2011/11/11
混合診療と皆保険
USでは薬にせよ治療にせよ「それは私の保険でカバーされますか? カバーされないとしたら、 代替手段は何がありますか?」って聞くのが普通で、別にそれで不自由も感じてないので、 日本で混合診療が禁止されてる理由について、実はこれまでよく理解していなかった。
今までの理解はこんな具合:
よく言われるのは「金持ちと貧乏人で受けられる治療に差が出る」ってことだけど、 基本的な治療は皆保険でカバーされてるわけで、差が出る部分ってのはそれ以上の部分でしょう。 今まで受けられていたのが受けられなくなるのは困るけれど、金持ちが自分の金を 好きに使う分には勝手に使ってもらって構わないんじゃないかなあと。「差」というのは、 その下限が下がるのは大問題だけど、上限が上がるのは問題ではない。
日本医師会の混合診療ってなに?の ページでは、混合診療の問題として次のようなことが上げられている。
http://www.med.or.jp/nichikara/kongouqa/qa/03.html
一見、便利にみえますが、混合診療には、いくつかの重大な問題が隠されています。例えば、次のようなことです。
(1)政府は、財政難を理由に、保険の給付範囲を見直そうとしています。混合診療を認めることによって、現在健康保険でみている療養までも、「保険外」とする可能性があります。
(2)混合診療が導入された場合、保険外の診療の費用は患者さんの負担となり、お金のある人とない人の間で、不公平が生じます。
(3)医療は、患者さんの健康や命という、もっとも大切な財産を扱うものです。お金の有無で区別すべきものではありません。「保険外」としてとり扱われる診療の内容によっては、お金のあるなしで必要な医療が受けられなくなることになりかねません。
このうち(2),(3)には説得力を感じない。皆保険でカバーされる範囲が変わらなければ、上限が上がる分の「差」はアンフェアではないし、「必要な医療」をカバーするのが皆保険だとしたら(3)は何を言っているのかよくわからない。多分、これらの前提になっているのが(1)で、(2)(3)は「(1)が成立した場合」の危惧を語っているだけだ。レイヤの違うものを並べて問題点を多く見せるというのはあまりフェアでない書き方ではある。で、肝心の問題点(1)なんだけど、これが正当な危惧かどうかを判断する知識がない。政府に保険の範囲を減らしたいという動機があるのはわかるけれど、それなら直接保険の範囲を増やすようなカウンターバランスをぶつけるのがわかりやすい。混合診療禁止は間接的にしか作用してないんじゃないかなあ、と。
理屈はわかるんだが、現実にどういうプレーヤーが参加しててどういうバランスになっているのかわからないので実感がわかない、といったところ。
で、長くなったけど、ここまでが今までの理解。
混合診療の解禁は国民皆保険制度を如何に壊すのか? という記事を読んで、少し理解が進んだ。
この記事の要点は (私の理解した範囲では)、「混合診療解禁によって現在の保険適用範囲が変化しなかったとしても、将来の新しい治療を保険適用にしようとするインセンティブが薄れるため、結果的に皆保険範囲で受けられる治療が(混合資料禁止であった場合に比べて)相対的に低下してゆくことが予想される」というもの。
実際の市場規模やら売上やらが、自由診療ならどのくらいで、保険診療にするとどうなるのかっていう具体的な数字を知らないので、判断はできないけれど、少なくとも今まで見た混合診療禁止の理由としては一番説得力があるなと思った。
そこでようやく思い至ったのが、混合診療禁止ってユニオンの "Global Rule One" と同じ構造なんだな、ということ。
USの俳優やスタッフのユニオンには "Global Rule One" と言われている大原則がある。
- ユニオン加盟俳優/スタッフは、ユニオンと契約したプロダクションでしか仕事してはいけない
- ユニオンと契約したプロダクションは、規則で認められた例外を除いて、非ユニオン俳優/スタッフを使ってはいけない
(ここの「プロダクション」は個々の映画や番組の製作のことで、俳優が所属する事務所のことではない)
