2011/11/15
歳を取ると時間が速く過ぎるのは、新しいことに挑戦しないから?
「子供の頃、1年があんなに長く感じられていたのは、全てが新鮮な体験だったから。 大人になって1年が飛ぶように過ぎてゆくのは、繰り返しで新しい情報が少ないから。」 というようなことは良く言われる。 そこから、「常に新しいことを体験していれば、時間は速く経たない」という主張がある。
私も昔はそう思っていたんだけど、最近はその説に疑問を抱いている。正確には、 「繰り返しの日常で新鮮な体験が少なければ、年月の過ぎるのが速い」というのは正しいが、 年月が過ぎるのが速く感じる要因が他にもいくつかあって、それぞれ無視できない影響力があるので、 「常に新しいことを体験していれば、時間は速く経たない」とは言えない、と思っている。
実際、この歳になると、時間の経つ速さは恐ろしい程だ。 今年がもう残り1ヶ月半なんて信じられないし、 子供が産まれてから今まで一瞬だったような気がするし、 アメリカで暮らし始めた時のことは昨日のように思い出せる。
けれども、じゃあその一瞬のうちに何もしていなかったかというとそんなわけはなくて、 一つのトピックのことだけを考えると、逆に一ヶ月前、一年前が遠くに感じられるのだ。 ピアノレッスンをとり始めたのはほんの半年前だけど、 もっとずっと昔に思える。 アメリカで芝居を再開してから今までのことを考えても長い時間を感じる---初めてオーディションに受かった時の思い出は、 アメリカに引っ越してきてがらんとしたアパートメントに寝袋で寝ていた思い出よりも前の記憶のようだ。 Gaucheの開発だって、もう10年になるけれど、ずいぶん遠くへきたもんだ、と思う。
長く感じる時間軸の共通点は、ずっと続けていて、変化し続けていることだ。 おそらくその連続する記憶が、変化を目盛とした物差しの役割を果たすことで、 そのトピックに関する出来事を適切な遠近法で配置できるからなのだろう。
一方、現在と連続しない出来事や、繰り返しの中に位置づけられる出来事は、 適切な距離感を持てない。すると、特定の出来事を思い出せば、いわゆる「望遠鏡効果」 によってその出来事がひどく近くに感じられ、 間の時間が瞬く間に過ぎ去ったような錯覚を覚えるのだろう。
月日の経つのは夢のうち、と感じる時は、その間に自分が為した膨大なものごとについて忘れてるわけだ。
子供時代は、自分の身体の成長だとか、学校という存在が、かなり強固な物差しの役割を 果たすため、人生のイベントを一次元の目盛に並べやすいのだろう。 大人は自分の生活を細分化してたくさんのことを並行して進めるから、 物差しがひとつで無くなるわけだ。それぞれの物差しの中で充実した時間を 過ごすことはできるけれど、ふと物差しを手放した時に、月日が一瞬で過ぎ去ってしまったように感じることだけは、いかんともしがたい。
もっとも、この物差し理論では、毎日見てる自分の子供の成長が一瞬に感じられる説明はつかないなあ。 これはどっちかというと、子供の成長が速すぎてこちらの感覚がついていかない、ってことかもしれん。
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茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの「新しいことに挑戦すると、それだけ濃密な時間を過ごすことができる というtogetterを見て、書こうと思ってたネタを思い出したんで、書いてみた。
もちろん、主観的な時の経過の説明はこれだけではなく、様々な要因が混じり合っている。 そのものずばり、『なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか』という本があって、 色々な要因が紹介されている。もっともこの本、「あれもある、これもある」って 感じでひたすら要因が列挙されてるだけで、スパッとした答えが出るわけじゃないので あまり強い印象は残らなかったんだけど、読み返してみたら上で書いたようなことは ちゃんと検討されてた。
Tag: 生活
えんどう (2011/11/15 16:08:30):
T.Watanabe (2011/11/16 09:07:52):
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平山直行 (2015/08/29 04:31:19):
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瀬戸口清文 (2018/04/14 23:26:33):
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shiro (2023/03/14 12:33:01):