2012/06/25
額に汗して
将来の経済的優位性でもって学習意欲を「釣る」のは間違ってる、という内田先生のいつもの 主張に意を唱えるものではないけれど:
額に汗して働いてちびちび稼ぐ人間より、キーボードをかちゃかちゃ叩いて数分で何億円も稼ぐ人間の方が「賢い」というルールで「世間」が動いているときに、子どもたちが「なぜ、自分たちだけは違うルールを適用されるのか」と抗議してきたときに、彼らに学習することの「本質的なたいせつさ」を説くことのできる人間はいない。
このくらいの世代の人って良く言うね、「額に汗して」。 多分この言い回し、よく考えないで反射的に出ちゃうんじゃなかろうか。 内田先生の文章の中で、上の引用部分前半だけが奇妙に浮いている。
こんな小咄を思い出す。
ある会社に、壊れた機械なら何でも直せる優秀な技術者がいた。 彼は定年まで勤め上げ、引退した。数年後、その会社から連絡があった。 何百万ドルもする大型機械のひとつが動かなくなり、現在のスタッフが どう頑張っても直せない。どうか見てくれないか、という。
老技術者はしぶしぶ古巣に出向いてゆき、一日機械を調べ回ると、 ある部品に小さくチョークで×印をつけた。「ここがいかれてるね。」 現役社員がその部品を取り替えてみると、果たせるかな、機械は 何事も無かったように動き出した。
数日後、会社に老技術者から請求書が届いた。「修理費:5万ドル」とある。 おどろいた会社はその詳細内訳を要求した。老技術者の答えは簡潔なものだった。
「チョークの印ひとつ:1ドル。どこにその印をつけるか知っていること:4万9999ドル」
キーボードをかちゃかちゃ叩いてものすごい額を稼げる理由はふたつある。
- 運
- どのタイミングでどのキーを叩けば良いか正確に知っており、それを叩く権限を有していること
宝くじを当てるのに才能は要らないように、純粋な運のみで一山当ててしまう人は確かにいるけれど、 大成功譚の多くは「運がきた時にそれを掴む準備が出来ていたこと」に由来する。
「額に汗」と「キーボードかちゃかちゃ」を比べる人は、準備に流した汗を見ていない。 ついでに言えば、大汗流して準備して、 結局運に恵まれず消えて行った大多数の人のことも考慮しない。
子どもたちが「なぜ、自分たちだけは違うルールを適用されるのか」と聞いてきたら、 大人はちゃんとこういう仕組みを教えてあげられないとならない:
The myth of overnight success - Chris Dixon
Angry Birds was Rovio’s 52nd game. They spent eight years and almost went bankrupt before finally creating their massive hit.
「ビジネスマンの論理を教育に持ち込むと、子供は学習を費用対効果で測るようになる」という 内田先生の議論は正しいけれど、その「ビジネスの論理」は狭すぎるように思う。 所与のルールの中で他人より優位に立つこと、がゴールであれば確かにその通りだけれど、 ビジネスの世界だってもっと重要なのは「ルールを変えること」の方だ。
私はむしろ、子供のうちに「システムの裏をかく」ことを奨励した方が 良いんじゃないかとさえ思う。サンドボックスを作って、 その中で「キーボードカチャカチャで大儲け」してみろ、とけしかけるのだ (株のシミュレーションをやれ、というわけじゃなくて、校則の抜け穴を探すとか、 成績評価の抜け穴を探すとか)。 そうすると、表面的な成功/失敗は特定のルールに依存したものであることがわかり、 ルールを相対化して考えられる。なぜそのルールが出来たのかの根本に戻って、 より良い(よりおもしろいとか、より多くの人がハッピーになれる)ルールを考える、 という一段メタなゲームに挑戦できるようになる。 (それをやってみて初めて、今残っているルールがいかにうまく考えられているかがわかったりするし。)
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Tag: 教育
kilin28 (2012/06/26 11:38:38):
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