2010/01/31
発言する必要がないなら出なくて良い
渡辺千賀さんの仕事のプロになりたかったら - 会議でわからないことがあったら、その場で必ず聞く。これは徹底して欲しいあるですよ。を受けてのこの記事を読んで:
でも、アメリカだと、他の方に敬意を示して喋らないでいると・・・バカだと思われます。それか、使えないヤツだと思われます。次から、きっと、会議には呼ばれなくなるでしょう。
発言して、議論に何かバリューを与えられるからこそ、会議に呼ばれます。何も発言しないんだったら、そんな人、会議に呼ぶ必要はない、となります。
だから、会議では発言し、存在感を示す必要があります。そうしないと、会議に呼ばれなくなるので。
「呼ばれなくなる」と言うと切り捨てられるみたいで怖ろしげだけど、 会議というものは全体が回る限りにおいては少なければ少ないほど良いので、 発言する必要が本当に無いのなら、呼ばれなくなる前にこちらから 「意味が無いので次から出なくていいですか。」と言えば良いのである。 実際、「とりあえず関係ありそうな人集めてみましたミーティング第一回」の後で、 「Do I need to attend further? It seems that I'm no use here.」 みたいに断って出なくなる人、普通にいる。 会社としても会議するためじゃなく業務を遂行するために雇ってるわけだし、 本人としても無駄な時間を取られずに仕事に集中できるわけだし、損する人はいない。
というのはまあ上のエントリの著者の意図とは違うツッコミなんだけど、 でも根本は同じだと思うんだよね。アメリカは何も、ごりごり自己主張しないと 蹴落とされるサバイバル世界ってわけじゃなくて (まあ主張しなきゃならない 時には主張しないとまずいけど)、自分がやるべきことやらなくちゃ ならないこと、相手がやるべきことやらなくちゃならないこと、どちらも尊重したら、 無駄な会議に時間を使わないっていうのは自然な帰結のひとつだってだけ。 この論理のフレームでは「発言して議論に貢献する」とか、 「わかるまで質問して完全に理解する」ことこそが、参加者全員への敬意の 表明になるわけだ。
なので、「こんなこと聞いたら失礼なんじゃないか、邪魔なんじゃないか」と 思っていたら、フレームをいちど掛け替えてみるといい。聞かないことが失礼に あたるのだとね。
さて、それを頭で理解したとしても、いざ発言したい何かが頭の隅にひらめいた時、 そこからうまい具合に質問にまとめてうまいタイミングで発言する、 というのは難しい。会議で発言するというのは身体動作を伴うアクションであって、 キャッチボールや球技のパスと同様、練習しないとうまくできないものなのだ。 (頭の中でヴァーチャルに発言してみるだけじゃだめ。 イメージトレーニングはリアルのトレーニングが伴ってこそ役に立つ。)
学生さんなら、練習の機会はたくさんある。私の大学院時代、毎週一回、 専攻の院生(修士、博士)必修の輪講というのがあったのだけれど、 修士の途中くらいから、毎回必ず一回何か質問すると決めて実行していた。 これはすばらしい練習効果があるのでここ読んでる学生さんはやってみると良い。 何より、質問するつもりで聞いてると集中して聞ける。 (もちろん、参加者全員が質問する時間は普通はないので、やったもん勝ちである。 今でも学生の気質が変わらなければ、多分質問時間は余りまくっているはずなので、 先着2-3名の余裕はあるだろう。それ以上質問が出るようなことになったら それは大学院輪講としても大変結構なことであるので、運営の方で うまい方法を考えるだろうから(当て方を工夫するとか)、心配しなくてよい。)
仕事をしてる人でも、まあ社運を賭けた製品の戦略ミーティング、みたいに 緊迫した場面じゃさすがに練習はできないだろうけれど、もっとゆるい ミーティングはあるはずなので、その場を練習に使うといいと思う。 ただ、気の置けない仲間内、っていうのはだめ。 たまに、質問に立ったはいいがだらだらとまとまりのない話をしだす人が いるけれど、そういうのに対して「要するに質問は何?」というツッコミが 入るような場じゃないと練習にならない。突っ込まれることは落第点を もらうことではなく、キャッチボールのボールを投げてくれたってことだから、 受け取って次に活かせばいい。
Tag: Career
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