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< ピアノレッスン 2回目 | 素人の自由な発想 >

2011/05/12

リスクを巡るすれ違い

坂本龍一のこのtweet、たくさんretweetされているから共感を呼んだのだろう。

http://twitter.com/skmt09/status/68031808876462080

@skmt09: とうとう本音を言ったね!RT @neneyu: @SeiichiMizuno 山下教授フジテレビ今朝のトクダネで「20ミリを引き下げたら、避難させなければならないでしょ。これだけ大勢の人を、あなた何処に避難させますか?」(大意)と宣いました。

「とうとう本音を言ったね!」 この発言には、二つの見方があり得る。

字面だけを見るとこの発言はちと妙だ。 確率的なリスクへの対応は、コストとのトレードオフだ。 基準を厳しくすればコストは上がる。緩めれば下がる。 現実的に、このくらいのコストでこのくらいのリスクなら受け入れましょう、 というところで基準が決められる。 だから、「これ以上引き下げたらコストがかかりすぎる」というのは 別に隠されていた本音でも何でもない。 20mSvに決めた、ということは、決めた人間は安全とコストのバランスをそう判断したということと同値だ。 「いやその計算はコストを高く見積もりすぎ」とか「リスクを低く見積もりすぎ」とかいう議論は できるだろうけれど、 既に明らかに述べられている事実を別の言葉で言っただけのことに対して 「とうとう本音を言ったね」というツッコミは 「今更何言ってるんだ?」ってことになる。

でも、教授もRTしている人も、リスクとコストがトレードオフだなんてきっとわかってる。 行政がリスクのその点に線を引いたということは、コストでも線を引いたということを包含する、 それは論理的に正しいけれど、ポイントはそこではないのだ。 見積りの多寡について議論はできるにせよ、最後にはこの問題は政治的決着をつけるしかない。 つまり、どう切っても不満が残る問題を、決断を任された人がえいやと切るしかない。 大事なのは納得できる人を最大化することだ。 それには、決断した人が、切り捨てられた人の不満を正面から受け止めるしかないと思う。 あなたのこれ以上の安心のためにこれ以上の金はかけられないと判断したのだ、 どうか呑んでくれ、と明白に口に出すことだ。

もちろんそれで全てが免罪されるわけではなく、むしろそこが出発点で、 そうはっきり認めることで、じゃあそのバランスを具体的にこういじれば改善できるんでないの、 という建設的な話ができるようになる。 口に出すことは、そういう話にも真剣に向き合いますよ、という決意表明なのだ。

「とうとう本音を言ったね!」という言葉が出てくる背景には、 決断する責任にはっきり向き合おうとしない者への不満がくすぶっているのではないか。 ただちに健康に影響はない、タバコの方が危険が高い、それらは事実であろう。 けれども、皆が知りたいのは事実だけではないのだ。その上で執行する者たちの、姿勢こそを知りたいのではないか。

一方は、事実をいくら説いても納得されない、もっと噛み砕いて説明しなければ、と考え、

もう一方は、既に知っている事実ばかり並べて、肝心の姿勢についてはぐらかしている、と感じる。

これで平行線になってることが、多々あるように思う。

(このエントリは『リスクをめぐる専門家たちの"神話"』に触発されて書いた。2002年の文章だが、今の現実を述べているかのようだ。)

Tag: 社会

Past comment(s)

nobody (2011/05/12 10:06:48):

日本の世間一般では「テレビに出てくる専門家は『大丈夫』としか言わない、信用できない」という空気が流れています。 実際、リスク判断以前にそういった判断の基準となる情報を説明せずに「大丈夫」としか言わないわけですから、誰も信用しないし「本音を言ったね!」という反応になってしまうんだと感じます。

たかしな (2011/05/12 10:12:13):

ずっと思っていながらうまく言えなかったことを言ってもらえた!なるほどなるほど。全く同感です。

たかしな (2011/05/12 12:30:20):

あまりにも共感したので、このエントリを紹介したいのですが、何か注意事項はありますか?(「Twitterだけは勘弁してくれ」とか)

さとお (2011/05/12 14:07:08):

なるほどね。 昨今の混乱は、政治的な決断の根拠が甚だ不明なところと、決断の責任がうやむやになっているところなんだと思います。

shiro (2011/05/12 19:37:30):

@たかしなさん: 特に無いです。

私自身、決断しなければならない立場に立たされた時にきちんと向き合うことができるかどうかと問われるとわからないです。でも、自分は正しいことをしていると信じていて、でもいくら説いても通じないのは、実は見るべき領域が違っていた(相手が知りたいこととは関係ないことを力説していた)、って苦い経験はあるんで、常に振り返ってチェックしていきたいですね。

けも (2011/05/13 00:09:56):

いや、ポイントは、リスク評価でなくコスト評価のみで 20m って決めた事でしょ。 リスクとコストの評価はそれ以前に存在し、その上限値を持ってきただけ。しかもそれを乳幼児にまで適用、っと。 後出しで基準値を恣意的に改定/運用する、その姿勢こそが問題なんではないか、と。

shiro (2011/05/13 04:42:40):

けもさん: 上限値を持ってくるっていうのもひとつの決断ですよ。決めた人は、上限を持ってきても許容されるリスクと判断したってことでしょう (マージンが狭くなるだけ)。また、コスト関数は状況によって変動するので、当然時が経てば変化するでしょう。コスト関数が変われば、リスクが変わらなくても基準は変わり得ます。論理的には。

「フェアな競争をするためのルール」ならば、競技が始まってから変えるのはアンフェアです(ここではスポーツだけでなく市場など広い意味でのゲームを含みます)。けれども、何らかの危険が迫っている時の避難基準、というのはゲームではないので、「状況が変わった」「新たな事実が出てきた」「前の見積りは甘いことがわかった」などの変化があれば後から変えざるを得ないことはあるでしょう。もちろんころころ変えてたら混乱するから、「混乱するからもっと落ちついて決めなよ」と批判することはできますが、後から変えたこと自体は非難の対象になり得ません。論理的には。

で、「20mSvと決めた」ということは、「上限値でもマージンがあると判断しました。コスト関数が変化したので基準値も変えました。」っていうことを包含しているわけです。それは言うまでもない。

でも、だからといって納得できないでしょう、ということなんです。そのリスクは許容できるのか、そのコスト見積りは正しいのか、について、決めた人はちゃんと検討したのかとか、何か隠してないのかとか、都合の良い事実だけ見て都合の悪い事実は捨ててるんじゃないかとか。そう思っている人に対して、決めた人がただ「リスクは許容できます」とだけ繰り返しても永遠に平行線だろう、というのがこのエントリの趣旨です。

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