Island Life

2005/07/15

RとL

Rの発音の前に「ウ」をつけるという のは、Rがシラブルの頭、とくに語頭にある場合はわりと有効だと思うが、 難しいのはRがそれ以外の位置にある場合である。

今読んでるStephen Kingの "The Dark Tower VI: Song of Susannah" では、 日本人観光客が Yooo take-ah pickcha, preese? Take pickcha me and my fliend? とか Solly とか喋っている。

Acting Classで注意された発音に、語尾のrがある。year, there, far, fur, cure などの 「母音+R」だ。特に文中でストレスのない場合なんか、つい曖昧に、母音をちょっと 長く発音するくらいで済ませてしまいがちなんだけど、ここに「R」があるかないかは ネイティブにとってはかなり違って聞こえるらしい。 「毎日、"ar, er, ir, or, ur" って練習するといいよ」といわれた。

なお、ハワイのピジン英語では語尾のrが落ちることが多いようで、 わざとrを落としてピジンらしさを出すことはある。 "You and me wen dea, you rememba, ya?" とか。

Tag: 英語

2005/06/22

なにやらokujiさんからMusical Baton というのが回ってきた。音楽をネタに自分語りをやる企画、なのかしらん。 自分はあまり日常的に音楽を聴く人ではないので 質問の対象外である気がするけど一応やってみる。

  • Total volume of music files on my computer:
    HDDから音楽を聴く習慣がほとんどない。midiファイルが2.5MBくらい、 クラシックピアノ曲中心。 The Classical MIDI Connection, Kunst der Fuge あたりをちょくちょく見ている。
  • Song playing right now:
    Ray Bumatai: All the things I said. たまたまokujiさんの日記を見てた時にかけてた。 こないだ映画で共演した人のCD。 この人はミュージカル出演中に脳腫瘍から出血し、途中で視力を失いながら その舞台を最後までつとめて病院に直行、手術、リハビリを経て 数週間後に再び公演に復帰したという鉄人役者であることを、 私は撮影がすっかり終わって家に帰ってから知ったのであった。 撮影中は気のいいロコのおじさんにしか見えなかったよ。
  • The last CD I bought:
    もう長いこと買ってない。多分、数ヵ月前に買ったこれが最後: Daniel Barenboim (p), Pierre Boulez (cond) NFO: Bartok Piano Concertos 1&3.
  • Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me:
    難しい質問。私は気にいった曲があるとそれだけを繰り返し聴いて、 そのうち覚えてしまって、以降は脳内再生で済ますのでほとんど音源を聴かなくなる。 だから日常的によく聴いている曲ってあまりないし、 一方で思い入れのある曲はとても5曲には絞れない。 とりあえず頭に浮かんだものを書いてみる。songじゃないけど。
    • Chopin: Etudes Op.10&25
      いきなりこれで24曲だけど、ひとまとめの感覚。 一年くらい前に真面目に全曲さらおうと思い立って、 まだ道半ばだけれど、とても勉強になる。じわじわと基礎力がついてくるのを実感できる。 耳に残っている演奏はポリーニ。
    • Ravel: Jeux d'eau
      かれこれ20年くらいさらっててまだちゃんと弾けない。 気分を集中させようとする時によく聴こえてくる。 耳に残っている演奏はアルゲリッチ。
    • Alkan: 12 Etudes Op 39
      永遠の目標。さらっていると修行僧の気分になる。いま手がつけられるのは 2番くらいだが、死ぬまでに8, 9, 10番を弾きたい。耳に残っている演奏はギボンス。
    • Rachmaninoff: Piano Concerts 2&3
      永遠の目標。ピアノ弾きの夢でしょう。 2番と3番、どちらも好きなので両方挙げとく。 耳に残っている演奏はアシュケナージ。 3番の3楽章で、魂が肉体の殻を突き抜けて飛翔するのを感じる。
    • Ravel: Concerto pour la main gauche
      tuttiのオケに左手一本で渡り合う再現部から驚異のカデンツァへの流れにカタルシス。 耳に残ってる演奏は、誰かなあ、ちょっと思い付かない。
  • Five people to whom I'm passing the baton:
    特に誰というのを思いつかないので、ここで打ち止め。 …としようかと思ったけど、せっかくのWikiなので、 もし語りたいひとがいたらこの下からリンクを張って語ってください。 (コメントで語るのはごちゃごちゃするので御遠慮下さい)

