2012/04/17
道徳よりシステム
http://kashino.tumblr.com/post/21268536453/4 経由で。
まだ4月というのに、大学生はもう就職活動、いわゆる就活の時期に入ったとのこと。その特集報道を新聞で読んでいて非常に不愉快な事実と出会った。記者の取材に答えて、就活学生が内定(会社)数を挙げていた。内定3とかと。
それはおかしいではないか。
もし、会社から採用内定の通知が届いたならば、ただちに就職する会社を決め、そこへお礼と入社後はがんばりますという返事を出す。そして第2、第3の内定通知は、すぐさま辞退の返事をすべきである。
にもかかわらず、内定通知が来たあと、順番に承諾の返事を出し、その3社の内、どれを選ぶか、じっくり考えるという。
ということは、3社の内、2社は採用計画が狂うのみならず、その2社に採用される可能性のあった学生の就職機会を奪ったことになる。
こんな学生を採用しても、ものの役に立たない。単なる利己主義者を雇うことになるだけではないか。
さらに言えば、大学生の就職率が低いのも、こういった内定による〈妨害〉が一因なのではなかろうか。
己の内定数を3とか5とかと誇るのは、人間としての資質にどこか欠けるところがある。つまりは、大学教育を受けたとしても、道徳性を高められなかったということだ。そうなると、教育の問題というよりも、その人間自身の持つ欠陥の問題であろう。
おかしいのは人間性ではなく、「内定」とか「承諾」をなあなあで運用しているシステムの方じゃないかなあ。
就職ってのは企業と被雇用者が契約を結ぶことでしょう。「承諾の返事」が契約書へのサインなら、複数の会社に承諾の返事を出すのは(排他的な雇用契約であれば)単なる詐欺だ。一方、返事が単に「オファーが出たことを認識しました」というアクノリッジなら、その後急いで契約を結ばない企業が戦略下手なだけだ。
ビジネスやってれば、契約書に双方がサインするまでは「何があってもおかしくない」ってことくらい嫌というほどわかってるはずだと思うけど。契約直前にポシャる話なんていくらでもあって、「あの契約が成立してれば…」なんてのは飲み屋でする愚痴話にもならない (契約した後でトラブることだってあるけれど、それは契約内容に基づいて責を問うことができる)。
契約ってのは双方を縛るものなんで、「承諾書にサインしたら他の企業に行かないよ」っていう一方向の条件だけの書類にサインさせるのはもちろん無しね。企業側にもサインによって「提示した条件で雇います」って縛りがないと(当然、契約書には給与他雇用条件を明示しておく)。一般教養として学校で教えとくべきなのは、一方向の義務しか書いてない書類にサインしちゃだめ、といったことだ。
企業が就職する学生に「社会人」としての自覚を持って欲しいと望むなら(そもそも「社会人」なんてそんな偉いもんでもないと思うけど)、その入り口において、まず対等な立場で交渉して契約を結ぶってことから始めないとなあ。位置づけの曖昧な「内定」を出しといて、なんとなく「道徳心」で学生の行動を縛ろうとする、そういう態度の方がずっと非倫理的だ。
定義のはっきりしない「内定」を出してるから、学生の方も就職を入学試験の合否みたいに思っちゃうんじゃないか。どれかを選んでサインするまで、「内定」はただの絵に描いた餅で、その数を自慢しても虚しいだけなのに。
(一応、内定を雇用契約とみなすかどうかについての判例はあったと思うけど、最初からちゃんとした契約書にしとけば済む話だ)
関連するかもしれないエントリ:
- 「御社が第一志望です」 - オファーのアクセプトを契約と考えれば、ほいほい承諾することも、またそれを強要することも、そうそうできないはず。
Tag: Career
2012/04/12
ピアノレッスン44回目
- Brahms, Capriccio Op76-2 (B minor): 八分音符=108、暗譜。
- ダイナミクス、アクセント、スタッカートの指示に気をつける。 やろうとしていることはわかるが、もっとやっていい。
- Kapustin Op40-7: M=108。
- リズムが崩れるとものすごく目立つので、 リズムの正確さ (譜面どおりと言う意味ではなく、スイングはして良いけど、ビートはきちんと刻む) と、速いパッセージのclarityを上げる。
Tag: Piano
2012/04/09
GUIの流行
久しぶりにTkを触ったら、「うわあ、彫りが深いなあ」と感じた。 デフォルトのボーダー幅が太いので、でこぼこが強調されて見える。 今となってはちょい古くさいデザインだ。
GUIをさわり始めたのはX11R4の頃だったかなあ。当時あったツールキットは、 3D的装飾の無い参照実装のXawを除けばSunのOpenLookとOSFのMotifで、 前者はわりとあっさりめ(ボーダーは細く、装飾も少ない)に対して後者は 彫りが深くてなにかソリッドな機械をがちゃこんと動かすような操作感だった。 当時はあのくらいの方が、「操作している」という実感が強くて良かったのかもしれない。 Tkのデザインも、多分Motif的な流行の元にあるような。
Qtが流行り出したあたりからかな、薄味のツールキットの方をよく見るようになって、 今デスクトップを見るとボーダーで立体感をつけてるのってほとんど無いね。 計算機資源が安くなって、グラデーションやシャドウでさりげない立体感を つけらるようになったせいもあるんだろうな。
あるいは、人々がGUIに慣れてきたせいもあるかも。今、アプリケーションウィンドウのボーダーって ほとんど装飾が無くて、カーソルをそこに持ってくと形が変わるからああ操作できるんだなって わかる程度だ。かつてはボーダー自体が盛り上がってて、それも コーナーと縦横はちゃんと分かれてて別々に押せることを示していた。 当時に今のデザインを持っていったら、どこが押せるのかユーザは戸惑うかもしれない。
20年後くらいにはまた流行が変わっているんだろうか。 マウスとキーボードがインタフェースの主役の座を降りてれば、かなり違ったものになっていそうだな。
Tag: Computer
2012/04/08
Gauche-tk
GaucheからTkを使いたい、という波動を複数箇所から受けた気がしたので作りました。
どんな具合かはサンプルを見てください。
私自身はすぐに何かに使うということは無さそうなので、 足りない機能やバグにすぐに気づかないと思うし、対応もすぐにはできないでしょう。 なので使いたい人がいろいろいじってくれると嬉しいですね。 githubのアカウントを教えてもらえればコミッタに足します。
Tag: Gauche
2012/04/07
評価経済とか贈与経済とかって言ってる人が、 『ノウアスフィアの開墾』を参照してるのを見ない気がするんだけどどうしてだろ。
贈与経済というのは、要するに自分のところに来たものは退蔵しないで、次に「パス」するということです。それだけ。
贈与がうまくゆかないのは、贈与経済そのものが荒唐無稽な制度だからではありません。そうではなくて、贈れるだけの資産をもっている人たちが、それにもかかわらず贈与を行うだけの市民的成熟に達していないからです。
こんな与太話 (「みんなこうすればいいんです。それだけ。」で世の中変わるならそんなに楽なことはない) よりも、 Eric Raymondの14年前の論文の方がずっと、贈与の文化の成立する条件についてきちんと分析してると思うんだけど。
市民的成熟なんてあてにしないでも、「独占するより贈与する方がトクになる」のであれば、自然にみんな贈与するようになるって。 目先の欲望よりも「将来的にトクになる」ということを見通せる能力を、 後から振り返って「市民的成熟」と称するようになるだけ。順番が逆。
Tag: 社会

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