2005/11/27
昨日、「降りてきてしまうもの」に対して「ヴィジョン」という言葉を使ったが、 完成形が一瞬でひらめく、というようなものだけを念頭に置いていたわけではない。 むしろ、何だかわからないもやもやしたものが来て、とにかくそれを形に しないことには居られない、というようなものを考えていた。
産みの苦しみはこっち持ち、なんである。そんな苦しいことは避けられたら 避けたいんである。でも、産まないでいる方がもっと苦しいから、仕方ないんである。 ただどっちも苦しいから、降りて来たものに気づかないふりをして 誤魔化すという誘惑もある。緩慢な精神的死を迎えるとしても、 人間、楽はしたい。 金銭的な報酬とか、功名心とか、嫉妬とかは、そういう怠惰を抜け出して 苦しみに直面するために使える便利な道具である。
金銭や名誉や嫉妬が直接の動機なのか、それとも代替物なのかは、 ちょっとした想像をしてみればわかる。金銭を求めていると思っている人は、 もし一生好きなことをして暮らせるだけの金が入ったとしたら、 周囲からの賞賛を求めていると思っている人は、無人島に一人だけで流れついたとしたら、 嫉妬に駆り立てられていると思っている人は、妬ましいその人と自分の立場が入れ替わったと したら。それでも今苦しみつつやってることをやっぱりやるだろうと思えたら、 きっと何かもっと大きなものに動かされているのだ。 (もっとも、想像するだけじゃなく本当にそうなってみないとわからないこと、 ってのはあるかもしれない。)