2011/12/06
行動の源
人間の行動の源泉って、衣食足りてれば、 詰まるところ好奇心と表現欲に集約される気がする。 振り返れば、長く続けて結果を出せている自分の行動ってのはこのどちらか、 もしくは両方が根っこにあるものだけだ。
らむ太が口にする言葉の中で最も多いパターンは 「どうして○○は××なの?」と「ねえねえ、みてみて」だ。 「みてみて」攻撃は言葉が出る前から、質問攻撃は4歳くらいからかなあ。 以来、質問の内容はだんだん複雑になり、 見せるものの中に次第に「自分で考えたこと/作ったもの」が増えているけれど、 この二つがトップを占めているのはずっと変わらない。 これら行動の源はプログラムとしてあらかじめ組み込まれていて、 自動的に発動するかのようだ。
行動力というのは、なにか訓練して伸ばすものではなく、 「どうして」と「みてみて」を抑える要因を取り除くことで湧き出てくるものかもしれん。
Tag: 生活
2011/11/30
ピアノレッスン25回目
- 基礎: スケール、アルペジオ M=144。B♭ majorで両手がばらけるのは、 下降に転じた時に左が遅れるからということがわかった。
- ベトベン、テンペストソナタ1〜3楽章通し。「好きなのはよく分かるが、気持ちが入りすぎて荒くなってる ("too wild")。フレーズの変わり目でミスが多発するから特に注意。あとどんどん速くなるので気をつけること。」
Tag: Piano
2011/11/30
Meisner intensive 3回目の4
速いペースで進行
- Three moments -> repetition
- Independent Activity
- Emotional preparation
今日のIndependent Activityは個人的にリアルで集中できるタスクを 用意してったんだけど (D-subコネクタのハンダ付け)、集中しすぎて 相手へのフォーカスが十分で無く、 エクササイズとしてはあんまりうまく行かなかった。
日常生活でIndependent Activityのようなシチュエーションに なることはとてもよくある (集中して仕事してるときに話しかけられてむっとするとか)。 あれは、外乱にも反応しなければならないっていう義務感があるから コンフリクトが起きるんだよなあ。単に機械的にrepetitionをしている だけだとダメなのかもしれない。
Tag: 芝居
2011/11/28
Win32のstatの妙な振る舞い
GaucheのMinGW版のtest failureを潰してて気づいたのだけれど、 ローカルな時刻が1970/1/1 00:00以前になるタイムスタンプを持つ ファイルに対して _stat() を呼ぶと、struct statの対応する タイムスタンプ位置にUINT_MAXが入ってくるようだ (Vista SP2で確認)。 うちの場合GMT-10なので、UTCで36000以下の値を_utimeでセットすると、 _statで読み出した時に値がUINT_MAXになる。 dirで見るとちゃんと設定されてるので、 statの実装のどっかでUTCではなくローカルタイムを見てエラーとして弾いちゃってるとかかな。
まあ現実的に問題になることはないと思うが、 ちゃんとマニュアルに書いといてくれないと時間を無駄にするではないか。 POSIX互換インタフェースなんて重視してないのかもしれないが。
… と書いたが、よく見たらGaucheは_stat()ではなくstat()を呼んでるんで、 これはMinGWのせいかな? ソース見てみる。
いや、直接_stat()を呼んでも同じだった。やっぱりWin32の方だ。
Tag: Programming
2011/11/25
教育について
ここで何回か内田樹さんのブログの記事に 批判的に言及したことがあったけれど、 単に「何か言いたくなった」時だけ言及してるからそうなってるだけで、 別に何から何まで批判的に見てるわけではない。 特に教育についてのエントリは深く頷くことが多い。 このエントリは全くその通りだと思った。
ところで内田さんはしばしば「市場原理主義者」に言及するするんだけれど、 内田さんの描写するところの彼らは、どうもあまり賢くない、B級映画の悪役のような 雰囲気を漂わせている。実際にそういう人たちがいるのか、それとも内田さんが誇張しているのか、 それは判断がつかないのだけれど。
例えば上のエントリでは批判対象として、「骨の髄まで市場原理と競争原理に毒された」 教育施策があげられていて、それは「国際競争に勝つため」の教育だという。
教育の目的は競争に勝つことだと書いてあります。競争に勝てる人材を育成することだ、と書いてあります。彼らは「激化する国際競争」にしか興味がないんです。だから、教育現場でもさらに子供同士の競争を激化させ、英語がしゃべれて、コンピュータが使えて、一日20時間働いても倒れないような体力があって、弱いもの能力のないものを叩き落とすことにやましさを感じないような人間を作り出したいと本気で思っている。
けれど、市場や競争のことを知っている人なら誰だって、一番強いのは 「競争に勝つ人」ではなく、「競争のルールを作る人」だってことを知っている。 真の市場原理主義者ならば、「ルールを作れる人間」を 育てることを志向するはずだ。つまり、既存のルールに疑問を持ち、 声を上げ、新たなルールを提案して周囲を説得して納得させる、 という過程こそを教えなければならない。 現在のルールを疑わずそれに向けて最適化することだけに長けても、 ルールを変え得る人には決して勝てないのだから、 前者を教育目標にするのは初めから負ける手である。
だから内田氏が言うように、「市場原理主義者」が本心から上のような教育方針を 信じているのかってことが疑問なんだよなあ。 むしろ、密かに一部のエリートだけルールを作れる教育を施し、 残りを従順なソルジャーにするつもりだと考える方が整合性があるような。 そりゃ陰謀論になっちゃうか。
でも、上の「市場原理主義者の教育方針」が「建前」にすぎないとしたら、 そこだけ正面から批判してても相手はあんまり痛くないんではないかな、という気もする。 まあ、本音がわからない段階では表向きは建前を批判しておくしかないわけで、 内田さんもそう思って仕方なくやってるのかもしれない。でもそれなら、 内田さんの「市場原理主義教育施策批判」そのものもまた、 建前ということになる。そこにちょっと弱さを感じる。
Tag: 教育

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