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2013/04/29

身体で学ぶ?

「知識 vs 身体」の二元論にするのは、なんかずれてる感じがするんだ。

Joi うん、そうだね。イノベーションの起こし方は、結局、身体で学ぶしかないんだよね。今の日本の教育は、スキー雑誌をたくさん読ませてプロスキーヤーを作ろうとしてる。そうじゃなくて、滑って転んで頭を打って、それで身に付けるしかないんだよな。高度成長期だったら、皆が同じ方向を向いて、一丸となって動ける組織力が必要だったけど、今はイノベーションやクリエイティビティが重要。そのためには、自分で判断できる能力が欠かせないよね。

茂木 そうだね。

Joi たくさん知識を持ってても、判断力って上がらないよね。判断するのは、左脳じゃなくて右脳。スキーをしてる時、身体が勝手に動くじゃない? あれと同じで、判断力も自動的に働くものだと思うんだ。そのためには、訓練を重ねて身体で覚えなきゃいけないんだよね。

茂木 だからこそ、いつまでも「右脳を殺す教育」をやっていてはいけない、と。でも、Joiの話を聞いてると、アメリカでさえ儀式や理論を重視するところは多いんだね。ってことは、Joiの言ってる「身体で覚える」ラボ型教育は、まだまだ新しい動きってことなんだろうな。

確かに身体の制御に関して、「身体で覚える」という現象はある。 繰り返し練習することで無意識のうちに確実に動作ができるようにする、 いわゆるmuscle memoryと言われるやつだ。

でも、判断とか表現とか創造といった行為については、もっと高次の機能が働いてると思うんだよね。 それはやっぱり「頭を使う」ことであって、ひたすら身体に覚えさせればいいってもんじゃない。 だいいち、身体で覚えたことは「考えずとも正確に繰り返し同じことができる」から役に立つわけで、 それは「未知の事態に対して柔軟に判断し臨機応変に行動する」という機能とは相反するだろう。

muscle memoryが役に立つのは、必ずやる基本動作を自動的なプロセスに 任せることで、脳の処理能力をそういう高次の機能のために開放させられるから、なんじゃないかな。 誰かにパスを出す時に、「足の角度はこうで、蹴る力はこのくらいで…」なんて考えていたら 誰にいつパスを出すべきかって高次の判断をする暇がなくなっちゃう。あそこにパスを出そう、 と考えたらあとは確実に身体がそこにパスを出してくれる、という状態になって初めて 臨機応変に判断する余裕が生まれるわけで。

じゃあ「知識だけあってもだめ」って言われる時に、足りてない「頭の使い方」は何だろう。

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時々、「後から振り返って考えると、 言うべきだったことや出すべきだったアイディアを思いつくんだけど、 その場で咄嗟に出てこないんだよねー」って話を聞くことがある。 実際、この二つの処理って、脳の動作モードが全然違う。

「後から振り返って分析して判断したりアイディアを出すこと」っていうのは、 時間軸方向にデータが全て揃っている状態での、グローバルな最適化問題だ。 データ全体に渡る積分 ∫f を最小化するfを探す、みたいなもの (アイディアを出す、というのも結局はパターンマッチングや特徴抽出なわけで、処理としては同じこと)。 これを「振り返りグローバル最適化」モードと呼ぼう。

一方、「その場で判断して行動する」、という処理は、 バッファに載ってる近い過去のデータからリアルタイムで次の出力を出すという、 前向き一方向の処理だ。スタティックな知識ベースにアクセスすることはできるけれど、 その場で起きていることについては扱えるデータ量が限られるし、未来のデータには アクセスできない。 こちらは「フィードフォワード実時間選択」モードとでも呼ぼうか。

前者の処理で特徴的なのは、(1)繰り返しアルゴリズムを使うことで 近似精度を好きなだけ上げられることと、(2)ある時刻tでの行動を決定するのに、 その時点から見て未来のデータも参照できる、ということだ。

過去の失敗について、何度も思い返しながら「ああ、ああすれば良かったんだ」 などと思い悩むのは、繰り返しアルゴリズムでより良い近似を見つけるのに相当する。 ところが、そうやっていくら考え抜いても、次に動的な状況に直面した時に最適な行動を 選択できるとは限らない。なぜなら、今、そこで判断を下さないとならない時には 未来のデータポイントが見えてないから。 振り返って思い悩んだことが役に立つのは、ほぼ同じ状況が繰り返される場合だけだ。

