Island Life

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2008/11/11

Into the Wild

信念のために命を落とした6人 - GIGAZINEでの Christopher McCandless ("Into the Wild" に描かれた若者) の紹介のされかたがひどい。 彼の行動を非難する人は多く、ネタ元の記事もはっきりと 非難する文脈でかかれていて、それはそれで無理もないことだと思うのだけれど、 GIGAZINEの紹介のしかたではただのバカにしか見えないではないか。 そのせいかどうか、こんなブクマコメまでついてるし:

最後の例については男子高校生でも実行しない本当に馬鹿げた行為だと思うのだが、 なんでそういうのをわざわざ映画化なんぞして名誉みたいに取り扱うのかなあ。 死に場所にアラスカを選んだってだけじゃねえか

あの映画が作られた文脈を理解するには、原作の "Into the Wild" を読まなければならない。

原作はChrisの足跡を丹念に追うことで、事件当時の報道の「無知な若者の無謀な冒険」 というイメージとは異なり、実はChrisはそれなりの準備をしていて 経験も積んでいたことが明らかにされている (既に彼は一年以上、 米国中西部やメキシコでサバイバル生活をしていた)。 餓死したのも、食料が見つからなかったからではなく、 食用となる植物と外見が良く似た毒性を持つ植物 (摂取すると吸収が 阻害され、いくら食料を摂っても栄養として取り込めないという症状が出る) を誤って 食べてしまったからではないか、ということだ。映画ではこのへんもさらっと流して あったのでわかりづらいけど。

ただ、原作はChrisを擁護するために書かれたのではない。そもそも原作作者の Jon Krakauerは、一貫して「人間は、理性的に考えればばかげている行動を、すさまじい熱意と執念を持って取ることがある。それはなぜか。」というテーマを 追っているノンフィクションライターだ。"Into Thin Air" ではチョモランマに挑む人々を、 "Under the Banner of the Heaven" では宗教原理主義者を追いかけた。 「なぜか」の答えは出ない。そもそも答えが出るような問いではない。 それでも、読者はJon Krakauerの掘り出した客観的事実およびその過程での 彼の主観的なjourneyを追体験することで、考える材料を手に入れることができる。

"Into the Wild" もその流れの中にある。なぜ、Chrisは社会的価値 (学歴、財産、etc) や家族とのつながりを捨てたのか。 なぜ、Chrisはオーソドックスな冒険家としての修行を積むことなく 荒野に身を投じたのか。単なる家出だとか放浪ではなく、「冒険」である。

"Into the Wild" がベストセラーになったのは、多くの人の心の中に、 自分の身ひとつで自然と対峙して生きてみたい、だとか、 約束された安全と引き換えに自分の中の荒ぶる自然を諦めてしまっているのではないか、 とかいう思いがあるからではないかと思う。少なくとも私はそうだ。 私はそういう火種を、自転車にテントを積んだ小旅行でごまかして鎮めてきたのだが、 なぜ心の中にそういう火種が燃えているのか、その疑問が Chrisの行動への「なぜ」と重なるのだ。

その「なぜ」がショーン・ペンを駆り立てて映画を作らせたのだろう。 Chrisの行動を讃えるためではない。ショーン・ペンもまた、自分の中に燃える 理性を越えた情熱を理解しようとしたのだ。

映画ではストーリーをつくるために、その「なぜ」に一見わかりやすい説明が 与えられてしまっているのが残念だ。原作の流れを汲むなら、 観客が心の中に大きな問いを抱えて映画館を後にするような作品になるべき だったのだろう。が、それでは映画にならなかったのかもしれない。

"..., but attempting to climb Everest is an intrinsically irrational act---a triumph of desire over sensibility. Any person who would seriously consider it is almost by definition beyond the sway of reasoned argument." --Jon Krakauer, Into Thin Air.

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