Island Life

< 最終講義 | ピアノレッスン68回目 >

2012/11/08

問いと答え

hirax.net::「答えられる(だけの)力」は必要ない

「解くべき問題」を的確に表現し得たなら「問題を解くための作業」の過半数は終了しているというようになることも多いような気がします

本当のところ、「答える」ためには「的確な問い」を描くということが必要十分条件なのではないか、と思います。だから、「問題を出されたら、答えることができる能力」なんて(その問題が作り出された段階で、すでに問題は解かれているのですから)実は無意味だ…と感じることも多いのです。

必要なのは「問い・問題」を手にするための力で、「答えられる(だけの)力」ではないだろう…と思うことが多くなりました。

良い問題というのは、それに答えを出すことで、 多くの新しい問題への扉を開くような問題じゃないかなと思う。

単に疑問が増えるっていうことじゃなくて。

ああ登ってみたいなあと思うような山がある。その山が問題。実際に登ってみるのが答え。 で、登ってみたら景色もいいし気持ちいいんだけど、その先にまた素敵な山がいくつも 見えてきて、わあこんどはどの山に登ろうか、と思えるようなのが、結果的に良い質問かなと。

出された問題に答えるというのは、「その先の素敵な問題」を見つけるために必要な基礎訓練と 考えれば意味があるかなと思う。また、自分で問題を作ってみるというのも、 「こっちの方向に言ってみたい」という霧の中に、明確に登るべきピークを 見出すという意味で良い訓練になる。

でもどちらも、どんどん先へ進んでゆく問いと答えの連鎖を旅するのが目的だと わかってると、より楽しいんじゃないかと思う。

Tag: ものつくり

Past comment(s)

ヨシア機 (2012/11/08 14:35:25):

初めまして。

一週間くらい前にハワイに行ってきました。 ダイヤモンドヘッドを登ろうとして カピオラニコミュニティ大学の前を 歩いてたら、川合さんによく似たかたを 見かけました。

shiro (2012/11/08 19:01:24):

む、先週はKCC周辺には全く行っていないけれど… ドッペルゲンガー?

aka (2012/11/09 01:13:21):

おそらく、教育のための問題がスタートポイントなお話だと思うのですが、その理解でコメントをしますと、切実な問題というのは現実社会に山積しており、それらは、その問題単体が解決されることだけで非常な価値があるが、解決の見込みは当面ないようなもので、そういった問題について、意見を形成し、ディベートし、相手の立場も理解し、当面の行動の判断と選択をしていく、ということの方が、立ち戻って教育的にも価値が高いのではと思います。問題と解決については、ワインバーグの「ライトついてますか」にある、問題と解決という概念の老獪さ、に共感します。基礎自然科学や数学に関する問題や質問については、shiroさんの考えに同意です。Mountain Viewから徒然と。

shiro (2012/11/09 01:52:28):

現実世界の問題については、そもそも問題の範囲の定義から出発しないとならないので、リンク先記事にあるように「的確な問いを描く」ということが仕事の9割になると思います。ここでいう的確な問いとは、ものすごく大まかな問題(「貧困をなくしたい」とか「環境に負荷をかけないエネルギー源が欲しい」みたいな)や、あるいは背後に複数の曖昧な問題が絡まっている目前の出来事(「目の前で困っている人を助けたい」とか) に対して、具体的なアクションが取れて結果の検証が可能なような部分問題を見つけることです。

この場合でも、良い問題の性質のひとつとして、それを達成した後のオプションがより開かれる、っていうことはあり得ると思います。

そういう問題の切り出し方も含めて、実践的な意味でも「問題を作る」という練習は重要じゃないかなと思います。

aka (2012/11/10 13:20:10):

私はちょっと違う考え方をしていますね。その上で書きますと、自身の仕事内容等の変化によって扱う問題やステークホルダの幅が拡がり、質が変化していくにつれて、問題と解決に対する考え方や方法が変容しました。ここで考え方や方法の優劣の観点には立っておらず、多様性の存在というか、抽象化に適さない可能性もあるよね、ということをコメントできればと思います。:-)

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