2011/11/18
舞台公演の開演時間
マンハッタンは小さいので、ブロードウェイの劇場へはどこでも歩いて行けます。タクシーを使っても南端から北端まで1500円前後。しかも開演は8時。5時に仕事を終えて、友人や家族とゆっくり食事を楽しんでから観劇できます。
一方東京では、残業をなんとか早く切り上げて夕食なしで飛び込まなくてはならず、終演後は家路まで一時間以上かかるのが普通。まだ働き盛りだが体力の衰えている中高年に平日に見に行けというほうが無理です。小劇場は座席もよくないので疲れがたまるし。
ホノルルの劇場も夜は7:30開場、8:00開演が普通だなあ。夕食とってから観に行く感じ。 これだと、役者も集合が6:00とかで良いので、別に仕事を持っている人でも役者ができる。 6:00開場6:30開演となると勤め人兼役者の人はきついわな。公演が1週間ならその時だけ 時間休暇って手もあるけど、5週間とか公演が続くと難しいだろう。
日本の劇場でそれが出来ないのはなぜか、上のtogetterでは、終電の時間と劇場の退出時間があげられてる。
- 終電の時間: ホノルルやLA、SFではみんな車だろうし、マンハッタンでもタクシーはなんぼでも走ってるし、少々怖いけどバスや地下鉄も24時間動いてるとこが多いから、あんまり問題にならなさそう。それに、都市生活者なら舞台を見てから1時間以上かけて帰らなくちゃならない、ってのは少ないだろう (通勤ラッシュで時間かかる人でも、夜中のフリーウェイならうんと速く帰れる)。
- 劇場の退出時間: 他の都市はあまり知らないんだけど、ハワイだと大抵の劇場は制作から関わってるんで、劇場の都合で退出してもらわないとならないから、という発想が無いと思う。Hawaii Theatreなんかは外の興業に貸し出してるからどうなってるかなと思って調べてみたんだが、利用規約に退出時間が書いてない。使用料金は基本的に(「一回の公演」×公演数) + (「一日のリハーサル、仕込み」×日数) の積算で、公演時間やリハーサル時間の上限は決められてるけど、絶対的な開始時刻や退出時刻は決められてないようだ。
後者についてだけど、公演の使用料金ってチケットの売上の何% (最低料金あり) で課金されるようなので、劇場側もスケジュールを柔軟にしてより観客を集めやすい開演時刻に合わせるインセンティブがあるのかもしれない。ハコをただ貸すだけじゃなくて、チケット販売は劇場のボックスオフィスを通すし。日本の劇場も大きいところは知らないけど、小劇場ってだいたい時間で貸してるだけだったような。それなら客が多かろうが少なかろうが劇場の売上は変わらず、観客の都合に合わせて遅くするインセンティブが無いわな。(まあ、劇場の評判という点では、動員数の多い人気の興業がつめかけてくれた方がうれしいわけだけど)。
参考: Hawaii Theatreの料金表(pdf)、 利用規約(pdf)。
以前、『ライブハウスはミュージシャンを育てない。なぜなら!』って記事を読んだんだけど、ハコ側が興業に関わる度合いが薄めって点ではちょっと似た構図なのかもしれない (私はライブハウスのことはとんと分からないので、この記事がどのくらい現実を反映してるのかは判断できないんだけど。)
東京については土地も高いし、公演やりたい劇団の数はとんでもなく多いしで、その条件の違いだけでも、USと同じようには出来ないだろうけれど…
Tag: 芝居
2011/11/18
クラスアクション
Foreign Currency Fee Litigation Settlement Fundというところから小切手が届いた。心当たりが無いので、書かれてるウェブサイトにアクセスして慣れない法律関係の文章を読んでやっと思い出した。海外で使ったクレジットカードの手数料徴収が不透明であるっていう反トラストのクラスアクションがあって、アンケートみたいなのに答えたことがあった。もう2〜3年前だと思うんだが。その訴訟が和解に達したので和解金からの分配分だそうだ。戻ってきたのは$18ちょっと。
クラスアクションは、該当する場合(今回は1996年から2008年だかの間に該当するクレジットカードを持っててUS国外で使った場合、だったかな)には自動的に原告に入るんで、参加したくない人だけ書面で通知しないとならない。あの時は他にも、請求金額を決める項目を選ぶようになってたような気がする (使用履歴を全部並べるとか、年何回海外旅行してこのくらい使うってのを書いてそれをもとに割り出してもらうか、めんどくさいから一律でいいよってのにするか)。もう何を選んだか忘れちゃった。
