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< 嫌らしい書き方 | ピアノレッスン66回目 >

2012/10/21

『Frankenweenie』〜愛がなくちゃね〜

子供にせがまれて 『Frankenweenie』 を観にゆく (らむ太はTim Burtonのストップモーションアニメーションが大好きなのだ)。

作り手の、映画作りに対する愛が伝わってきて素晴らしかった。 画面からも、ああ本当に好きで作ってるんだろうなあというのを感じるんだけれど、 それだけでなく、作るものに対する愛というのが綺麗に物語の構造に組み込まれていて、 全く押し付けがましくない。

メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』は、『現代のプロメテウス』なんて 副題がついているもんだから、科学が神の領域を侵すことの是非というテーマに 結びつけられることが多いけれど、物語としてのテーマは実はそこにはなくて、 あれは「無責任な親/造物主」と「見捨てられた子/被造物」のドラマである。 オリジナルのヴィクター・フランケンシュタインは興味本位で人造人間を作るけど いざできたら怖くなって逃げ回る (このヴィクターのへたれぶりが実にしつこく描かれる)。 被造物は、名前もつけられず、ただ怪物などと呼ばれ、ぐれてほんとうに怪物になっちゃう。

ここを押さえておけば、『Frankenweenie』を観た後子供から必ず発せられるであろう 「どうして○○は××になっちゃったの?」という質問にきちんと答えられる。 まあ、映画中でもさらりと台詞があるけどね。

途中、科学に対する住民の反発が高まったところで、科学はどこまで扱うべきかみたいな テーマに踏み込むかと思ったが、そこの処理も巧みだった。つまり、 正解はどちらの側にもない。

ところで、冒頭にヴィクターが自分で撮影した映画を両親に見せているが、 これが2重の意味で良いなと思った。ひとつは、ヴィクターが映画作りを楽しんで それを見せることを誇りに思っている、という構図が、この作品の作り手の姿勢と 入れ子になっていること。もうひとつは、作り手と被造物の関係というテーマのうち、 とくに被造物=映画である場合が強調されること。

つぎはぎの縫い目だらけでも愛をもって作られ繰り返し観つづけられる映画と、 作れるからというだけで作られ、派手な映像や大げさな宣伝で売られるけどそれっきり忘れられる映画、の対比と見てもおもしろい。

Tag: 映画

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