2010/10/16
『食堂かたつむり』(Rinko's Restaurant)
ハワイ国際映画祭でかかっていたので観てきた。 ネット上の評判があまり芳しくないのでちょっと心配だったのだけれど、 早いうちに「お約束」を飲み込んでしまえば楽しめる映画だった。
ちょっと留保つきの言い方になっちゃうのは、 監督のやりたいことはわかるんだけど、 それに実写映画というのは適切なメディアなのかなあ、という疑問が拭えなかったから。
以下、若干ネタバレ。
「お約束」とは、この映画では生身の人間や現実の持つ「生臭さ」を一切描かない、ということ。 例えば料理のシーンでは食べ物のおいしそうな香りが感じられるのに、 長年放置された物置のカビ臭い匂いとかペットの豚の小屋の饐えた匂いなんかは 全く漂ってこないとか。登場人物がオフシーンで「汗水たらしている」感じを 徹底して排除しているとか。そのせいで時に芝居がひどくちぐはぐに見えることがあるが、 物語の要素を記号的に考えると筋が通っているから、監督の意図的な選択なのだろう。 端的なのがエルメスと鳩の処理で、記号的に考えれば物語上の必然はあるのだけれど、 それに対する主人公の芝居はばっさり省かれてる。
ある意味、連作もののマンガを読んでいるような気分。 表現としてのマンガが良い悪いというのではなく、生身の肉体が無いマンガという 媒体には記号化による構成がしやすいという性質がある。 それはそれで、そういう表現で語れること、というのはあると思うから悪いことではない。
ただ、実写映画では生身の人間が映ってるから、観る方はついつい記号の下にある 肉体を探してしまう。視線から発する、あるいは肌から立ち昇るシグナルを捜そうとしてしまう。 映像的/脚本的なシチュエーションと役者の肉体の言語に齟齬があると落ち着かない。 そのことに監督はどのくらい自覚的であったのだろう。 映像センスから中島哲也に例える評も見たけど、役者の肉体の扱いという点ではかなり違うと感じた。
とはいえ、監督のやりたかったであろう表現については高い完成度で 仕上がっていて、これはこれでありだと思う。 記号的とはいっても、よくある邦画の駄作のように登場人物が単なる駒になっているのとは違う。 役者の肉体は確かにそこにあり、だからシーンとしてはきちんと成立しているのだ。 ある側面がすぽんと欠落しているだけで。 それが悪いことなのか良いことなのか、判断に迷う。 私が見たいものはそこに無かった、とは言えるけれど、 こういうのを求めている観客もいるのだろうし。
監督の富永さんは高校の演劇部の後輩で、当時から作・演出を手がけていて、 そういえばあの頃からファンタジーと現実を巧みに交錯させていた。 あれから20年、あの頃蒔いていた種が見事な樹になったのだなあ。 今度どういう作品を見せてくれるのか、楽しみではある。
Tag: 映画
とおる。 (2010/10/20 01:26:35):
shiro (2010/10/20 09:41:01):