Island Life

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2012/09/21

ある女優の手紙

イスラム圏で激しい反米運動を引き起こしている映画『イノセンス・オブ・ムスリム』 について数日前に書いたが、 この映画の話(偽の脚本で撮影して編集で全く違うものにする) を聞いた時に感じたことについては、あまりうまく言葉に出来なかった。

表現というものには大なり小なりあることだが、特に芝居を創る過程では、 人間が自分を守るために身につけたガードを捨てることを要求される。 それはまるで、 誰かが下で受け止めてくれることを期待して、目隠しして絶壁から飛び降りるような行為だ。 そのために、現場には絶対的な信頼が必要だ。脚本家を信じ、 演出を信じ、スタッフを信じ、他の役者を信じ、自分自身を信じる。 これが大前提だ。

この映画の製作は、その前提をひっくりかえす行為で、芝居に関わる者としては、 あまりに衝撃が大きすぎて「それをやられちゃおしまいだよ…」と弱々しく笑うくらいしかできない。 知り合いのアクティングコーチに「こういう罠を避けるにはどうしたらいいだろうか」 と尋ねたら、「そのために組合があるんだ。組合と契約したプロダクションなら こういうことを起こさせない仕組みがある」とは言っていたけれど。

折しも、Neil Gaiman's Journal に、 まさにこの映画に出演した役者からの公開書簡が掲載されているのを読んだ。 色々思うところがあったので、本人 (Anna Gurji) の許可を得て訳出しておく。

原文は http://journal.neilgaiman.com/2012/09/a-letter-from-scared-actress.html に掲載されている。 (なお、本blogはCC-BYライセンスだが、以下の訳出部分についてはCC-BY-NC-NDとする。)

『イノセンス・オブ・ムスリム』として知られることになった映画について、 真実を知りたいと思う方は、どうかこの手紙を読んでください。 私、アンナ・グルジはこの映画に助演女優のひとりとして出演しました。 この映画で何が起きたのかを伝えたいと思います。

一年前、2011年の夏、私はExplore Talentウェブサイトにあったいくつもの プロジェクトに私の履歴書や写真を送りました。『砂漠の戦士』という映画の キャスティングディレクターから電話があり、オーディションの日付が決まりました。 私はヒラリーという役にオーディションしました。数日後、二次審査(callback)に呼ばれ、 それも受けました。さらに数日後、『砂漠の戦士』なる映画のヒラリー役に受かったことが 知らされました。

映画の撮影は2011年8月に、カリフォルニアのドアルテにある スタジオで、グリーンバックを使って行われました。 プロジェクトは低予算の、長編インディーズ映画でした。

私が役に受かったことを知らされてから撮影まではあまり日がありませんでした。 脚本は事前には送られて来ず、撮影現場に着いてから私の役が出るシーンだけが渡されました。

こういうことは前にもあったので、特におかしいとは思いませんでした。 以前やった映画では、台本は外国語で書かれていて、 私の役の部分だけが英語に訳されており、私は自分の出演シーンだけを受け取ったのです。 その経験があったので、『砂漠の戦士』でも同じような事情なのだろうと 思いました。プロデューサーであり脚本も書いたとされる(サム・バシルと呼ばれていた)人物は 訛りからしても外国人でしたので、きっと元の脚本は彼の母国語で書かれていて、 全てのシーンが英語には訳されていないのだろうと。 それと、私は『砂漠の戦士』の後すぐにカリフォルニアの外で別の映画の撮影が あったため、この映画の撮影日程も直前に変更されたのです。この急な調整のために、 私はプロダクションが当初脚本を送るのを忘れ、そして結局は全部の脚本を渡す必要が 無いと考えたのだろうと思いました。これも特に不思議だとは思いませんでした。 私は自分の役を知っていましたし、その役の背景も、映画のストーリーも知らされていましたから。

私の役、ヒラリーは若い女性で、自分の意志に反して両親からジョージと呼ばれる部族の長に 売られます。彼女はジョージの何人もいる(そしておそらくもっとも幼い)花嫁の一人となったのです。

