2012/03/01
バッハ
Fantasia in C minorをレコーディングした。
レッスンを取って良かったことのひとつは選曲の幅が広がったことで、 この曲も自分で好きにやってたら多分弾く機会はなかったろうなという作品。 そういやバロックやってないなあと気づいて先生に「バッハで何かいいのありませんか」と尋ねて 「これなんかいいんじゃない?」と勧めてもらった曲だった。
色んな時代の色んな作曲家をやるといい、ということなので、 「今までやってない時代/作曲家はないかなー」という視点で曲を探すようになった。
ところでこれもまたContent ID一致になってた。すぐにdisputeしておいたがどうなるだろう。
Entity: GoDigital MG For a Third Party Content Type: Musical Composition
Tag: Piano
2012/02/29
ピアノレッスン38回目
- スケールとアルペジオ M=144。家ではだいたいM=152が普通になってきたけど時々遅れる。あと家ではdouble thirdsのメジャースケールを片手づつ日替わりで練習中。今、左がM=60、右がM=63。
- Shostakovich: Prelude and Fugue Op87-2。今日はM=60。"It sounds so simple but so difficult to play!"
- Kapustin: Op40-7。M=96。毎回、良くなってる(「より曲の色々な要素が聞こえるようになってきている」)とは言われるのだけれど、後半の3度をどう攻略するか、まだ手探り。
Tag: Piano
2012/02/27
Rumblefishが鳥の声に著作権を主張した件
なんかちょいとおもしろくなっている。
経緯。
- あるユーザが、野外で自分で撮影したビデオをYouTubeにポスト。 自然の鳥の声は入っているがBGMなどは重ねてない。
- そのサウンドトラックが、Rumblefishという企業が管理するContent IDにマッチした。
- Content IDにマッチした場合、通常はビデオの横に広告が表示されて、 収益がContent IDの登録者に行くようになる。 ビデオ投稿者はこれに不満があれば反論(dispute)できる。
- 投稿者はdisputeした。明らかにマッチングのエラーだからだ。
- ここまでの流れはよくあること(私の個人的な体験)。 本来ここで、disputeを受けたRumblefishが人間によるチェックをしてクレームを取り下げる、はずだった。
- ところがRumblefishは「確認の結果やっぱりうちの権利物を使ってる」と回答。
- あちこちで炎上。
- RumblefishのCEOがRedditに「RumblefishのCEOだけど質問ある?」スレッドを立てる
- 今回の件に関しては「担当者の人的ミスだった、クレームは取り下げた」と回答。まあそれだけで簡単には鎮火しないわけだが。
Rumblefishのアクションに悪意を見るか、単なる怠慢を見るかは見解が分かれるところだ。 こういう目にあったユーザにの立場からすればひどい話であることは間違いないが、 私自身はこれは ハンロンの剃刀が適用できるんじゃないかという印象を持った。
RumblefishのFAQの トーンからすると、少なくとも彼らのそもそもの動機は、 「無断使用はキリがないからいちいち追っかけて潰すんでなくアーティストに還元されるしくみを作ろうぜ」ってなもんだったようにも見える。 もちろん「Content IDシステムの隙をついた強欲で狡猾な企業が建前を主張している」と 見ることも出来るけれど、 RedditにCEOが出てきた時点で、なんかもっとナイーブなものを感じた。
システムがあれば必ず裏をかく人間は出てくる。 そこで泥縄的にシステムにパッチを当てて行ったり、 あるいは参加者の倫理に過度に期待するのは上手くない。 いろんな考えの人間が自分に都合の良いように行動しても、 みんながハッピーになる、というふうにシステムを作るのが一番だ。
Content IDのマッチングアルゴリズム自体は改善にも限界があり、 false positiveをゼロには出来ないだろうから (false positiveとfalse negativeの量を調整すること自体は、 より大きなシステム的判断だろうけど)、 その後の裁定プロセスをどうするかってのがポイントだろう。 これはYouTubeの中の人に頑張ってもらうしかない。
現在のシステムでは、disputeに対して権利をクレームした側が再反論した場合、 YouTubeシステム的にはアクションが取れるようになっておらず、 投稿者はクレームした側と直接交渉するしか無いようである。 そして、法的に定められたDMCA takedown noticeと違って Content ID match / disputeのプロセスは一企業の私的なシステムなので、 どちらかが虚偽の申し立てをしてたとしても、それだけで法的に裁かれることはないようだ (虚偽の申し立てによって損害を被ったから賠償しろ、という訴訟には出来るだろうけど)。 一企業として出来ること罰則は最大でもbanするくらいだからなあ。 このへん、虚偽申告や怠惰なチェックがコストに見合わないように バランスが上手く調整できればいいんだけど。
Tag: System
2012/02/24
結果を待つ間
オーディションを受けてから結果が出るまでの間の宙ぶらりんな気持には いつまでたっても慣れないけれど、身の処し方については何となくわかってきた。 これは、プロジェクトを提案して結果を待つ時や、採用面接を受けた後にも 多分共通するんじゃないかな。
ひとことでまとめると、 気持ちの面ではオーディションなど無かったかのように、 しかし行動面では既に結果が出ているかのように振る舞う、というのがコツだ。
気持ち
