2011/06/15
ピアノレッスン7回目
- 基本
- スケール MM=138。いくつかの調で左手がまだ転ぶ。B♭ majorはだいぶ良くなったんだけど、意外にD majorがきつい。難しい調だけMM=132に落としてしばらくやってみたらとのこと。メトロノームに引きずられてるならメトロノームが速すぎる。
- アルペジオ、3音とmajor 7th MM=120。まだところどころばたつく。
- 最後の最後でミスることが多いのは終わり近くで気が緩むからだよ、最後まで集中するように。
- 重3度スケール。Schmitt Preparatory Exercisesというのを買って そこにある指使いを練習して行ったのだけど、まだMM=44で1音づつ入れるのが精一杯だ。 これは片手づつで良いからスピードをあげてゆくようにとのこと。
- ラフマニノフ 前奏曲Op23-5
- 最初、速く入りすぎて中間部あたりでめちゃくちゃになったので仕切り直し。
- メトロノームでMM=69を確認して始めた2回目はそれなりに最後まで行った。 まだ跳躍のミスタッチがあるのでそこをゆっくりさらう。
- カプースチン Op40-2
- ラフマニノフで懲りたので、ちょっと遅めのMM=72を改めてメトロノームで確認してスタート。
- ちょこちょこミスったけど、リズムは崩さずに最後までいけた(と思う)。
- 今日は時間切れで見せられなかったけど、モツアルトのイ短調ソナタK310の第2楽章も 譜読みしてった。今のところ八分音符MM=54でときどき迷子になる。
- レッスンとは関係なく初見の練習をぼちぼちやってる。 初見能力が向上したかはまだよくわからないけれど、 曲をさらってて少々のミスでも止まらずに進めることは多くなったような気がする。
来週と再来週は所用で休み。
Tag: Piano
2011/06/14
皆保険と政府の力
オバマの医療改革で導入される皆保険が、憲法違反になるかもしれない、という話。
Obama healthcare law: Judges sharply challenge healthcare law - latimes.com
And in an ominous sign for the administration, the judges opened the arguments by saying they knew of no case in American history where the courts had upheld the government's power to force someone to buy a product.
政府が国民に何かを買うことを強制するなどというのは言語道断、ということらしい。 医療保険を「商品」と位置づける限りは、確かに筋の通った論理ではある。
じゃあ「商品」じゃないことにすればいいんじゃないかなあ、とは思うけど。 テクニカルには色々解決しないとならないだろうけど、 MedicareとかSocial securityはTaxとして徴収してるんだから、 結局はどこにどう線を引くかって話のような。
ただ、こういう場面でいつも顔を出す、連邦政府への一種の不信感というのは興味深い。
"If we uphold this, are there any limits" on the power of the federal government? he asked.
政府が(必要以上の)力を持つことは悪いことである、というのは共通意識なんだな。 USの場合は連邦政府に力を持たせることを州政府が好まない、という関係が大きいんだろうけど。
州レベルでの皆保険の導入は既に進んでるし、それは憲法違反という話にはならないようだ。 その州が気に入らなければ他の州に住めば良いでしょ、ということなのかもしれない。 これに対し、連邦政府が強制した場合は、嫌なら国民やめろとは言えない、って理屈かなあ。
連邦政府に何も期待していないってわけじゃなくて、外交などの場面では強気に出ることが 望まれてるようだから、外向けには積極的に干渉し、内向きにはなるべく干渉しない、 という役割が期待されてるってことかな。 日本人が日本政府に期待することとはだいぶ違うようだ。
Tag: 生活
2011/06/14
税金ミス
オチはどうってことなかったんだが、記録のために記しておく。
3月の終わりころ、州税局から「税金が足らないよ」という通知がきた。 ちょっとどきどきした。別に後ろ暗いことはないけれど、 (1)間違えていないという自信がない (2)間違えていた場合、高くつくかもしれない、からである。
良く読むと、2010年の申告にこっちが書いた「支払った税額」と、向こうの記録にある「支払われた税額」 が合わないのだという。差額を見ると、年4回に分けて払った予定納税のちょうど1回分だ。 真っ先に考えるのは、郵送した小切手のひとつが郵便事故で行方不明になったってことだ。 が、手元の帳簿を見ると、小切手は4枚ともちゃんと落ちている。 銀行からのステートメントでも確認した。
この時点で考えられるのは:
- 税務署が、納税されたのにうちのアカウントに金額を反映するのを忘れた
- 税務署の誰かがネコババした
- 小切手を手に入れた第三者が勝手に現金化した