映画のストーリーは、古代のエジプトで砂漠に彗星が落下するのですが、 人々が彗星を持つと超自然的な力を得ることができると考えたため、 いくつもの部族がそれを巡って争うというものでした。

ドアルテで私たちが撮影していた映画は『砂漠の戦士』と呼ばれ、 フィクションな冒険ドラマでした。 ジョージという役は彗星を巡って争う部族のひとつの部族長でした。

私が撮影現場にいた全ての期間で、誰一人としてムハンマドや宗教に言及した人はいませんでした。 私は、US側で製作に関わったキャスト、スタッフの誰一人として、 『砂漠の戦士』に何が仕組まれていたか知らなかったと100%確信しています。

撮影現場の雰囲気はこれ以上ないくらい友好的でした。私たちはみな、 超低予算のアドベンチャードラマを作っているんだと思っていました。 監督のアラン・ロバーツは、この低予算映画が完成したらそれをもとに 資金を得てより良いクオリティのバージョンの『砂漠の戦士』を (本物の砂漠でロケして、 あらゆるパートにもっと予算をかけて) 作るのだとさえ言っていました。

撮影現場でサム・バシルと呼ばれる人物と話したこともあります。 とても愛想が良く、丁寧で物柔らかな人で、いつでも撮影がスムースにゆき皆が満足するように 気を配っていました。彼は私に、程なくプレミア上映をやるからその時は 十分な友人や家族を招待できるチケットをくれるとさえ言ったのです。

その後、プレミアの話は(もしそれがあったのだとしても)全く聞かなかったですし、 完成した映画も (もしオンラインにアップロードされたあの短篇以外に完成したものがあったとすればですが) 見る機会がありませんでした。

アップロードされたあの映画を見てどう思ったか、皆尋ねます。

ショックでした。

何か起きたかを知って2時間後には、インサイド・エディションのインタビューを受けていましたが、 インタビューの間ずっと私は泣き止むことができませんでした。

私は打ちのめされました。

彗星が砂漠に落ちるアドベンチャードラマを作っているのだと騙されていた人々は、 ほんとうに、『砂漠の戦士』という低予算映画に参加しただけなのです。 その映画はほんとうに、彗星が砂漠に落ちて、古代エジプトの部族たちがそれを巡って 争うという映画だったのです。

私たちの顔が、全く何も知らされることなく、このようなひどいものを作るのに使われたのを 見るのはあまりに辛いです。私たちの顔が、私たちの全く知らないセリフをしゃべり (音声が置き換えられたことは明白です)、それによって人々が傷つけられたのを見るのは辛いです。 そしてこの映画が原因で人々が殺されるのも苦痛です。そのことで私たちが責められるのも。 私たちはフィクションのアドベンチャー映画、 古代エジプトの砂漠に落下した彗星を巡る部族の争いの映画のために、 俳優として演じただけなのです。 それなのに、私たち自身が、全く違う人物のように思われてしまうのは辛いです。

インサイド・エディションのインタビューでも答えましたが、私はただただ、ひどいと感じます。 私が何をしたわけでもないけれど、ひどいと感じます。

人間が、これほどの邪悪をなし得るということが恐ろしいです。 嘘と、不正と、残酷さと、暴力と、無実の人々の死と、傷つけられた人々の苦痛と、 そして誤った弾劾をひどいと感じます。

私は真実を語る以外になす術を知りません。 私は逃げも隠れもしません。隠すことなど無いからです。 そして真実を語らなければ、生きる価値のある世界などないからです。

私は旧ソビエト連邦のグルジア共和国で育ちました。 ストライキ、反対運動、デモ、不正、残酷さ、暴力を見て育ちました。 ロシアとグルジアが戦争をしていた時に、そこにいました。 寝るときも外出着を着てバックパックを離さず、爆撃があったらすぐ逃げられるようにしていました。 ソ連崩壊後、映画産業が未だに回復途上にあり、映画女優としてのキャリアの見通しが 立たないので、私は祖国を離れました。