そういえばここ数年、海外で使った分のクレジットカード料金明細で、実際に使った金額の表示と、Foreign Transaction Feeの表示が別々に書かれるようになってたけど、この訴訟の影響だったのかもしれん。
クラスアクションは有利な示談に持ち込めれば手がけた弁護士事務所は大儲け、ってところがアメリカ的だなあと思う。今回みたいに原告が大量にいれば、個々の原告に帰ってくる金額は雀の涙になるけど、では弁護士が手数料取らなかったらどうなってたかというと戻ってくるのがせいぜい数ドル増えるだけだし、訴訟が起きなければそもそもそれは返ってこなかったし、手数料の透明性も向上しなかった、わけだ。
でも例えばこれが日本に持ち込めるかというと、結果的に一部が大儲けすることに釈然としない人も多そうだなあ。どちらかというと行政を動かして介入してもらうって方向に行きそうな気がする。印象論だけど。これはどっちが良いとか悪いとかって話ではなく、より多くの人が納得する手続きが違うってことだろう。
こっちを選べばAさんが損する、あっちを選べばBさんが損する、っていうような問題に落としどころをつけるのっていうのは、絶対的な正解があるものじゃなく、最終的に全員がそれなりに妥協してそれなりに納得するってとこに落ちつく話だから、そこで文化や歴史の差っちゅうもんが出るのであろう。
Tag: 生活
2011/11/17
それ英語じゃなくてコミュニケーションの問題
またtogetterからネタを拾ってしまった。ベンチマーク流してる間につい目に止まっちゃうんだよ(いいわけ)。
私は初めての英語留学先のホストファミリーで、食事のとき「その塩を渡してください」をどう言うのか分からず苦悶した。私はずっと学校では英語の成績は優良だったのに。学校英語と実践英語では、使う脳の回路がぜんぜん違う。もちろん役に立つのは後者だ。
学校英語ってこき下ろされることが多いけれどそんなにひどいかなあ? 確かに会話の訓練は圧倒的に足りないけれど、学校の授業時間だけで 会話できるようにするのはもともと無理じゃないか。 極めて限られた時間で効率良く教えるという観点では、 少なくとも教える内容はそこまで悪くないと思うのだが… (教師の力量によって効果が違うってのはあるだろうけど。)
自分の英文理解も、未だに高校でやった文法解釈がおおいに役立ってる。 その意味では、実践英語と学校英語で使う回路は一緒だな、私は。 もちろん、速読とか反射的に出てくるフレーズなどは練習量がものを言うので 自力で補う必要はあるけれど、根本の英文理解は今でも高校で習ったとおりにやってるよ。
「塩を取ってくれ」が出ないとか、文法の間違いを気にしすぎるとか、 ブロークンでも身振り手振りでもいいってことを教えてくれないとか、 それは確かにそうなんだけれど、私はその原因を英語教育に求めるのは 違うんじゃないかと思う。 というのは、それ以前の「コミュニケートする」ということが教えられてないんじゃないか、 と思うからだ。 (いや、自分が教育受けたのはもう何十年も前だから、今は違ってるかもしれないけど)。
自分の持っている前提や常識とは違う前提や常識を持つ相手に対して、 自分の持てるあらゆる表現手段---言葉でも、身振り手振りでも、絵を書くでも---を 駆使して伝えたいことを伝え、また相手の伝えたいことをわかろうとする。 そういう訓練が初等教育でもっとあっても良いんじゃないだろうか。
実はそういう生のコミュニケーションへの足掻きって、 言葉が出始めた頃の子供は誰もがやっていると思うのだけれど、 次第に言葉に頼るようになって、非言語的コミュニケーションを忘れてしまうのだと思う。
これは前に書いたかな。USで演技のクラスを取り始めた頃、 先生に「君がいてくれて有難い」と言われたことがある。 「伝えるのに、言葉は問題ではないということが示せるからだ」だそうだ。 実際、演技のエクササイズには、この非言語的コミュニケーションを取り戻すための ものがたくさんある。そのうちいくつかでも、初等教育に取り入れられたら おもしろいんじゃないかなあ。
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言葉を尽くしても伝わらないことを嘆く人がいる。自分もそうだったんだけれど。 でも、言葉によるコミュニケーションって所詮「そういうもの」なんだな。 伝えたい側も、受け取る側も、言語で表現しきれる情報だけを扱いたいと思っている場合は 言語で良いんだけど、多くの場合、本当に伝えたいこと、本当に聞きたいことっていうのは、 もっと曖昧だけれど胸や腹の底にある、もやもやしたものでしょう。 それが普段言葉だけで伝わってると思ってるなら、それは錯覚だよ。
