Island Life

< Meisner intensive 2回目 | 昨日の税関話は >

2010/09/29

税関申告

ネタだとは思うけど、ネタにしても方向が極めて残念だなあと思った。

空港の税関で自分のほうからあえて別室へ行く方法。空港税関で手荷物について正直な考えを言ったらこうなった

それでは、逆に、旅行者の方から、積極的に、税関職員に、是非どうぞ自分の荷物を開けてください、と強く依頼したら、どのようになるのでしょうか。 本当はそのほうが確実で正直な態度だと思います。旅行者として、法令違反 (違法持込) をしてしまう危険がなく、法令順守の観点からは、そのほうが望ましいはずです。また、「申告するべきものがあるのかないのか」は旅行者よりも税関職員のほうが詳しいから、荷物検査してもらったほうが安心です。

法律を隅から隅まで暗記している人は多くない。 日常生活の中で、知らぬ間に何らかの法律や条例に抵触する行為を一度もしたことがない、 と言いきれる人はほとんどいないだろう。 けれども、「自分には判断できないのでどうか法律の専門家の人は逐次私を見張ってください」 と言い出す人はいない。

それは単にコストが見合わないというだけではない。近代市民社会では、 責任能力のある人間というのは「相当の程度まで判断する能力があるし、 できるだけ自分で判断しようと努力する」ということになってる。 (実際、そういう能力が無い人、というのは、能力がある人が監督することになってるわけだし。)

この前提があるからこそ、原則として道を歩いていていきなり警察に拘束されて尋問を 受けることも無ければ、いきなり役人が家に踏み込んできて捜索することも、 手紙や電話が逐一チェックされることも無いわけ。

もちろんこの前提は絶対確実に満たされ得るものではなく、 みんなが努力してある程度のレベルを維持していないとどんどん綻んでゆく。 職務質問にはいろいろな条件がついているけれど、犯罪が多発してたら そういう条件を緩めてでも職務質問した方がいいって流れになっちゃうだろう。

税関も基本的にはそういう原則で運営されてるんだろう。 旅行者は、申告するべきものがあるかないかを判断できる (あるいは特定の物品について「わからない」と判断できる)ものとされているのだ。 もし本当にわからないのだとしても、「どうぞ開けて勝手に検査して」ではなくて、 自分からわかるものとわからないものとを寄り分けるくらいはできるはず。 知らない間に荷物に変なものを入れられる可能性はゼロではないけれど、 それをゼロに近づけるよう努力する義務は旅行者にある。

どうしてもリスクゼロにしたいっていうなら、現代社会で旅行すること自体諦めるしかない。 海外行くために何週間も前に申請して、場合によっては身元調査されて、 さらに実際の旅行では隅々まで身体検査されて、という社会を望むなら別だけど。 パスポートとチケットさえあれば気軽に海外に行ける、っていうのは、 税関申告書を自分で埋められる(もしくは特定の項目について相談できる)程度に みんな自分の荷物には責任が持てる、っていうことと表裏一体になっているわけだ。

だらだら書いて来たけど、本題は「残念な方向」っていうところ。 どうせ職員の手を煩わせるなら、むしろ個人の権利を不当に制限するような 行為に対して異議を唱えればいいのに。

例えば、アメリカでは国内線に乗る時でも身分証明の提示を求められるけれど、 それは自由な旅行の権利を侵害しているとして敢えてIDを見せずに乗っている人がいて、 裁判にもなっている(flying without identificationでぐぐればたくさん出てくる)。 最近は監視強化の方向が強いけれど、結局これは「どういう社会にしたいか」っていう 総意の綱引きだから、社会情勢によって線引きは変わって行くものだ。

私個人としては、なるべく監視を受けず自由に行動できる社会が好きだ。 だからそういう社会にするのに必要なら、市民の責任を果たすべく相応の努力はしたいし、 周囲にもそれを薦める。 (飛行機に乗る時にID見せる妥協をする程度にはヌルいけれど。)

「わからないからお上に丸投げ」というのはそれと逆行するようで、どうも好かない。

(追記2010/09/30 14:39:49 UTC): ネタじゃないのかなあ: 昨日の空港税関での揉め事に関する日記についての考察。 ←全部はずしてると思うけど。

