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2011/02/12

教養の効用

On Off and Beyond: 国際人として必要な教養とは(IT業界版)

よく「国際エリートは教養が必要だ」、「日本の歴史や文化をよく知らずして国際人になれない」みたいなことを目にする。

ちょっと聞くと、そりゃそうだ、という気がするが、ホンマかいな。

が、しかし「国際エリート」というのがなんなのかよくわからないので、私の身の回りの観察に基づき、「シリコンバレー的インターナショナルなIT業界」で必要な教養知識は何かを考えてみた。

「国際エリート」はどうかしらないけど、フツウの人にとって教養というのは、 だいたい次の3つの役目があると思う。多分、必要度もこの順番。

  • 楽しむためのツール
  • 理解のためのツール
  • 主張のためのツール

まず第一に、 教養とはハイコンテクストなコミュニケーションを楽しむためのものじゃないかなと思うわけだ。 ここでコミュニケーションとは会話に限らず、作品の鑑賞や製作も含めた広い意味で。 適当な日常会話だけなら話題のドラマや最近のニュースでコンテキストとしては十分かもしれないけれど、 小説や映画は過去の作品を踏まえているし、現在の出来事だって過去の歴史の結果として起きている わけで、ある程度時間的に広い範囲の知識を知っておけばより深く楽しむことができるというわけだ。

この目的だと、参加するコミュニティに合わせて必要な教養というのが決まることになる。

『ハッカーになろう』 あたりを読むと、USのハッカーコミュニティでは SFとか音楽が基礎教養だった時もあったようだ。 最近はあんまりそうでもない感じはある。 意外にあなどれないのが聖書。 最多発行の書物だけあって、有名な文句がパロディで使われたりすることはちょくちょくある。 別に知らなくても情報のやりとりに不自由はしないけれど、知ってればより楽しい。 (例: "A Brief History of Hackerdom"の冒頭とか。 まあ、この程度の遊びなら別に聖書を読み込んでる必要は無いし 「教養」とまでは言えないかもしれんけど、 翻訳とかしようと思ったら知ってた方がいいようだ。)

あーでもこういう文化ってMITとかあっちの方発祥だったりするのか。 西海岸では薄まってるのかも。

(ハッカーは関係ないけど、スティーヴン・キングの小説もわりとキリスト教の 背景があると思うな。『グリーン・マイル』について 以前書いたもの。 ネタバレ有りなので注意!)

第二の理解のためのツールとは、バックグラウンドが違う人間同士で話していて、 相手の振る舞いや発想がどこから出てきたんだろう、というのを理解するのに、 相手の文化を知ってると役に立つ、ということ。

異文化コミュニケーションに慣れた人は、自分の出身からくるアンビエントな影響を なるべく切り離して自分の意見を表明するから、そういうコミュニケーションだけしてるなら あんまり関係ないんだけれど。 「うまく言葉にできないんだけど、何となくこう感じる」あたりに 踏み込んで行こうとすると、相手も意識していないかもしれない背景が関わってくる。 あと、人によってこだわるところが違うときに、なぜそこにこだわるのか、 なんて部分も、コンテキストと切り離しては考えにくいものだ。

純粋に技術的な話の時は気にしなくても良いけれど、 ユーザ体験だとか、外観のデザインだとかには多分関係してくる話じゃないかな。

この目的だと、相手に合わせて必要な教養というのが決まることになる。

で、その裏返しが第三の点。自分はなぜそこにこだわるのかとか、 自分の主張がどういう背景に裏打ちされているのか、といったことを説得力を持って 説明するには、自分のその「感覚」がどこから来ているのかを知っといたほうがいい。 日本の文化やら歴史やらっていうのは、ここにきて役に立つんじゃなかろうか、ってこと。 Paul Grahamのエッセイだって、いろんな分野から 引用してきてるところでなんか説得されちゃう気がするし。

尤も、自分も日本文化のバックグラウンドにある仏教やアニミズムについて 説明することになった経験は多々あるけど、だいたい漫画や小説から仕入れた 2次的知識だったりするから、それを教養などと呼ぶのはおこがましいかもな。 まーでもそういう経験してればだんだん興味も持てるもので、 哲学系の本はアメリカ来てから結構増えたような気がする。 日本で学生やってた頃はあんまり興味無かったんだけどね。

この三つの目的って、だいたいこの順番に役に立つ。 コミュニティ共通の文化をすっ飛ばして日本の文化や歴史に詳しくなっても、 それに誰も興味を示してくれなかったら意味ないし。 だもんで、「まず外に出る前に自国の歴史をばっちりやるべき」とかいうのは ちょっと違うかなあと思う。全く何も知らないと興味の持ちようもないから 困るだろうけど、大枠を知ってればあとは興味の出たときに掘り下げるんで 良いんではなかろうか。

Tags: 生活, Communication

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