決められた範囲の知識を学び、テストでそれを評価する、という学習で鍛えられる能力は、 前者にかなり偏っているのだろう。

後者の行動というのは、 結果だけ見れば失敗と言えるような判断を下してしまうことがどうしても避けられないからだ。 その場で判断して行動するアルゴリズムを鍛えるには、先の見えない状況で 大胆な選択をして、失敗から学んでゆく過程が必要だ。 結果を点数化する評価方式だと、失敗を避けがちになってしまう。

こういう行動を動機付けるには、結果の良し悪しではなく、 「それまでの自分の選択基準の範囲をどれだけ越えられたか、そこから何を学べたか」という 点で評価する必要がある。 必要とされているのは、そういう訓練だろう。

なお、知識は実時間選択モードでも重要なので、「知識」と「実践」を対立項に持ってくるのはうまくない。実時間選択モードでの訓練を通して、素早くアクセスできるように知識を整理しておく必要はあるが。

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「フィードフォワード実時間選択」モードはしばしば 「身体的」とか「無意識」とか「自動的」などと言われることがあるが、それは誤解だと思う。

「振り返りグローバル最適化」モードでは、全体を見渡すプロセスが動いているから、 人は必然的に自分の思考に自覚的になる。

一方、「フィードフォワード実時間選択」モードでも 脳は同じくらい高次の処理をしているんだけれど、 それを振り返って監視するプロセスが動いていない。 判断の渦中にある時に「あ、5秒前のあれはあっちにすべきだった」なんて 考察をするのは邪魔にしかならないからだ。

ところが監視プロセスがいないせいで、 処理中に何を考えていたかってことを簡単に忘れちゃう。 だからつい、自動的に判断を下したような気がしてしまうのだろう。

芝居の練習では、この二つのモード、及び身体的記憶は意識的に区別される。

通常の芝居では、結末までの内容というのは既に脚本に書かれているわけだから、 いわば「未来のデータ」も全てわかっている状態にある。ところがそこで 「振り返りグローバル最適化」モードで演技してしまうと、 演技がとても嘘くさくなる。生身の人間は、未来がわかった上で現在の最適な行動を 選んでいるわけではないからだ。

既に分かっている筋書きを一旦忘れて、 未知の未来に向かって、今そこにある出来事に新鮮に反応してゆき、 その反応が結果的にあらかじめ書かれた台詞や筋書きにたまたま沿ってしまうようにする。 演技術というのはそのためのテクニックだ。

例えばマイズナーシステムでは、せりふの練習の時に、 感情を込めたり言い方を工夫してはいけないとされる。 棒読みのようにせりふを練習して、完全に機械的にせりふが出てくるようにする。

練習の時に感情を込めてしまうと、身体的記憶に特定の「言い方」までもが刷り込まれてしまい、 それが自動的に再現されてしまうからだ。それでは「今、ここ」に新鮮に反応することができない。 とはいえどういう心理状態になってもせりふの言葉に詰まっていちいち思い出していたら 台無しだから、「言葉を確実に出す」という部分には身体的記憶を利用するわけだ。

また、私が何回か一緒にやった演出の人は、稽古場の心得として次の3ステップを挙げていた。

  1. wash the dishes
  2. just do it
  3. then talk

wash the dishesとは、やるべきことを済ませておけ、ということ。 集中の邪魔になる懸念事項を片付けて、場面に飛び込むために心の中を整理整頓しておく。

それから、とにかくやってみる。あらかじめ「ああしてやろう」といろいろ考えて その通り動くのではなく、やりながら「いまやったのはこうすればよかったかも」なんて 振り返ることもしない。振り返りのスイッチをわざと切って、 「フィードフォワード実時間選択」モードで突っ走る。

それが終わった後で、今何が起きたかを分析する。これは「ああすべきだった」という 批評や反省ではなく、「なぜ自分はああいう判断をしたのだろう、なぜあそこでこんなふうに感じたんだろう」という分析だ。 自分でも気づかなかった自分の中の壁やロジックを発見することもあるし、 思いもかけないことがらに感情を揺さぶられることを発見することもある。

そうやって自分を知れば知るほど、実時間選択モードは鍛えられてゆく。

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長くなっちゃったのでまとめ。

  • 実時間選択モードを「身体で覚える」と言ってしまうと、 あたかも繰り返し同じことを実行してれば鍛えられるように誤解されるかもしれないのでまずい。
  • 「身体で覚える」ことは、同じことを考えずに正確にできるようにすること。 それにより脳の高次機能を判断に振り向けることができる。
  • 実時間選択モードを鍛えるには、
    • 振り返り機能のスイッチを切る
    • 未知の領域に飛び込んでみる
    • そこで(どうすべきだったか、ではなく)何が自分の中で起きたのか、を考える

Tags: 表現, 芝居, 教育

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