Island Life

2012/05/14

季節外れのflu

先々週の木曜夜かららむ太が発熱。適宜タイレノール (アセトアミノフェン) をやって様子を見るが3日経っても102F-103F台で下がらないのでエマージェンシーに連れてった。「fluでしょう」ってことで肺炎のチェックだけして帰される。5日目から熱は徐々に下がってきたけど、7日目(先週木曜まで)は時々100Fくらいまで上がってた。その後もゴロゴロした咳が止まらず、今日はだいぶ引いたけど念のため学校は休ませた。

で、先週木曜の夜に今度はかみさんが発熱。薬もらうなら速い方がいいので翌朝医者に診てもらったらやっぱりA型インフルだった。タミフル処方。

そして土曜の夜に私も発熱。日曜朝から医者に行ってやっぱりタミフル。症状は自分が一番軽くて、熱は一日で引いたけど、いやはやインフルエンザに振り回された一週間という感じだ。

うちの医療保険は個人加入のやつで、薬のカバー率が良くない。タミフルは適用外。一人分$150。flu shotを受けておくべきだったかなあ。もう何年もかかってなかったので油断していた。

★ ★ ★

ところで華氏での温度表示は、気温程度の大雑把さなら摂氏に変換しないでもだいたい見当がつくようになったが (60F:寒い、70F〜80F:快適、90F:暑い)、体温は細かい分解能を必要とするせいか(例えば36.8℃と37.2℃の違いは結構大きい印象)、まだ変換しないと「わかった」気になれない。104F=40.0℃というのだけ重要な値として覚えてる。102F=38.89℃、100F=37.78℃、98F=36.67℃くらいを今回覚えておこうかと思った。

Tag: 生活

2012/05/10

ピアノレッスン48回目

  • Stravinsky: Tango for piano. 八分音符=80でゆっくり。
    • 「個々の和音をばらばらに見ても不協和音ばかりでわからない。メロディを十分に歌うようにすると綺麗に響くようになる」
    • 実際、縦に和音として理解するよりも、横方向にいくつも声部があると考えた方が意味が通る感じだ。
  • Kapustin: Op40-8. 四分音符=120。

Tag: Piano

2012/05/10

太陽にハワイが

NASAによれば、新たに巨大な太陽黒点が観測されたそうな。

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黒点部分の拡大。ん? なんか見覚えがあるような。

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これと似てる?

[image]

(画像はいずれもNASAより)

2012/05/06

使ってもらう手間

元々は電子工作少年で、大学も迷わず電気電子工学専攻を選んだのだけれど、 途中でソフトウェアの方により惹かれていった。 ソフトウェアの方が「人に使ってもらう」のがうんと簡単、というのが大きな理由だったと思う。

ハードウェアだと試作段階は一品物で、作ってる時は楽しいけれど、 それを色々な人に使ってもらってフィードバックを得るというハードルは高い。 それがソフトウェアだと、試作段階からネットでどんどん配って使ってもらえるだけでなく、 共同でどんどん改良してゆける。それが楽しかった。

作ることそのものよりも、それを使ってもらって反応をもらうことの方が自分にとっては 重要だった、と言えるかもしれない。

(最近はハードでも電子的に配布できる要素が増えたし、動作の様子をビデオにすることも できるので、状況がだいぶ変わってきたと思う。今、大学に入ったなら違う方向に進んでいたかもしれない)

90年代前半だと、ソフトウェアの交換というのはいくつかのクラスタに分かれていたように思う。 パソコンのソフトウェアはダイアルアップでつなぐBBSが主要な場だったと思うんだけれど、 自分は大学でネットが自由に使えたので、 usenetに流したりftpサーバに置いたり、という方法で、 UnixやGNUの文化圏にどっぷりだった。

その頃はUnixにも色々バリエーションがあって、ソース配布が中心だった。 ソースのtarballを取ってきて、自分とこのシステムに合わせてmakefileをいじってコンパイルする。 そのままコンパイルして通ることは滅多にないんだけど、それでも手間かけて使ってくれる ユーザからのフィードバックは嬉しかった。

この時代に、autoconfの登場は画期的だった。いちいちREADME呼んでファイル編集しなくても、 ./configure + make + make install で済むのだ。 もちろん当時他にもいくつもこういったメタビルドシステムはあって、ある日突然 autoconfが席巻したというわけじゃないんだけれど。時間が経つにつれ、 一番手間がかからないものが結局は広まってゆく。

まあそんな経験をしているので、configure+make+make installは「使ってもらう」のに 十分ハードルが低い気がしてたんだけど、00年代になったらコンパイルさえも手間ってことに なってきた。いや、むしろ本質的な手間は、依存関係の管理なのだろうと思う。バイナリの 依存関係も相当な手間だが、ビルドの依存関係はそれに輪をかけて手間だから。 そして、autoconfの時のように、手間がかからないものが広まった。 GaucheもWindowsでのビルドは環境を整えるのが手間なのでバイナリ配布を するようにした。(以前は自分がRetHatユーザだったのでrpmも配布してたんだけど、 Ubuntuに乗り換えてからやめちゃった。Gauche本体はあまり外部依存が無いので、 標準的なUnix環境だとビルドも手間ではなかろう、と思ってるんだけどどうかな)。

で、次に減らしたくなってきた手間が「インストールする」というもの。 これはバイナリ配布が前提だけど、ディレクトリをぽんとコピーしたら使えるとか、 zipのまま起動できるとか。確かにそのメリットはわかるんで、Gaucheもそろそろ 考えないとならないと思ってる。

ただ、時代は既に「ダウンロードする」という手間まで減らしたいってとこに入ってるんだよなあ。 いや、正確にはコードはダウンロードされてるんだけど、ブラウザ上でリンクを クリックすればすぐ走り出すソフトであれば、ユーザはダウンロードさえ意識しないわけで。

この「ダウンロードさえ意識させない」というのは別に最近現れた新しい話ではなくて、 そもそもJavaだってappletでそれを目指してたわけなんだけど、ブラウザとは別の ランタイムを要求するってとこがハードルだったのかなあ。 今やJavascriptがデファクトのプラットフォームになった感がある。

これについては、Gaucheとしてどう対応したらいいかまだはっきりとは見えていない。 Javascriptをターゲットにするっていうのは理屈上は別に難しく無いけど、 その上に高く抽象を積み上げてゆく土台としてJavascriptを信頼できるかどうかってとこなんだよなあ。

でも、結局手間がかからないものが使われてゆく、ということをこれまで見てきているから、 いずれ何とかしなければならないだろうなあ。

Tag: Programming

2012/05/04

音楽とプログラム

アルゴリズムで音楽を作るとかじゃなくて、もっと感覚的な話。

カプースチンをさらい始めた頃、「うわー、コードがさっぱりわからん」と思った。楽譜どおり音をひとつづつ拾ってゆけば音は鳴らせるし、これが主和音でこれがテンションとかいうのも何となくわかる。でも なんでこの音の組み合わせが、こんなふうに特定の印象を与えるような響きを持って聞こえてくるんだろう、っていうところが結びつかなかった。

何曲か練習していたらだんだんパターンがわかってきて、「なるほど、だからここはこの音なのか」ってことが少しづつ読めてきたのだけれど。

ストラヴィンスキーを始めたらまた「うわー、さっぱりわからん」状態を経験 (曲は "Tango for piano")。なんかめちゃくちゃな音の塊を押さえてるように思えるんだけど、人の演奏を聞くと自然なんだよ。なぜこれがああ聞こえるのか、がまだわからない。

この「わからなさ」が、馴染みのないアルゴリズムのコードを読んでる時の「わからなさ」に似てるなあと思った。

コードの各ステップでやってることは、ミクロのレベルではわかる。コードを実際に動かしてみると、確かに動く。でも個々のミクロのステップと全体の動作が結びつかない。

でもひとつの系統のアルゴリズムをいじってるうちに、だんだんパターンが読めてくる。ふと気づくと「わかっている」。何か新しいものが見えるようになったわけじゃなくて、見えてるものは最初から見えていたのに、以前つながってなかったものがつながってる。不思議。

まあ、理解っていうのは何でもそうかもしれないけど。

Tag: Programming

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