Island Life

< Schemeから可変長引数を引き算したら | 昨日のエントリにResourcefulness... >

2015/09/07

Resourcefulness

http://business.nikkeibp.co.jp/atclcmp/15/072800004/082100002/?P=2

宮本:きつく言うことはありますが、感情にまかせて怒鳴ったり怒ったりはしません。そもそも、それでは通用しないんですよ。米国のブロードウェイでもロンドンのウエスト・エンドでもそうですけれど、感情的になってしまうと、みるみるうちに役者やスタッフが完全に距離を取りはじめるんです。「ああ、かわいそうな演出家だな。自分をコントロールできないんだ」「未熟な舞台演出だな」と言われる。芝居が成り立たない。それに、そんなことをしたら「あいつはコミュニケーションをうまく取れない演出家らしい」という噂がブロードウェイ中を駆け巡って、二度と声を掛けてもらえなくなってしまう。だから、一流の演出家は決して怒鳴ったりしないですよ。

これまで何人もの監督、演出、プロデューサと仕事させてもらったけど、 皆さんプロだなあと思うのは、どんな困難な状況になってもupsetしないこと。 思うように進まなかったり予定外のハプニングがあったりしても、 怒ったりイラついたり取り乱すことがない。 どうやったらその時点での手持ちの材料で最良の結果が得られるかに集中している。

もしかするとプライベートな場では不満を爆発させてたりするのかもしれないけど、 現場ではそういうのは一切出さない。 実際、怒って良いものができるなら怒ることも辞さないんだろうけど、 大抵の現場はそうはならないからなあ。

ドラマやマンガで怒鳴ったりイラつく監督が出てくると、まあもしかするとそういう現場も どこかにはあるのかもしれないけど、むしろ素人っぽい印象を受ける。 淡々とやってたらドラマにならないから ああいうのはお約束として受け入れるものなんだろうけど。 もっとも、「怒らない」ことと「厳しい/妥協しない」ことは直交するんで、 厳しいという設定を怒ることでしか表現できないとすればそれはあまり上手くない表現だろうなとは思う。

そんで、これは役者の立場からはある意味怖い面もある。 ダメな演技をしてても怒られないから。 監督としては手持ちのカードでベストな結果を得ることを 考えてるから、そのカードのうちの一枚がめっちゃ使えないカードであっても、 使えないなりにどうやったら少しでも活かせるかってことだけが問題。 結局のところそのカードをオーディションで選んだのは監督の責任でもあるわけで。 怒られることなく淡々と進んで、でも将来使ってもらえなくなる、それだけ。

自分が作品に対してきちんと貢献できてるか、どうやったら良くなるかを 自分の責任で考えるしかない。 「出来ないことを出来るように鍛えてもらおう」って姿勢じゃなくて、 「出来る状態で持っていくのが前提で、現場ではそれを良くして行くだけ」って覚悟が要る。

(日本の「ダメ出し」って用語もちょっと誤解を招きやすい語感かもなあ。 こっちでは単に "notes" という。)

Tag: 芝居

Past comment(s)

hkamis (2015/09/11 03:34:03):

読んでいて思ったことを、コメントさせてください。 反論ではなく、同意しつつ、内容を付け足すものです。 本題からは、脱線です。

厳しく接っせられることと、今後も仕事を貰えることとの関係は、 たしかに明確ではなく、少なくとも、制度的や法的には、担保されていません。 ここでの意識のズレが、問題を生むわけですが、それには別のパターンもありそうです。

「厳しく言われないなと感じていたら、やはり切られた」という展開だけでなく、 「これだけ厳しく言われているのだから、今後も使って貰えるだろう」と 甘い期待をしていて、その後アッサリと別の人にすげ替えられ、 ガックリする展開も、現実にはありそうな気がします。 (これはshiroさんの記事に折り込み済みかな)

また、そこそこ出来る人に対しても、雇う側が叱責することによって、 「お前は成績が悪く、余所ではやっていけない」という意識を植えつけ、 不当にコントロールしてしまうケースもありそうに思いました。

いずれにしろ、雇う側(お金を払う側)の裁量で決まる状況があるかぎり、 立場でいうと、やはり雇われる側が弱い。これはどうしようもない。 しかし、雇う側も、別の場面では、雇われる側(お金を受けとる側)になるわけです。 結局は、どんな人であっても、市場メカニズムから逃れられないように思います。

shiroさんはよく組合の話をされます。 そういう社会的な仕組みで全体のバランスをとりつつ、 個人のレベルでは、仰るとおり、最後は自分の責任で考えるしか無さそうです。

お互い仕事だと割り切って、必要なことを淡々とやる。 国の違いなど、文化的な差異は、歴史的に生じた表層的なプロトコルの面が大きく、 一切のベールを剥いでみれば、ここに行き着くような気がします。

同時に、人間そのものの尊厳は、仕事とは無関係だという意識が重要と思いました。

shiro (2015/09/13 18:17:47):

仕事の上下関係(誰が最終的な権限を持っているか)と人間としての上下関係を意式的に切り離す、というのをこちらで仕事しているとよく感じます。例えば監督はすごくフレンドリーで世間話などは和気藹々としていても、役者が演出に関して口を出すのは厳に慎むべきって空気があります。演出方針について個別に監督に提案するのは全くOKなんですが、稽古の場で監督が言うべきことを、監督を飛び越して役者同士で演出めいたことをやっちゃうのはNG、とか(自分たちで新しいアイディアを試して監督に見せる、っていうのは良いんで、このへん説明が難しいんだけど…)。

日米で比較できるほど日本の現場を知らないのですが、印象としては日本の方がより気をつけてないとそのへん混ざりがちなのかもな、と思います。言語にも組み込まれた上下関係に敏感な文化というのもあるでしょうし、伝統的な弟子入りシステムが生き残っているとも言えるかもしれません。(このへん、演出を「演技指導」と呼ぶ慣習も関連しているような。)

文化は文化として重要な面もあり、弟子入りで修行しないと伝えられないこともあるのでどっちが良いとは一概に言えないのですが、高度に分業が発達した業界では「アウトプットは期待するがそのやり方について相手の領域には立ち入らない」という態度の方がやりやすくはあります。

Post a comment

Name: