Island Life

< The spirit of resistance... | キワノ >

2004/05/11

ピアノ

http://homepage3.nifty.com/mogami/diary/d0405.html#10t4

普通に弾く速さでは一打ずつ構成していると意識の速度がまにあわない。イメージはチャンクを使って構成する必要がある。…簡単に出来ても次に進まずこのようなチャンクのレパートリーを増やしておくのがいいのだろう。慣れるときっと小節くらいが一つの「単語」になるんじゃないかと思う。

これから両手に挑むわけだけど、あれって、和音としてチャンクするものなのだろうか。それともそれぞれ別に作った片手の動きを同期させる感じでやるのだろうか。

自分の場合、言葉で説明するのは難しいのだけれど、 だいたい「一気に」弾くひとかたまり---分散和音ひとつのこともあれば、 数小節から10数小節に渡るフレーズ全体のこともあるが---くらいの感覚で、 ある「構造を掴む感覚」がある。

その感覚は、例えば、イントレみたいな足場を作るのにいろんな部品を うまい具合に組み合わせて、かちっとはまったところで、個々の部品は細いのに 構造的にとても頑丈なものが出来た時に感じるものとも似ているし、

持ちにくい、変な形のものを持ち上げるために色々な場所に手をかけてみて ふと、余分な力を入れずとも楽に持ち上げられるポジションをみつけた、みたいな 感覚でもあるし、

ロッククライミングをやったことはないのだけれど、微妙な岩のでっぱりを 見つけて体重をかけても大丈夫なくらいがっちりとグリップを得た時って こんな感じがするのだろうなと想像できるような感覚でもあるし、

  • それは、とても全身的、肉体的な感覚であるり、
  • 同時に、全てが全てを支えあっている、というイメージであり、
  • 複雑な構造であっても、細部の全てと全体とが同時にはっきりと見えている

特に最後の、部分と全体が同時に見えている感覚が、日常生活で相当するものが ないので形容し難い。空間だけでなく時間も同時に存在していて、 あるフレーズの全てが同時にそこにある。でもそれを人に伝えるためには、 演奏という形に落とすしかなくて、そうすると時間軸方向にも解きほぐされた 形にならざるを得ない。

かように言葉にするとつかみどころがないのだが、その感覚自体は自分にとっては とても具体的で間違いようのないものだ。 記憶力も落ちてるし、練習時間もあまり取れないしで、最近はいかに効率良く 弾けるようなるかを考えているのだけれど、新しい曲をさらいはじめる時には 積極的にその感覚を求めるようにしている。

たまに、練習をしていると、普段掴んでいるそういう固まりよりずっと 大きな単位での構造物が、ちらりと見えることがある。今日もそれがあった。 「あ、この曲は、つまり、そういうことだったのか」と思う。 そこに見えた構造物に沿って指をあててゆけば理想的なものができそうな気がする。 けれど、残念ながらそういうヴィジョンは長続きせず、 指もついてこない。うまい人っていうのは、 きっとそれがあたりまえのように見えてて、 さらにそれを現実化できる体力を備えているってことなんじゃないかなとか思う。

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