2003/06/29
Noと否
次の文を読んで、問いに答えよ。
「オブジェクト指向言語でなければ大規模ソフトウェアは作れないのだろうか。もちろん答えはNoだ」
問題:上の文の筆者の真意はどちらか。
- (A)オブジェクト指向言語でなくても大規模ソフトウェアを作れると思っている。
- (B)オブジェクト指向言語でなければ大規模ソフトウェアを作れないと思っている。
最近いくつか続けて似たような記述を見て強い違和感を感じたので。 「オブジェクト指向云々」の部分は何でも良くて、 違和感があるのは「〜ないのだろうか。答えはNoだ」の方。
たぶん筆者は、日本語の感覚で、「〜作れないのだろうか、否、作れる」と 言いたいのだろうな(A)、と想像する。しかし、ここで英語の"No"という単語が 意味するのは、"No, you can't"、「作れないのだ」という(B)の意だ。 上のような文を見るとその両方の解釈が同時に見えて、混乱する。
否定疑問文に対するyes/noは日本人には難しいところだと思う。 米国に来て2〜3年は自分も良く間違えていて、"Yes, ah... I mean no" のように言い直すことがあった。 それが、ある時点から、"Yes"/"No" という単語にくっついている イメージが、日本語の「はい」「いいえ」というイメージと分離した。 "No" と聞いたらそれは発言者が "No, I don't" とか "No, you can't" とか 言っているのだ、ということが考えずに浮かぶようになった。
一度この感覚の分離が起こると、戻すのは不可能だ。 上の文で言えば、「〜作れないのだろうか」という時点で自然に反語表現を 期待するのだけれど、"No" という単語を見たら反射的に「ああ作れないのか」 と思うので、「あれ?」となる。頭では「これは『作れる』と言いたいんだろうな」 と考えても、感覚がそれを受け付けない。
「もちろん答えは否だ」と書いてあれば何も問題はない。
yamai :