2012/04/07
評価経済とか贈与経済とかって言ってる人が、 『ノウアスフィアの開墾』を参照してるのを見ない気がするんだけどどうしてだろ。
贈与経済というのは、要するに自分のところに来たものは退蔵しないで、次に「パス」するということです。それだけ。
贈与がうまくゆかないのは、贈与経済そのものが荒唐無稽な制度だからではありません。そうではなくて、贈れるだけの資産をもっている人たちが、それにもかかわらず贈与を行うだけの市民的成熟に達していないからです。
こんな与太話 (「みんなこうすればいいんです。それだけ。」で世の中変わるならそんなに楽なことはない) よりも、 Eric Raymondの14年前の論文の方がずっと、贈与の文化の成立する条件についてきちんと分析してると思うんだけど。
市民的成熟なんてあてにしないでも、「独占するより贈与する方がトクになる」のであれば、自然にみんな贈与するようになるって。 目先の欲望よりも「将来的にトクになる」ということを見通せる能力を、 後から振り返って「市民的成熟」と称するようになるだけ。順番が逆。
Tag: 社会
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