「あの質問にああすれば良かったかな」「あのディレクションにはこの演技の方が良かったかな」 などとつい振り返って思い悩みたくなるんだけれど、これはだめ。スパッと忘れるのが良い。
可能性だけならいくらでも考え得るので、この手の思考にはきりがない。 考え始めると他のことが手につかなくなって時間を浪費するだけだ。 特に、「受かった場合にしか通知されない」というケース (ほとんどのオーディションはそうだ) では 落ちてた場合にこの思考を断ち切るきっかけが無いのでいつまでも引きずることになる。
振り返って、うまくできなかったところを反省して次回に活かそう、 とか考えてたこともあったけど、これはほぼ無意味で、むしろやればやるほど 変に力が入って次もうまくいかない。理由はいくつかある。
- 受かるか受からないかを左右する要素はものすごくたくさんある。 単にディレクターの欲しかったタイプと違っていただけかもしれないし、 他の配役との組み合わせでイメージがかぶっちゃうだけかもしれないし、 ディレクターには気に入られたけど(広告の場合)スポンサーが他の人の方を好んだだけかもしれない。 (自分の演技力が足りなかったってことももちろん可能性としてはあるけど、それが原因なら やるべきは演技の稽古であってオーディションの振り返りではない)。
- 後知恵でいろいろアイディアを出すことと、その場で咄嗟に選んで行動することは、 別種のスキルである。振り返りは前者を鍛えるかもしれないが、 後者のスキルを磨くのには役にたたない。
- 自分の出来は自分では判断できない。ベテランならもしかすると違うかもしれないけど。 人は、頭で考えて作った仕草よりも、その隙間から無意識にこぼれてしまう何かの方に より魅力を感じるものだ。そして定義により後者は自分で意識できない。
とはいえどうしても思い出しちゃうのは人の性なので、 思いだしそうになったらすかさず他のことを考える、とか、 オーディションの後は普段と違うことをする (旨いもの食べるとか遊ぶとか) とかも手だ。
行動
一方、日常では、受かることを前提とした行動と、落ちることを前提とした行動を 淡々とこなす必要がある。
受かることを前提とした行動は、例えば 撮影予定日を開けられるように他の仕事をスケジュールしておくとか、 脚本があれば読み込んどくとか。
落ちることを前提とした行動は、次のオーディションの準備をしとくとか。
シュレーディンガーの猫状態というか、 即座に受かったら続いていたであろう日常と、即座に落ちたら続いていたであろう日常を 両方とも当然の現実であるかのように行動する。
もし受かってたら、もし落ちてたら、こうなるかも、ああなるかも、というような 仮定の話をあれこれ考えず、機械的に埋められる範囲でスケジュールを埋めてゆく。
改善
一般には、振り返って反省して次に活かすのは改善してゆくのに有効な方法だ。
けれど、オーディションやプレゼンには、受け手がいて、彼らがどう思うかが全てである。 それを改善してゆくには、受け手からの具体的なフィードバックが不可欠だ。 自分だけであれこれ考えても何の役にもたたない。
現実にはオーディションにせよプレゼンにせよ一発勝負でフィードバックももらえないのが 普通なんで、オーディションワークショップなど、フィードバックがもらえる練習の場に 積極的に出てゆくのが王道だろう。
(ただまあ、オーディションの技術というのは氷山の海面に出てる部分にどう化粧するか、 みたいな話であって、それを支える海面下の部分を普段からどうやって構築しとくかというのが はるかに重要であることは間違いない。)
2012/02/24
雑談はなあ
今時はネットが便利になったので、フォーマルな通信はほとんどコストがかからない。昔だと「携帯電話」だったものがSkypeで済む。急ぎでない要件はチャット的なものを使えばいいし、整理されたものが欲しければ、グループウェアやバグトラックシステムを駆使すれば済む。コストも質も、昔よりずっと良くなった。共有もしやすい。
ただしそれは、フォーマルなコミュニケーションに限る。逆の言い方をすれば、
世間話が出来ない
のだ。いや、世間話もやればいいじゃないかと思うし、実際やらないでもないのだけど、世間話をするには、
空気の共有
が必要になる。ノマド的に働いている時は、それぞれがマジメに働いているという前提でいるので、いきなり世間話を振ることは難しい(邪魔しちゃ悪い)。何か用のあるついでにちょっと世間話をする程度だ。
論としては全く同意なんだけれど、個人的な性向として、あまり仕事の場で世間話や雑談をしたいと思わないんだよなあ。
雑談の価値を認めてないわけじゃなくて、実際、カンファレンスで顔合わせた時とか、食事やパーティーの場とか、あるいは待ち合わせでひょいと空白時間が出来た時とか、他に優先度の高い思考プロセスが走ってない時ならおおいに楽しめるし、得られるものも多いんだけど。仕事場では勘弁してと思う。
この考えのプロセスってのは、ひとつのことに集中して作業するってことだけじゃなくて、意識下でプロセスを走らせながらぼーっとしたりとかすることも含むんだけど、多分この「意識下プロセスのための時間」の優先度が自分の中で高いんだと思う。丸一日考えていたって苦にならないし、問題がキューに入っている時はそうしていたい。
Y Combinatorみたいに、一週間に一度ディナーに集まって喋りまくる、って具合に明確な切り替えがあるなら、計画的にプロセスを止めるのでokだ。今の生活でも、芝居の稽古とか、ピアノのレッスンとか、切り替える機会はちょくちょくある。だからその分、一人で考えるための時間は、誰にも邪魔されないまとまった時間として確保したい。
たぶんそうでない人も多いと思うし、手がけている仕事の内容にもよる(ゲームやCGプロダクションだったらこんなふうにはできないだろう)ので、一般化するつもりはない。
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