なぜ私は芝居の道を志したのでしょう。13歳の時、短篇映画に出演する機会がありました。 私は親子の物乞いの子供で、盲目の父親が警察官によって橋から投げ落とされるという シーンがありました。そのシーンの撮影中、警官が盲目の父親を攻撃しているのを見て、 喉元まで大きな塊がこみ上げてくるのを感じました。泣き出しそうになったけれど、 私の泣き声を聞いたら父親が心配するだろうと思い、私は必死に塊を飲み込むと できる限り毅然として父親を守ろうとしました。芝居の魔法でした。 自分が登場人物に溶け込んだのです。この経験は、私を芝居の虜にしました。 どうにかして米国に渡ろうと努力を重ね、長い旅の末に、母と共に私はこの地に来ました。

役者の道を歩むのは、特に外国から来た者にとっては、すさまじく困難です。 アメリカに行きさえすればいくらでも道は開ける、と皆思います。 そんなことはありません。俳優組合に入るのも、エージェントを見つけるのも、 訛りを直すのも、そして業界に知り合いがいないところから役を得るのも、極めて難しいのです。 私は4年の間、苦しみながら、しかし決してあきらめずに、すこしづつ道を切り拓いてきました。 一年前、『砂漠の戦士』というインディーズ映画の役がもらえた時、私はとても嬉しかったのです。

ただただ、役者としてのキャリアを積みたかっただけなのに、なぜこんなことに巻き込まれたのか、 私にはわかりません。

私が役者の道を歩みたかったのは、別の人物へと変化する過程が好きだったから… それは利己的な理由だったのかもしれません。

数か月前、私は父と一緒に、世界の平和をテーマにした脚本を書き上げました。 その過程で、私は敵を許し、気にかけることを理解しました。 そして、演じることにはより大きな意味があると気づいたのです。 演技を通して、我々役者は、様々な登場人物を現実のものとすることができます。 そして観客は、様々な人物を観ることで、そういう立場の人を理解し始めます。 理解すれば、受容することができます。 受容できれば、人々は手を取り合うことができます。 人々が手を取り合えば、皆は助け合い、愛し合えるようになれるかもしれません。

1週間ほど前に考えていたことがあります。 私たちは、地球という大きな身体の、細胞みたいなものだなと。 それなら、お互いに殺しあって滅ぼし合うよりも、一緒になって助け合えばいいでしょう。 細胞がお互いを殺しあったら、身体は死んでしまいます。 いつも真実を語り、世界が平和であるように努力していれば、私たちは地球を救うことができるかも しれません。いつの日か。

私の家族は、世界にある様々な差異、特に異なる宗教についてとても寛容で、 敬意を払っていました。 私自身が育つ過程でも、様々な宗教の人々と平和に付き合ってきました。 私が信じることとは正反対の主張に、私自身の姿が利用されるのは、耐えがたいことです。

命を亡くした方々とそのご家族とご友人に心からお悔やみ申し上げます。 すべてのことには理由がある、と言われます。 この出来事は、人間性から個人を切り離そうとする、悪の罠だと思います。 私たちはくじけてはなりません。 暴力には未来が無く、それによって世界が良くなったためしがないということを忘れてはなりません。 世界を良くするのは、理解と愛なのです。

Tag: 芝居

Past comment(s)

まるこまる (2012/09/24 10:25:58):

貴重なインタビューを載せて下さって、ありがとうございます。 今回のイスラム圏での暴動について、実はあまり新聞等読んでいなかったのです。(これからもう少し勉強しようと思います。)ちょうど日本も尖閣問題で連日中国の恐ろしいデモの様子が報道されていたので、そちらにばかり気を取られていました。その中国での暴動もヤラセであった、という話があり驚いていますが、芸術行為である映画作りにおいてこのような悪意に満ちた行為がされたということは、本当に悲しいことですね。。。

shiro (2012/09/27 05:41:55):

芸術にはそれだけの力があるから悪用もされる、という見方もできますね。音楽も政治利用されてきた歴史がありますし。ただこの件には、社会的な善悪を越えた、なんというか深淵が口を開けているような恐ろしさを感じます。

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