Island Life

2004/06/20

sasadaさんとこ経由で、 一生を棒に振る、この年収の差。ピアスと茶髪

高校生の頃にこれを読んでたらかなり反発してただろうし、大学生の頃なら 笑ってただろう。今は、まあ、そうなんじゃない、と思う。

生活してゆく上では社会的になんとなく形成されてる合意ってもんを くぐり抜けてゆかなくちゃならないわけで、それに沿わないとその社会では 不利な立場に置かれるよ、ってのが話の核心でしょうな。 (自分だったら、その後に「だから、破ってもいいけどat your own riskでね」、 と付け加えると思うけど)。ピアスとか茶髪とかいう具体的な 事象は、「現代日本の特定地域」というコンテキストでの例であって、 コンテキストが違えばそういう具体例は当てはまらないけど、 そこに反発してもこの話の根本的な意味は変わらない。 「私はそんなところで判断するような企業には行かない」という人はそもそも このコンテキストの対象外ってことで。そうだとしても、その人の向かう ところのコンテキストにはやっぱり社会的ルールがあって、それに沿うかどうかを 自分の責任で決めなくちゃならないことは変わらない。

…と、今の自分が高校の頃の自分に説明するとしたらこんなふうに 説明するだろうかね。

まあ、そもそもフリーターがどうのって議論を見て真っ先に思うのは、 日本はとっても平和で豊かな国なんだなあってことだが。

Tag: 生活

2004/06/05

Gdk+Pango on Fedora Core 1 のフォントではまりまくり。 sansのフォントを差し替えたいんだが、 fonts.conf系をいくらいじっても反映されない。

Xftはクライアント側でレンダリングするんだと思っていたが、lsofで オープンしてるファイルを見てみると、*.ttfファイル自体はクライアントでは オープンされておらず、Xfsの方でオープンしている。 クライアント側はfontconfigでマッチングをかけるだけで、

結果として得られたフォント名だけをサーバに渡してるんかな。 Xfsはfonts.confは見てないしな。

いやそんなことはないか。メトリックは読まないとlayoutできないよなあ。 なんでクライアント側でオープンしてないんだろう?

ああなるほど。クライアント側はXftFontOpenとかを使って サーバのラスタライザからフォント情報を得てるのか。

Tag: Programming

2004/05/31

北の浜で2晩キャンプして、カメと泳いで来た。

帰ったらメールが来てて、締め切りをひとつ忘れてたのに気づく。すんません…

Tag: 生活

2004/05/21

キワノ

昨日かみさんとスーパーに買いものにいってうろうろしてたら、 フルーツのコーナーに、なんか鮮やかなオレンジ色でとげとげしている、 とても好奇心をそそられる果物があったんすよ。 Horned Melonと書いてある。 ちょうど黄色いコリアンメロンと同じくらいの大きさで、 トゲじゃないところは押してみるとかすかにへこむくらいの硬さ。 うちの家訓は「モノは試し」なので、試しに一個買ってみたんですわ。 で、さっきデザートにでも食うべと思って切ってみたんですわ。

うーん。何と言うか、だまされた気分でいっぱいです。

ネットで調べたら、似たような経験をした人多数の模様。

果物ってよりはキュウリの仲間だと思ってたほうが良さげ。

Tag: 生活

2004/05/11

ピアノ

http://homepage3.nifty.com/mogami/diary/d0405.html#10t4

普通に弾く速さでは一打ずつ構成していると意識の速度がまにあわない。イメージはチャンクを使って構成する必要がある。…簡単に出来ても次に進まずこのようなチャンクのレパートリーを増やしておくのがいいのだろう。慣れるときっと小節くらいが一つの「単語」になるんじゃないかと思う。

これから両手に挑むわけだけど、あれって、和音としてチャンクするものなのだろうか。それともそれぞれ別に作った片手の動きを同期させる感じでやるのだろうか。

自分の場合、言葉で説明するのは難しいのだけれど、 だいたい「一気に」弾くひとかたまり---分散和音ひとつのこともあれば、 数小節から10数小節に渡るフレーズ全体のこともあるが---くらいの感覚で、 ある「構造を掴む感覚」がある。

その感覚は、例えば、イントレみたいな足場を作るのにいろんな部品を うまい具合に組み合わせて、かちっとはまったところで、個々の部品は細いのに 構造的にとても頑丈なものが出来た時に感じるものとも似ているし、

持ちにくい、変な形のものを持ち上げるために色々な場所に手をかけてみて ふと、余分な力を入れずとも楽に持ち上げられるポジションをみつけた、みたいな 感覚でもあるし、

ロッククライミングをやったことはないのだけれど、微妙な岩のでっぱりを 見つけて体重をかけても大丈夫なくらいがっちりとグリップを得た時って こんな感じがするのだろうなと想像できるような感覚でもあるし、

  • それは、とても全身的、肉体的な感覚であるり、
  • 同時に、全てが全てを支えあっている、というイメージであり、
  • 複雑な構造であっても、細部の全てと全体とが同時にはっきりと見えている

特に最後の、部分と全体が同時に見えている感覚が、日常生活で相当するものが ないので形容し難い。空間だけでなく時間も同時に存在していて、 あるフレーズの全てが同時にそこにある。でもそれを人に伝えるためには、 演奏という形に落とすしかなくて、そうすると時間軸方向にも解きほぐされた 形にならざるを得ない。

かように言葉にするとつかみどころがないのだが、その感覚自体は自分にとっては とても具体的で間違いようのないものだ。 記憶力も落ちてるし、練習時間もあまり取れないしで、最近はいかに効率良く 弾けるようなるかを考えているのだけれど、新しい曲をさらいはじめる時には 積極的にその感覚を求めるようにしている。

たまに、練習をしていると、普段掴んでいるそういう固まりよりずっと 大きな単位での構造物が、ちらりと見えることがある。今日もそれがあった。 「あ、この曲は、つまり、そういうことだったのか」と思う。 そこに見えた構造物に沿って指をあててゆけば理想的なものができそうな気がする。 けれど、残念ながらそういうヴィジョンは長続きせず、 指もついてこない。うまい人っていうのは、 きっとそれがあたりまえのように見えてて、 さらにそれを現実化できる体力を備えているってことなんじゃないかなとか思う。

Tag: Piano

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