税関の対応に関して改善点があるとすれば、

  • 職員が、旅行者側がやるべきことについて整理して伝えられなかったのはまずい (一応、「知らないものが入ってないか自分で調べてからまた来てくれ」とは言ってるけど。他に、「個別の物品について、申告の必要があるかないかわからないものがあればそれだけ選り分けてくれ」等も説明すれば良かったのではとは思う)
  • もし、多くの旅行者が自分で申告するのにわからないことだらけなのであれば、税関側はそこをわかりやすくするように公報したり啓蒙したりする必要はあるだろう
  • 「申告についてわからない」という人がいたために流れが滞ったとすれば、それを解消する責任は税関側にある (速やかに旅行者側の責任について説明するなり、人員を増強するなり)。
    • 税関申告書の記入が普通の旅行者には難しいレベルである、とするなら、そのサポートをする第三者的専門家を参加させるという手はある。税金の申告を考えてみればよい。税務署は申告書を作る助けはしてくれるけれど、申告書を最終的に作るのは納税者の責任においてである。整理されてない領収書の束をどかんと持っていって税務職員に「自分は専門家ではないので間違える可能性がゼロではない、申告書を作ってくれ」というわけには行かない。専門家に任せたい納税者は自費で税理士を雇って申告書を作成してもらえば良い。

(さらに追記2010/09/30 21:11:45 UTC): あ、あれ、確信犯? 上の追記を書いた後で、 昨日の空港税関での揉め事に関する日記についての考察に記述が追加されてた:

Q9. これは要するに、本来は旅行者の側が担っているべき「正しく自分の荷物を検査して申告する義務」を、税関の側に責任転嫁する方法だということなのではないか?

[...] もともと、税関制度の趣旨では、旅行者は自分の荷物を把握・管理して、中に何が入っているのかを正確に熟知して、それに基づいて税関で申告をしなければならないということになっているのではないかと思われる。だから、確かに、「自分で検査すべき責任を税関に責任移転すべきではない。行政サービスへのタダ乗りだ。」と思えるかも知れない。

つまり、昨日の税関での出来事は、結果的には、上記の「責任移転」を行政に対して行ってうまくいくかどうかの実験という要素を含んでいたということができる。そして、結果としてはそれがうまくいったのである。

現在、「責任移転」ができてしまう規則になっているということについて、それが問題だと思うのであれば、そう思う人は、自由に、その問題点を国会議員に対して指摘すべきであり、国会議員は、税関法を、そのような「責任移転」ができないように適切に改正するべきである。

つまり、市民が責任を放棄できるのはシステムの穴であるから法律によって塞げ、と本気で考えているのか… それは美しくないなあ。そんなにまでして縛られたいかなあ。(いや、登氏自身がそう考えている、とは書いていないんだけれど、市民社会の原則をすっ飛ばして規則云々の話が出てくるってところがなんだかなあ、なのである。)

やらない方が社会全体のコストが低くなるってことはゴマンとあるけれど、その全てを法律で規制するのはとても高くつく。考え得る例外的事例は無限に存在し、その全てに対応しようとするとルール数が爆発して判断のコストが跳ね上がるからだ。重大な結果をもたらさない限りは、むしろ教育と啓蒙、それに適切なインセンティブによってそういうことをしない方に誘導する方がいい。

今回のケースでは、最初の追記に挙げたように、職員がちゃんと趣旨を説明できなかったという不備は明らかになったし、さらに言えば、そもそも申告書に記入する段階でその意味について混乱しないように、義務教育の段階から市民の責任と権利についてもっと取り扱っても良いかもしれない。これらを改善するように働きかけるきっかけの事例にはなると思うし、この事例を見て問題に感じた人は自由に行動すればいい。そういう意味では、私は別に登氏本人に「こうすべきである」と意見するつもりはない。

ただ、美しくないハックがなされたことを、残念に思うだけである。個人的な感想として。

(またまた追記2010/10/01 02:33:48 UTC): Ruiさんが興味深い記事をtweetしてた。「自分の国に入る時に入国審査官の質問に答える必要はないし、(税関申告は提出したのだから)税関係員の口頭質問に答える必要もない」、と突っ張った人の話。

こういうのはアリだと思うんだよ。結局、単にシステムの不備を指摘する、っていうんじゃなくて、そのシステムをどうfixしたいか、ってとこまで含めてハックなんだ、ってことかなあ。ほっとくと個人の権利はシステムに侵食されちゃうから守ろう、ってハックはイケてるけど、責任なんてめんどくさいからシステムに丸投げだ、ってのはイケてない。私の中では。

Tag: 生活

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