2009/02/26
舞台裏を見せる
これまで自分は、作品を創る過程というのはあまり人に見せるものではない、 というような観念を何となく持っていたような気がする。 創作過程というのはいわば舞台裏の話。お客さんは完成した舞台を 観にくるわけで、それがどう創られたかに興味があるわけじゃない。 舞台裏は観客にとって見苦しいものであり、それを見せるのは恥ずかしいことだ、 という感覚だ。あるいは、結局作品自体の評価を決めるのは作品そのものであるべきで、 その作品を産み出すまでにどれだけ血の汗を流したかなんてことは関係ないはずだから、 人に見せるようなものじゃない、という感覚だ。
でもそれはただの思い込みにすぎなかったかもしれない。
ふと気づいてみれば舞台裏を見せることは既にさほど珍しく無くない。 DVD時代になり、大抵のメジャー映画については そのメイキングの過程も観客に届けられるようになっている。 オープンソースの開発もほとんど最初から過程がガラス張りだ。 オンラインの絵画掲示板では絵の出来て行く過程をプレイバックすることで 完成した絵を見ているだけではわからない試行の跡が見られて興味深い。 そして今や、 Paul Grahamのエッセイが書かれる過程すら見えるようになった。
これは良いことだと思う。創作の入り口に立っている人にとって、 完成された偉大な作品というのははるか彼方にあるものだ。 そういうすごい完成形ばかりを見せられていると、自分の手元でようやく創り始めた ものがひどく陳腐に見えてしまい、続ける気力を失ってしまうかもしれない。
けれどもどんな作品でも、最初は荒削りの、粗野で原始的な形態から始まっているのだ。
舞台裏を見せることを躊躇してしまうのは、 それが作品の欠点に対する創る側の「いいわけ」になることを恐れているから、 かもしれない。 けれども、もともと過程と作品は別物だ。過程を知ることで作品に対する理解が 深まることはあっても、至らない作品の至らない部分を創作過程が補えるわけじゃない。
敢えて失敗や迷走の跡だとか、未熟なアルファバージョンを見せることで、 次の創作者がより良いものを産み出せるなら、大いに結構なことだ。
Tag: ものつくり