これによって、製作者はユニオンと契約して労働条件等を守らない限り、ユニオン加盟俳優/スタッフを使えない、つまりプロの俳優/スタッフを使えないということになる。自主製作ものやローカルのCMでない限りそれは不可能なので、労働条件を守るしかない。Global Rule Oneは条件の下限を保証するためのcollective bargaining (日本語でなんていうんだろ? 団体交渉?) の大前提なのだ。
組合のこういう縛りについては、確かに自由競争とは逆の面があるんだけれど、自由競争に任せた場合に下限が限りなく下がって行く場合 (タダでも映画に出たいという人はいくらでもいるので、自由競争下では賃金は限りなくゼロに近づく) には必要なことだと思う。
つまりこの構図では、一方の当事者Aはできるだけ下限を下げたいというインセンティブがあり、Bは下限を保証したいという欲求がある。で、自由にしてるとAの方が立場が強くてどんどん下がって行くから、Bが団結して「all or nothing」の縛りを切り札にすることで、下限保証を飲ませる、というわけだ。
さて、混合診療禁止が、基本的な医療の下限を保証するためのcollective barganingの切り札だとして、では誰が誰に対して交渉を突きつけてるんだろう。単純に考えると、Bは医療を受ける国民全員で、Aは医療ビジネスってことになる。日本医師会が言うところによれば、政府も医療補助をなるべく削減したいということでAの立場になりそうだ。すると、現実の交渉でBの立場に実際に立っている人/団体ってのは誰なんだろう。日本医師会は医者の代弁者だしな。国民の代表というなら代議士? 実際に保険適用範囲を決めているのは厚労省だと思うんだけど、厚労省自身は政府の組織なので、Bの立場には立てない。審議会があって民間の識者が議論するんだろうけど、審議会は厚労省・政府と対等の立場で「国民を代表して交渉」できる権限を持たされてるんだろうか。もうちょいそのへんが分かれば、全体像が理解できそうな気がする。
(追記2011/11/12 21:22:40 UTC): 上でリンク貼ったblogに追加のエントリがあった: 混合診療の解禁をゲームの理論っぽい観点から考えてみる。この説明だと、「国」が国民代表(B)として、Aである医療関連企業と交渉する、っていうことになる。それはそれで整合性があるけれど、日本医師皆は「政府は皆保険範囲を縮小したい」って主張してて、それだと「政府」はA側にいることになる。このへんがよくわからん理由なんだよなあ。「国/政府」をひとつの主体と見なしてしまうと利益相反が生じる。まあ、仕組み的には、国会でそれぞれの権益の代弁者が議論して落としどころを見つけて、政府はそれを淡々と実行するのみ、っていう形になるべきなんだろうけれど、そうなってるのかなあ。
(追記2011/11/12 22:07:19 UTC): TPP締結による国民皆保険制度の崩壊について - 発声練習
上の記事をみるかぎり、オール or ナッシングを医療行為でするのは良くないのではないかと思う。Googleで混合診療への反対意見を読む限り、その本質は「政府(厚労省)不信」にあるのだと理解した。
そうそう、私もそういう印象は受けていて、それだと政府/厚労省がAで、国民にとっての条件を悪くするような方向にインセンティブを持っているので、Bが混合診療禁止を切り札に団体交渉をして条件を決める、という構図になる。このBに当たるのはどの組織なのか、なんだよなあ。それは厚労省ではありえないわけだし (交渉のテーブルの両側に座ることはできない)。
あと、"Global Rule One" もそうだけど、all or nothingの切り札ってのは強力ながら、自分自身を賭けに出すような最終兵器でもある。それを医療行為に使って良いのかって議論も確かにあり得る。ユニオンならそれは各メンバーが覚悟を決めてコミットするからいいんだけど、医療保険は加入者にコミットメントを求めるようなものではないからなあ。
horiguchi (2011/11/12 06:41:19):
えんどう (2011/11/12 16:06:36):
shiro (2011/11/12 21:02:21):
えんどう (2011/11/13 02:16:33):
shiro (2011/11/13 05:41:41):