私は、いきなり訪ねてきたアメリカ人に適切な挨拶が思い浮かばずとっさに出た、と解釈。

Tag: 芝居

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