2019/07/19
創作活動って自分を晒け出さねばならないところがある。映画や芝居など協同で何かをつくる時には、したがって、お互いが単にスキルを提供するだけでなく、普段は隠すような自分のコアな部分を、少しでも共有することになる。どんなに小さな役割でも、「その人にしか出来ない何か」が創作物の大釜に投入されていって、反応し合って作品が出来がある。一緒につくると、不思議な連帯感が生まれる。ハワイだとʻOhana と言ったりするんだけれど。人生の一部が互いに織り込まれてしまうというか。
なので、そうやって関わった人を失うと、たとえその人とプライベートで特に親しくなかったとしても、自分の人生のその部分が抜け落ちたような感覚にとらわれる。自分の人生のその部分には、他の誰でもない、その人が必要だったから。
京都アニメーションの事件は、だから、事件に遭わなくても仲間が巻き込まれた、という方々への影響もとても心配。
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