2013/09/30
ピアノレッスン108回目
- Kapustin: Concerto Etude Op40-1
- 暗譜した。八分音符=112。
- Ravel: Ondine
- LAにいた頃に暗譜して通せるくらいまでやったんだけど、改めて挑戦。 細かい音符をすっかり忘れてる。 今回はペルルミュテール校訂の楽譜があるので指使いなど参考にしながら 読譜から。今回はゆっくり最初の3ページ。
さてここから2週間ほど追い込みなので、レッスンも休むことになりそう。
Tag: Piano
2013/09/23
塑造
私はできれば心棒のことなど考えないで、粘土を取ったりつけたりしたい。だから心棒はできるだけシンプルな方がいい。途中でイメージが変わってきても、どんどん動かして変えていけるように。その方が、作っていて楽しい。「やり直し」は大変だけれども。
ああ、自分のプログラミングスタイルはこれにそっくりだ。
「シンプルな心棒」を使うことの懸念は、当初の予想とは大きく違う形態に なった時に粘土自体が自重を支えられなくなって崩壊しないかってことだけど、 プログラミングの場合、後つけでの抽象化の層が一種の「焼き固め」のような作用を持ってて、 追加の骨組みをその場で作りながら進めることができる。 同じパターンのものをもう一度作るなら、形が分かってるから最初から強固な骨組みを 作れる方がいいのだけれども。
この「後つけのやりやすさ」と「焼き固めの強固さ」のバランスが言語の使い勝手を 決めてるような気がする。Common LispとSchemeではCLの方が若干前者に傾いてて、 自分としてはそれがちょっとルース過ぎるような感覚がある。このへんは人それぞれで、 Schemeが固すぎると感じる人もいるのだろう。
Tag: Programming
2013/09/20
ピアノレッスン107回目
- Kapustin: Concerto Etude Op40-1
- だいたい暗譜したけどまだごくゆっくりとしか再生できない。 これまでのKapustinよりはかなり弾きやすいと思うけど、曲が簡単なのか 自分が慣れてきたのか。両方かもしれない。
時間が余ったのでBrahmsのRhapsodyももう一回弾いた。 録音するまではキープしたいけど、いつ録音できるかなあ。
Tag: Piano
2013/09/14
ピアノレッスン106回目
- Bach: WTC II No. 5 (D major)
- Good.
- Brahms: Rhapsody Op.79 No.2
- OK. 跳躍時のミス: スピードを上げても、着地点は必ず意識するようにする。
思いがけず長くかかってしまったがそこそこ満足のゆくところまで弾けた感じがする。
来週からKapustin。並行してずーっと譜読みはしてたんだけど、 相変わらずなかなか覚えられない。
Tag: Pinao
2013/09/13
アメリカ人とアクセント
ヨーロッパに比べて、US出身の人は訛りに非寛容ではないかという話を読んでふと思った。
USでは、日本に比べて、音声会話により多くの非言語情報を載せているのではないか、なんてことを以前ちょっと書いた (オーディオブックとオーラルコミュニケーション)。
例えば初めての人と、「電話で話す」/「対面で話す」というケースを考えたとき、 対面の方がよりその人を知ることができるってのは (受け取れる非言語情報の量が多いので)当然なんだけど、 では電話だとどのくらい「知ることができる」感じが減るか。 そのギャップが、USの方がかなり少ないんじゃないかと。
採用面接を電話越しにする、って言ったら 日本だと「それじゃ相手のことがよくわからない」って思う人が多いんじゃなかろうか。 (今は変わりつつあるのかな? でもネットでは 就活で交通費が大変だなんて話をまだ目にするからなあ。 USだと電話面接で人数絞った後は、会社が交通費を出して対面面接に呼ぶ。)
日本では、 「自分はどういう者であるか」とか「自分と相手との距離をどう見積もっているか」なんて情報が 敬語や挨拶の体系にプロトコルとして埋め込まれているように感じる。 US英語だとそういうプロトコルが無い分、声の調子に多くの情報が載るのかもしれない。 例えば「命令形+please」って文、言い方によって「絶対的上位からの強い命令」にも 「弱い立場からの懇願」にもなる。 言い方によってニュアンスが変わるのはどの言語でもあるけど、 日本語なら言葉自体を変えるだろうな、と思えるくらいの幅の広さを調子の方に含められているように思う。
で、アメリカ人が訛り(アクセント)により敏感なのだとしたら、それは アクセントに、発言者の出自 (出身地や階層) を伝える有力な手がかりを探そうと してしまうからかもしれない。
あと、この議論をする時に、 日本の感覚でいう「訛り」とUSで言うaccentはちょっと印象が違うことに注意が必要かもしれない。 日本では、1〜2世代くらい前はともかく、TV普及後育った世代では、「共通語」という基準があって 「訛り」といったらそこからの逸脱という感覚があるんじゃないかな。 USでも一応ニュースキャスターとかが喋る general american accentというのはあるんだけど、 これは目指すべき理想の発音というよりも「中立な、色のつかない」発音のためのものという印象。 人口の多い大都市圏はそれぞれの地方のアクセントで喋ってるので、 general american accentを喋らなかったら田舎者だって感覚はあまりない、と思う。 (「田舎のアクセント」というのが無い、というわけではない。メジャーなアクセントと マイナーなアクセントがあるけれど、正しいアクセントというのはない、ってこと。)
Tag: 英語

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