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< 理解と表現 | らむ太と透視画法とunlearning >

2011/04/29

数字が独り歩きするのは困る、という危惧はわからんでもないのだけど、 だから数字を見せない、という方向よりは、 数字を読むには、読む力が必要だってことを広く知らせる方が長い目では良いんではないか。 理想論だとは思うけど。

いろんな計測器が比較的簡単に手に入るようになって、自分で測れると、自分で測ったのだからこの数値は確かだ、と思いがちかもしれない。あるいは直接の知人が測ったから、とか。 数値そのものは確かに事実なんだけど、数値ってのは現実に起きていることの一つの影でしかないわけで、その影の実体を見極めるのは、数値の読み手に任されている。

きちんと読むにはそれぞれの分野の専門知識が必要になるから、皆がみんな読めるようになるなんて無理だし、その必要もない。ただ、「きちんと読むためには他に必要なことがある」といったメタ知識はわりと普遍的だし、それは義務教育期間くらいでも教えられるんじゃないだろうか。ごく基本的なこと、たとえば一点だけのデータっていうのはほとんど意味がないとか、測定器には誤差や限界があるとか、測定方法にも影響されるよとか、その程度でいいんだけど。

殊に、異常時になると数値に興味が集まるけれど、その数値の何がどう異常かをわかる人ってのは平常時の数値を見慣れている人だけなんだよな。普段から何らかの数値を触っている人なら共有してる、普遍的なメタ知識だと思うけど。だから自分の専門外の分野でぽんと異常値を見せられたら自分の判断は保留して「その分野の数値を普段から触っている人に聞く」というのが一番。それができない事情がある時は「暫定的に」自分でできる範囲で解釈するしかないけど、あくまで仮の解釈。

専門家が目安として「平常時の数値はこのくらい」ってのを公表してるものについてはそれと比較はできるけど、目安は目安であって、そこから外れる理由ってのはいくらでもある。何を平常時とみなしているか、という条件もある。平常値から外れてたら「やばいかもしれない」ということまではわかるけれど、何がどうやばいかの判断は簡単ではない。

何も「素人は黙ってろ」とか言いたいわけじゃなくて、この機会に色々勉強してみるってのは良いことだし、大っぴらに議論するのも良いことだけど、どっかでその限界の「感触」も持っておくべきで、前者が出来る人は限られるにせよ、後者については一般的なリテラシーにならないかな。今すぐどうにかなるものでもないとは思うけれど、数字は隠そうと思って隠せるものでもないし。専門家の人が地道に発してくれている情報を広めてゆくのは必要として、その前提となるメタ知識、数値とその解釈は別ものだよっていう話もそれはそれで地道に広めてかなきゃならないのかもしれないなあ、と感じたりする。

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昔、芝居で医者の役をやった時に医学書とか読んでみたんだけれど、症例の写真とか、異常なものだけ見てもわからんわけだ。レントゲンなんて、あんなもやもやした映像でここが異常だとマークされてたって周囲のもやもやと区別つかん。正常のと異常のと並べてあればああこっちがいかにも異常っぽいなあと思うけれどそれだってそういう「解釈」があらかじめ与えられてるからそうわかるだけで (しかも例は一番わかりやすいものをそれぞれ持ってきてるわけで)、比較対象なしにぽんと一枚見せられたら絶対わからない自信がある。

ちょこっと勉強したくらいでレントゲン一枚見て解釈ができるって思っちゃう人はいないだろう。でも数値ってのは具体的だし大小関係くらいは誰でもわかるから、つい解釈できると思っちゃう落とし穴が大きいのかもしれない。

リテラシーというか基礎教育という意味では、「わかる」「わからない」の二分法じゃなくて、「ここまではわかる。ここからはわからない。」という判断ができるようになることが重要ってことになるのかもしれない。初等教育では後者が強調されてない気がする。

Past comment(s)

Yuki Shiino (2011/04/30 09:43:16):

学校教育では成功する実験/測定しかやらないのも問題かも知れない. 測定と解釈の難しさを学ぶためには, 小中学校では到底成功しないようなものに挑戦してみることも大事かも.

大学で実験終了後に誤差の計算をしていたら, 測定機器の精度が全く足りないことに気付かされたことを思い出しました.

shiro (2011/04/30 10:13:23):

ですねー>成功する実験。あと、「正解に到達できたか」が評価軸になっちゃってるとこ。

誤差評価や測定条件の重要性については大学で実験系科目を取れば叩き込まれますし、「重要なのは、適用範囲を明らかにすることだ」というのも研究室配属になってから教わりました。でも、そこまで厳密じゃなくていいんで、「ひとつの評価軸の、ここから先に到達できたらマル、そうじゃなければバツ」という考え方から一階層上がった、「ある評価軸があって、どこまでわかってどこからわからないかという境界を見つける」っていう活動はもっと小さいうちから出来るんじゃないかなと思うんです。

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