2008/02/07
Paul Grahamのlazy evaluation戦略
先日Arcがリリースされたが、 これまでの言語の概念を吹き飛ばすようなすっごいものを 期待していた人々にとってはちょっと拍子抜けするような小さなものだった。 ASCIIしかサポートしないとか、ドキュメントもソースコードリポジトリも無いとか、 普通のソフトのちゃんとした「リリース」に比べればずいぶん原始的である。
ところがそれに不満を持ったユーザ達の手で、ほんの1週間ほどで Unicodeがサポートされ、 リポジトリが立ち上がり、 ドキュメントも整備されつつある。一種のlazyな戦略が効を奏してる わけだ。
要するに、「リリースするからには、きちんとしてなければならない」 っていうのはある意味杞憂にすぎないってことだ。
もちろんこれはターゲットオーディエンスに密接に関連してて、 エンドユーザに使ってもらいたいならインストールに手間をかけさせちゃだめだろうし、 便利な道具として使いたいのにいちいちソースを読まなくちゃ使い方がわからないんじゃ 使えねぇよっていうような層(私もその一部)へ向けるならリファレンスを整備しないと だめだが、何でも良いから使ってみたいという層向けなら不完全でも晒すことの方が 有効であるということが示されたわけだ。 (これは決してリリースにまつわる諸々の作業を低く見ているわけではない。 実際Gaucheだってできる限りの手間はかけてる。でも場合によっては そういう作業が必須のものであるとは限らないってことだ。)
まあこう書いちゃうと当然のことのようだけど、Paulはあれだけエッセイで Arcに対する期待を上げてたわけで、普通はステークが上がれば上がるほど 「ちゃんとしたものを出さなくちゃ」ってプレッシャーを感じるよなあ。 ただ、その「ちゃんとした」っていうのが何に対してなのか、はよく 考えないといけないね。
Tag: Programming