Tag: Music

2005/06/14

短篇映画の撮影で、丸2日Kaneohe近辺でロケしてきた。 今回はprincipal roleで、長ぜりもある。

カメラと舞台での演技のつくりかたの違い、そしてカメラでの仕事で 目指すべきことがなんとなくわかってきた気がする。

映画では、監督は役者の演技以外にも気にすることが山ほどある。 音、光、フレーミング、タイミング、背景に映るもろもろ。 全てがベストに揃えばラッキーだがそういうことは滅多に無いので、 基本的には監督の望んだレベルの画が撮れた時点で次のショットに 移ることになる。また、リハーサルの時間もあまり取れないから、 役者が持ってきたものを見せて、監督が若干adjustして、それでgoとなる。 つまり、こういうことが言える。

  • 演技が "good enough" であればそこで終わり
  • 演技しながら色々なオプションを発見している暇はない

舞台のようにリハーサルにたっぷり時間が取れる場合、最初に役者が 演出に見せるのは叩き台で、そこから演出や他の役者との共同作業で 場を作って行く作業が始まる。演出が当初期待していた通りの 演技をするのは役者の負けというか、そこがスタートラインであって、 そこからどれだけ上を目指せるかというのが勝負どころになる。 当初誰も予想できなかったくらい良いシーンをつくることがゴール なんで、"good enough" な演技だけじゃだめだし、演技しながら いかに発見してゆくかが重要だ。

Acting Classの先生の一人は、"If you can act on stage, you can act on anything" と言っていたけれど、"good enough" な演技をdeliverする、という意味では確かにそう言えるかもしれない。

でもなあ、やっぱり演技として観たい/観せたいのは、人の頭で あらかじめ予想がつく程度のものじゃないはずだ。 カメラの現場でそれをやるには、最初に監督に持ってく時点で "beyond `good enough'" でなければならない。

オーバー気味で持ってけばadjustmentで抑えるのはできるが、 アンダー気味で持ってくと予想を越えられない可能性が高いだろう。 また、監督の予想する演技というのは、その役者が過去にやった 仕事とかオーディションでの演技を元にしたものであることが多いだろうから、 まだ誰も発見していない側面を出したいと思うなら、やっぱり リハーサルの最初の一発でそれを見せられるように準備しておかねば ならないだろう。そこらへんで舞台と違うアプローチが必要なようだ。

(もしこの知見が正しいとしたら、カメラの演技しか経験しないことは 役者の成長にとって不利だといえる。その役者が天性の勘で上を目指さない限り、 "good enough" 以上のものを求められないからだ。)

Tag: 芝居

2005/06/06

真偽の程は定かではないが、かつて忍びの者は人並み外れた跳躍力を得るために、 成長の速い木の苗を植えその上を毎日跳び越えたという。木は一日一日、目に 見えぬほど少しづつ成長し、それに伴って訓練者は知らぬうちに少しづつ 高く跳躍することを強いられる。ふと気づけば見上げるほどに成長した木さえも 跳び越せるようになっている、という。

かねてより私は子を育てる親にも同様の原理が働いてしかるべきではないかと 考えていた。すなわち、産まれたばかりの、3kg少々の赤子を「ひょい」と 抱きあげるのは造作もないことである。親ともなれば毎日いちいち数えていられない くらい赤子を抱きあげる。そして赤子は一日一日、着実に成長してゆく。さすれば 1年2年と経つうちに、親は知らぬうちに20kgの荷物を「ひょい」と 持ち上げられるようになっていて然るべきではなかろうか。

この疑問は実地検証によっていともたやすく覆された。子供の成長速度は、 親の筋力の増強速度を確実に上回っているのであった。

Tag: 生活

2005/05/15

あちこちで話題の「コード読みのコード知らず」。自分の感覚で言えば、 OSSのコード書きは芝居の役者だな。自分でやってるプロジェクトの場合は 作・演出を兼ねてる。

役者が居ないと芝居は始まらないが、もひとつ芝居に不可欠なのは観客だ。 (あと、街頭パフォーマンスのようなものを除くなら、スタッフも)。 役者の役割は全体の何割、スタッフは何割、 観客は何割、なんていう分析はできない。

役者が観客の批評に対して「演技もできない人に口を出されたくない」 というのはおかしいわな。なんのために客に見せてるんだってことになる。 一方観客の方も、口を出すのは自由だけど、それが舞台に反映されなかったからって 文句を言うのは筋違いだわな。 双方のより良いものを(創りたい|観たい)との思いが噛み合った時にのみ、 みんなが得をする。そうでなければ誰も得をしない。

OSSでは観客=ユーザ。自分流の「プログラマの定義」を 「人に使ってもらえるプログラムを書く人」としているのはそういうわけ。

Tags: OpenSource, 芝居

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