2007/12/09
「好き」のいろいろ
どんなにプログラミングが好きな人でも、毎日休まずプログラムを書き続けないと
生活できないとなると、それはだんだん苦痛になってくる。
好きなことを仕事にして生きていく、というのは、本質的にそういうことなのだ。
好きなことを仕事にしたとたん、「好き」はあなたを縛り付け、苦痛を与え続ける拷問台になる。
「好きなことを仕事にする」というのは耳あたりが良い言葉だが、 「何が好きなのか」に注意深くないと、このように困ったことになる。
私は確かにある種のプログラミングが大好きで、その種のプログラミングを やらせてもらえるならそれが毎日続いても全く苦痛ではない。 もちろん仕事とする場合、9割方はその本当にやりたいプログラミングを 成立させるために必要な雑事だったりするわけだが、その雑事も やりたい1割のことにつながっていさえすれば(つまり、やりたいことを やるための準備になっていれば)どうってことはない。
けれど、自分がやりたい種類のことにつながりがないプログラミングは 非常に苦痛だ。だから、「好きなことはプログラミング」と言い切る自信は さらさら無い。
自分の経験から考えると、「好きなこと」というのは仕事の名前で括れるような 大雑把なものではなく、もっとずっとずっとspecificなものだ。 Joel Spolskyが述べたように、 ソフトウェア開発だけ見てもその世界は細分化されている。 ひとつのジャンルでうまくやっていける人が他のジャンルでもうまくやれるとは 限らない。それだけでなく、同一のジャンルの中でさえ、個々のソフトウェア開発者が 担っている役割は大きく異なり、ある役割にフィットしている人が別の 役割にもフィットするとは限らない。例えばひとくちに「ゲームプログラマ」と言っても、 レンダリングエンジンをチューニングするのと、 プランナーやシナリオライターと連携を取りながらスクリプトエンジンを開発するのと、 CGデザイナーと連携を取りながらデータのコンバータや実機上のモデルエディタを開発するのと、 マルチプラットフォーム対応のためのフレームワークを開発するのでは、 やっている仕事の「感じ」はかなり違ってくる。 さらに、小さなスタジオでこれらの役割をいくつも兼ねながら小規模のゲームを 作って行くのと、大きなスタジオで単一の役割だけを極めてゆくというのも、 また全然違うことだ。
結局、「プログラミング」とか「ソフトウェア開発」とかというのは、 好きなことをやるための手段にすぎない。「プログラミングが好き」と言って 仕事をしていたとしても、本当に好きなことというのは多分ひとそれぞれ、 大きく違うものだと思う。単に手段としてたまたまプログラミングを選んだというだけで。
しかも、好きなことをやるための手段はそれだけではないかもしれない。 例えばピアノを弾いたり演技をしたりすることも、私の中では同じ「好きなこと」 の根源につながっているようだ。その根源が何かということは言葉でうまく説明 できないのだけれど。(というより、そこに何か一定の「根源」があると考えることが 間違いなのかもしれない。もっと高次の、演算子みたいなものがあって、 移り変わる状況のそれぞれに適用するとそれぞれの具体的な何かが出てきて それが次の状況に影響を与える、みたいな。)
手段に惑わされずに好きなことを追う方法は、常に好きなことに対する嗅覚を 磨いておき、うまそうな匂いをかぎつけたらすぐにそっちへいける準備を 怠らないことだ。そういう目で見るとfromdusktildawn氏は充分に好きなことを 追い続けているように見える。
Tag: Career