USに移って少しして帰省した時に日本の友人と飲んでて、 「英語だと言いたいことが言えずにフラストレーションたまらない?」と聞かれたことがあるんだけど、 日本語だって本当に言いたいことを言うのは難しいよ。 言ったら語弊があるから言えない、という意味じゃなくて、 スティーヴン・キングが "The Body" (『スタンド・バイ・ミー』)の冒頭で書いているように、 言葉にした途端に、肝心なことはこぼれ落ちてしまうから。
それでもどうしても表現したいことがあるから、使える言葉をかき集めて 不格好ながらなんとか似た形を積み上げようとするわけだ。 その積み木が英語か日本語かっていうのは、問題の一部にすぎない。 手持ちの積み木の種類が少なくたって、何か作ることはできる。
どうも英語でコミュニケートできるようにならない、という人はしばしば、 自分が日本語で組み立てているような形を英語でも組み立てようとして、 それができずに悩んでいるんじゃないか、という印象がある。 でも、その日本語の構造物は、伝えたいことのひとつの側面、投影にすぎなくて、 同じものを再現するのはもともと無理なんだな。 伝えたいことに戻って、それを手持ちの積み木で何とか作ろうと足掻いてみれば、 何かしら伝わることがあるだろう。
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言葉と切り離して、様々な手段で「伝えること」「受け取ること」を学んでおけば、 身振り手振りを駆使し知っている単語だけを使って伝えるという技術は、 出発点になる。英語教育で「ブロークンでもいいんだ、 カタコトでもいいんだ」なんてわざわざ教える必要はない。 ほっといてもみんなそこは勝手にやる状態なわけ。 英語の授業は「より効率の良い伝え方」を教わる場になる。 文法やるのも単語熟語やるのも、もともとはそういう目的なわけでしょう。
ではそういったコミュニケーションをどこで教えるのがいいかというと、 私は演劇というのを初等教育で教えたらいいんじゃないかと常々思っているのだけれど (生徒が劇を上演するというところはたくさんあるけれど、そうではなくて、 シアターゲームなどの演技の基礎エクササイズのところ)、 こっから先はまた別の機会に。
2011/11/16
ピアノレッスン23回目
今週は15分しか時間が無くてスケールとアルペジオだけ、なんて日が続いたけど、そんだけでも続けておくと思うように指が動かないってことは無いようだ。
- スケールとアルペジオはいつもどおりM=144。
- ベトベン、テンペストソナタ。
- 第2楽章、M=44で。まだ暗譜はできてないけど、なんか曲になってきた。再現部第1主題のところで出てくる32分音符の連続する装飾フレーズ、最初は楽譜指定どおり左で弾いてたんだけど、先週「交差するところは右で取ってみたら?」とサジェスチョンを受けて切り替えてみたら、うんとスムースになった。
- 第3楽章、主題提示部のみ、M=58でゆっくり。この曲はダイナミクスが肝だけれど、速度を挙げると16分音符はそんなに強く弾けないから、強弱の変化部分を重視するように、と注意。
Tag: Piano
2011/11/15
Meisner intensive 3回目の2
スケジュールが押してる機能の実装に追われてたら、早朝に別案件でトラブルが発生し、 その対応にてんてこまいのうちに夜が明け、らむ太を学校に送ってちょい仮眠をとってたら 仕事の電話で起こされ、押してた機能のパッチをぎりぎりで送って らむ太をクラスに連れて行き、帰ってからさて明日はピアノのレッスンなのに ようやく少しさらえるわいと基礎錬を始めたところで、 マイズナーのクラスがあったことを思い出した!
少し遅刻したけどScottのクラスは最初軽い雑談から入るので助かった。今日はひたすらrepetition day。
- Repetitionの復習。Mechanical repetition、truthful repetition
- Three moments。Three moments -> repetition。
- 来週は各自independent activityを持ってくること。
Repetitionが、卓球のラリーをやってるみたいな感じになってきた。よく見る、よく聞く、だけではなく、間髪を入れずに反応することに、一種の心地よさがある。集中のレベルが日常から一段上がって、物理的時間が主観的時間に比べてゆっくり流れる感じだ。
Tag: 芝居
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