2019/10/31
覚えるより忘れる方が難しい(こともある)
医学生の訓練や試験のための、standardized patientというプログラムがある。 「患者役」をする役者を用意して学生に診察させるというものだ。 2日ばかり、その患者役をやってきた。
患者役は、訓練や試験に合わせてあらかじめ設計された設定を覚えて、 その設定の人物として診察を受ける。評価のためにはばらつきがあっては困るので、 設定は以下のようにかなり多岐に渡る:
- 氏名、年齢、家族構成
- 個人の経歴 - 産まれ、育ち、学歴職歴、病歴、普段の日常生活(スケジュール、食事、アルコールや喫煙、運動、etc.)
- 家族の経歴 - 親、兄弟、子供、それぞれについて生年や現在の居住地、健康状態、死去している場合は死因と死亡時の年齢
- 来院の理由
- 最初に症状を聞かれた時、その追加説明を求められた時、など、いくつかの開始時の会話については台詞が決められていて、常に同じ台詞を言わなければならない
- 他の病態について十数項目の設定があり、それらは質問されたら答える
これを頭に入れて、その人物として問診を受ける。さらに、学生の診察終了後に 評価フォームがあり、必要な手順を踏んでいたか(例えば身体に触る診察の前に手を洗ったか)、 コミュニケーションは十分だったか、などを記入する。
今回は医学学校1年生が対象で、十数人の学生さん相手に患者になってきた。
始める前は、自分としては何を聞かれても自然に答えられるインプロビゼーションのスキルに 不安があったのだけれど、それはさほど引っかからなかった。 普通に芝居をする時のようにキャラクタを作っておけばほぼok。
意外に難しかったのが、評価のところだ。 20分の診察を受けた後、10分の間に診察の様子を思い出してフォームに記入してゆくのだけれど、 3~4人過ぎたあたりから、 今の学生はこの質問をしたっけ?それともあれはその前の学生だったっけ、 などと考え込むことが多くなった。記憶が混ざってしまうのだ。
普段の芝居の稽古では、繰り返すうちに新たな設定を思いついたら それはどんどん以前の設定に追加されてゆく。 今回も自分のキャラクタはそうやって繰り返しの度に肉付けされてゆくのだけれど、 相手との問答に関しては、学生ごとに記憶をリセットしないとならない。 でも記憶はそう都合良く消えてくれない。
それに気づいてから試してみたのは、学生ごとに頭の中で背景色を別の色に塗りつぶす、 というものだった。脳内背景と問答を結びつけておけば区別しやすいかなと。 効果のほどは、多少はあったような気がするけど、 もっと経験を積んだら別の方法を思いつくかもしれない。
1年生ということは入ってほんの2-3ヶ月ってわけで (米国では4年生大学を卒業してから医学学校に入るので、年齢は多分20代が中心だろう)、 おそらく見知らぬ患者(役)を診察するのは初めてだったろうから、 学生によって問診内容や診察内容にかなりばらつきがあった。 身体の診察の後で忘れていた質問を思い出してまた問診が始まったり、 さっき聞いてるはずの情報をまた質問したり。 あと、こちらは痛みを感じて苦しそうにしているので、 それに共感して慌てちゃってる感じの学生もいた。 こういう経験を積んでだんだんてきぱき診察できるようになってゆくんだろうなあ。
"That's great!", "Terrific!" が口癖の学生がいて、 多分普段そういうノリで会話してるんだと思うんだけど、
「痛みはどのくらいですか? 1から10まで、10を最大の痛みとして?」
「8か9くらいです…」
「That's great!」
「ご両親は健康ですか」
「父が56の時に急な心臓発作で亡くなっています…」
「Terrific」
その口癖は絶対直した方がいいぞ…
2019/09/14
眼鏡のつると3Dプリンタ
以前、眼鏡のつるが折れた時は金属部分だったので、1.05mm径の穴を開けて鉄線で修理したのだった(もう5年前か)。 その翌年だったか日本に行った時にフレームを新調したのだが、かれこれ4年。先日またぽきりと折れてしまった。
こちらから交換パーツを入手する手段は無さそうだし、 直すにしても固定が難しそうだ。 なので早々に諦めて新しい眼鏡を注文したのだけど、その後で眺めているうちに、3Dプリンタで固定具が作れないかと考え出した。
うちのda Vinci Jr.はそんなに精度が出る機械じゃないのでサブミリ単位の加工は多分無理だろうと思いつつ、まあだめもとで、と作ってみたら案外しっかりと固定できてしまった
この写真は仮止めの時だが、ただはめ込んだだけでも実用に差し支えない程度に止まっている。 力をかけるとややぐらつきがあったので0.05mmステップでモデルをいじって何個かつくり、 最終的にほぼぐらつかないパーツができたのではめ込んだのち接着剤で固定した。 材質(PLA)自体がそれほど強くないのでそう長くは持たないだろうけど、 新しい眼鏡がきたらこっちを予備にできる。 表面も完全にスムースではないけれど、廉価版のプリンタでこんだけできるなら上等かな。
将来のためのメモ。このサイズ(外側6.0mm×4.0mm、内側は細い方が3.5mm×2.7mm) でそこそこ綺麗に出すためのパラメータ:
色々試したが、Detail Threshold 0.02がわりと決め手だった。これがデフォルトのままだとLayer heightを0.1mmにしても表面がざらつく。Detail Thresholdを0.01にするとエイリアシングみたいな変なノイズが乗ってしまった。
あと、中空なんで縦で成形したんだけど、肉厚が薄いせいか下の方1mmくらいがちょっと膨らんだ感じになるのでそこは成形後に切っている。
今回、フィラメントのloadingでトラブったのでそれについてもメモしておく。
loadしようとしてもノズルからマテリアルが出てこない。 ノズルをクリーニングしてみたが効果なし。 extruderを外してフィラメントの切れ端を上から突っ込んでみると、 途中で何かにひっかかって止まる感触がある。
extruderのカバーを外してフィラメントを入れてみると、 写真の楕円で示した部分で止まる。
ノズルとヒーターを外してみると、写真の部分に一度溶けて固まった フィラメントのくずがたまっていた。特に固着してはおらず、ペンチで簡単に取れた。
Tag: 生活
2019/08/30
Iris Klein Acting Class
Iris Klein氏による2週間のアクティングクラスを受けていたのだがとても良かった。
http://www.actingclassnow.com/
1週目はマイズナーの基礎: Repetition、Independent Activity、Improvisation (Scott RogersのクラスでEmotional Preparationと言っていたものの応用)、 それからActioning。
2週目はオーディションマテリアルを使って、2日かけてブレークダウンし、2日かけて撮影。
- マイズナーから直接教わっていただけあって、マイズナーエクササイズのガイドが非常に的確。Repetitionにおけるtruthとはこういうことか、というのがはっきりわかった。
- 前半のエクササイズも後半のシーンワークも、一人もしくは一組づつやるのをみんなで観る、という形で、他の人がやっているのを観ることから学ぶというのが大きいことを実感。
- 一つのマテリアルをとことん分析できたのも良かった。今回、最初のブレークダウンで 決めたobjectiveがやってみるとうまくいかなくて、さらに考えて別の発見があった。
Tag: 芝居
2019/07/27
SAG-AFTRA conservatory: Voice Acting
今日のSAG-AFTRA ConservatoryはVoice actingで20年近いキャリアを持つTara PlattさんとYuri Lowenthalさん夫婦が講師。おもしろかったー
このお二人、とにかく喋る喋る。しかも二人同時に喋る。でもちゃんと肝心なところは重ならずにちゃんとわかる。しかし間を合わせてる様子が全くない。めいめいが好きなように喋っているようにしか見えないのに重ならない。すごい技だった。
さてvoice actingについてはこれまで聞いてきたことを裏付ける内容だった。
- Theatre actingの訓練は前提。発声発音だけでなく、脚本分析、キャラクタビルディングなども同じ。声に特有のテクニカルな事情はある (マイクの前を離れられない、など) がそれは慣れの問題。
- 「声優に向いた声」というのはない。どんな声質も個性であり、それに向いた役があるはず。必要なのは自分の声質を把握し、それにフィットする仕事を探し出すこと。
- 様々な声を使い分けられるとか声を作れるというのは表面的なこと。まずは自分の自然な声を把握し、そこにバリエーションを加えて表現力を増やしてゆく。
- 声の表現に敏感になること。普段から様々な声を聞いた時に、その声を聞いて自分は何を感じるのか、そう感じさせるのはどの要素によるものか、を分析する。
- 声の仕事は芝居やカメラの仕事よりもさらに、事前に与えられる情報が少ない。自分の台詞だけが渡された場合は相手の台詞を想像しなければならない。キャラクタの背景が無ければ自分でobjective、obstacleを設定する必要がある。しかも当日にならないと最終脚本がわからない場合があるので、現場で一読してすぐchoiceを決定し演じられるように普段から準備しておくこと。
2019/07/19
創作活動って自分を晒け出さねばならないところがある。映画や芝居など協同で何かをつくる時には、したがって、お互いが単にスキルを提供するだけでなく、普段は隠すような自分のコアな部分を、少しでも共有することになる。どんなに小さな役割でも、「その人にしか出来ない何か」が創作物の大釜に投入されていって、反応し合って作品が出来がある。一緒につくると、不思議な連帯感が生まれる。ハワイだとʻOhana と言ったりするんだけれど。人生の一部が互いに織り込まれてしまうというか。
なので、そうやって関わった人を失うと、たとえその人とプライベートで特に親しくなかったとしても、自分の人生のその部分が抜け落ちたような感覚にとらわれる。自分の人生のその部分には、他の誰でもない、その人が必要だったから。
京都アニメーションの事件は、だから、事件に遭わなくても仲間が巻き込まれた、という方々への影響もとても心配。
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