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2009/04/21

『おくりびと』

こっちのレンタル屋にも来てたので観た。 そんで、テーマがはっきりしてきれいに様式にはまった良い脚本で、 演技も演出も基本的にはちゃんとそれに沿って作ってて完成度高いなと 思ったのだけれど、批評や感想を観ていたらそのテーマについて全然触れられて いないのであれれと思った。もちろん解釈は色々有り得るし、 私が感じた見方が特殊なのかもしれないけど、 この映画、Actingのクラスでストーリー分析したら綺麗に分析できる部類の 脚本じゃないかなあ。音楽でいえば古典派ソナタ形式、みたいな。

以下、内容に触れるので未見の方は目を細めてスクロールダウン。

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この映画を一言でいえば、「主人公が父親を取り戻す」という話。

主人公(大悟)は幼い頃父親に捨てられ、心の底で痛切に父親を求めながら、 全力でそれを否定して生きている。大悟にその自覚はないけれど。 この引き裂かれる思いが物語を引っ張る力。 この二重性のため大悟はいわゆる「父性」--- と言ってしまうとジェンダー的にpolitically incorrectかもしれないけれど--- 自ら決断し周囲を引っ張ってゆき責任を取ること、ができずにいる。 チェロの借金を妻にも黙っていたことや、新しい仕事のことが言い出せないという 大悟の行動はそこから導かれる。この時点での大悟はなりはでかくても中身は 父親を求める子供なので、頼りなく、幼く見える演技は適切。 そういう大悟にくっついてくる妻も自らに母性を 見出せない存在。したがって映画前半で二人がちゃらちゃらしててままごとの恋愛のように 見えるのは、まったく正しい描写である。

NKエージェンシーの社長は大悟にとって父親の役割を果たす存在。 大悟が納棺師という仕事に真剣に向き合うようになったのは、表面的には 社長の厳かな儀式を観て感銘を受けたということだけれど、底に流れているのは 自分の役割を責任を持って果たすという行動を父親から教わっているわけ。 初仕事で社長が怒鳴るでしょう。社長が声を荒げるのはあそこだけだけど、 あれは父親の一喝。

で、妻が妊娠して生物的に大悟は父親になることになる。この時点で大悟の 表層意識はまだ「父親を求める自分」も「それを否定する自分」も認めてない けれど、納棺師の仕事を果たすことでより深いところで責任を取れるまでに 成長している。あるいは成長しつつある。鶴の湯のおばさんの納棺で妻が観るのは、 儀式の荘厳さ(表面)だけじゃなく、大悟の父性。

大悟のarcを考えると、大悟は納棺師の仕事をやればやるほど、 自分の中の二重性に向き合わざるを得なくなる。木下順二は「劇的」とは 「求めれば求めるほど、求めるものから離れて行ってしまう」ということだと したが、やればやるほど見たくないものに近づいてしまう大悟のarcはこの劇的な構造を 綺麗になぞっている。もっとも演出上、クライマックスまでの緊張の高まりは あまり明示的には描かれないけれど。

父の訃報により大悟の引き裂かれる自己の張力は頂点に達し、大悟は 「父親を否定する自己」を捨て「父親を求める自己」を受け入れる。 この受容に納棺の儀式が大きな役割を果たす。それまでのすべての納棺の シーンは大悟が父親を受容する儀式のための前フリである。 そして大悟が父親を受容し、石文を受け取ることで、それまでの納棺の儀式が 「送る者が死を受容し語られぬメッセージを受け取ること」という軸で 貫かれることになる。本木の演技はこの点でも一貫していたと思う。

「父親とのストーリーは余分」という評さえあったが、父親のストーリーがなければ そもそもこの映画は存在しないし、納棺の儀式を厳かに映した意味もなくなる。

ところでこういう解釈で観たとき、ふたつ不満がある。

ひとつは妻役の広末の演技の目的が少し曖昧なこと。 妻は役割上第一のAntagonistだ。AntagonistにはProtagonistと同じ問題を 持つ者と対照的な問題を持つ者が有り得るが、どちらもProtagonistの持つ問題を 別の側面から見せることで物語を明確に語る役割がある。 この脚本の場合、妻は大悟と同じ問題、つまり大人になれないという問題を抱えていて、 それを克服して母親になるという、主人公と同じ形のarcを一足先に描くと考えるのが自然だろう。 脚本上、このarcを際立たせる選択はいくつかあり得ると思うんだけど、どうやっても 実家に帰るあたりまで妻は「子供の顔」をしていて、鶴の湯の葬式のあとあたりでは 「母親の顔」へと変貌していて欲しいはず。監督もそう撮ろうとしているように見えたが、役者が そう思ってやってたかどうかよくわからなかった。

もうひとつは最後のシーンで、大悟が父の化粧を終え、振り向いて石を受け取る時に、 大悟自身の「父親の顔」をきちんと観たいな、と感じた。 もしかすると父親というテーマがくどくなりすぎると思って監督はわざと抑えたのかもしれない けれど、こういう脚本なんだから思い切っていっちゃっても良かったんじゃないかと思う。

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以上でネタバレ終わり。

Tag: 映画