個人宛の小切手では3.のような事件がたまに報道される。 宛先人の無条件の裏書があれば第三者が現金化できるので、 ああいうのは裏書を偽造してるんかね。 だが今回、宛先はHawaii State Tax Collectorであって、 その裏書を偽造してどこの馬の骨ともわからん人間が現金化するのは難しそうだ。 まあ1.が一番ありそうな話だが、2.の可能性もゼロではない。
とりあえず、この3月末時点では
「うちはこれこれこの日に小切手を送り、銀行の記録でもすべてクリアされている。
何かの間違いかもしれないから確認してはくれまいか。
また、どの小切手が入金されていないか教えてほしい」
というレターを書いて送っておいた。
その後なしのつぶてだったのだが、今月頭になって
「足りない税金がまだ払われてないよ。利子がつくよ。早く払いたまえ」
という通知が届いた。どうも先のレターは無視されたようだ。
州税局に電話してみるが、さんざん待たされた後
「今ものすご混雑してっからまたかけ直してね。まはろ。」
となって全然つながらない。
これは直談判しかなさそうだ。まず銀行から証拠としてCancelled checkのイメージを取り寄せる。 過去6ヶ月以内にクリアされた小切手はオンラインでイメージが見られるんだけど、 それ以前のは手数料を払って送ってもらわないとならない。
(紛らわしいんだけど、"Cancelled check" は、振り出された小切手が 宛先人によって現金化もしくは預金され、振出人の銀行に戻ってきて承認を受けたもの、 つまり問題なく一巡りして役割を終えた小切手のこと。 一方 "Cancel a check" とcancelを動詞で使うと、振り出した小切手を宛先人が 使う前に支払を差し止めることになる。 つまり、cancelled checkは既に支払われているが、 cancelされたcheckは支払われることがない。どうしてこうなった。)
で、1週間くらいしてイメージが郵送されてきたので、 それと元の通知やレターを揃えて万全の体制で州税局に行ってきた。 散々待たされることも予想して、ノートPCのソースツリーも全部HEADにsync済だぜ。
と、気合を入れて行ったのだけど…
窓口で事情を説明すると、カチャカチャ、と端末をタイプして程なく、
「あーわかった。夫婦のjointで申告してるのに、一回分だけ
singleで申告したアカウントに算入されてたわ。今直したからもうok。」
singleで申告してたのなんてもう10年以上前なんだが…そもそもsingleでの申告と
jointでの申告とリンクしてないのかなあ。
どういうシステムかは良く分からんが、あっけなく済んで拍子抜け。
Tag: 生活
2011/06/11
らむ太とColumbia
らむ太は最近、映画(DVD)で観た話を絵に描いて本にする(といっても ホチキスで綴じるだけだが)のに凝っているのだが、スパイダーマンなどを描いた本の 最初のページに、真ん中に一人だけ人物が立っている画がよく出てくる。
「これはなに?」
「ほらでてくるでしょ。こういう(ポーズを取って)おんなのひとが、ぴかーってひかって。」
ああ、Columbia picturesのロゴね。
ところでこのネタを書くために、あのロゴの人物は誰なんだろう、 とちょいと調べてみたら、「アメリカの擬人化」なんだそうな。
時々プログラミング言語やOSを擬人化してるイラストを見るけど、 国を問わずにそういうネタはあるもんだねえ。Lady Columbiaは19世紀から ポピュラーだったらしいから年季が入ってる。
(追記2011/06/13 05:55:40 UTC): 「ほら、ぴかぴかーってしてせかいがまわるでしょ」っていうのもあった。そっちはUniversal Pictures。
Tag: 生活
2011/06/09
悪者は効率じゃなくて
「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追い付かせてはならない。
スピーチの本題とは関係ないんだけど、 「効率」というのが「人間らしさ」みたいなものと対立して語られることがよくあって、 その度に気になっていた。
確かに、電車の輸送効率を上げると満員電車は息苦しいし、 仕事で効率をあげろと休憩時間を削られれば余裕は無くなるし、 効率効率言ってると人間が疎外されてゆくように思えるかもしれない。
でも、仕事をさくっと切り上げて明るいうちに家に帰って子供と遊ぼう、とか、 あるいは畑の作物がうまく流通できなくて無駄になってるのを何とかすれば 飢える人が減らせるとか、そういうのも効率を上げるってことなんだな。
人間が疎外されるのは、効率の追求そのもののせいじゃなくて、 効率の名のもとに人が手段にされているからじゃないかなあ。 人が目的になっているなら、効率は大いに追求すべきじゃないかなあ。
「効率」っていうのにいやな響きを感じたら、そこで効率から逃げるんじゃなくて、 「その効率は何のためか」を考える必要があるんじゃないか。 効率を避けようとしちゃうと、ほんとうの悪者、 人を手段にしようとしている何か、そこから目を逸らすことになりはしないか。
エンデの『モモ』では、人々が時間を節約しよう節約しようときりきりして どんどん余裕をなくしてゆき、そうやって切り詰めた時間が灰色の男たちに 盗まれちゃうわけだけど。じゃあ時間を節約するのは良くないね、 もっと余裕を持たなくちゃね、ってことではないわけだ。 豊かな時間を過ごすための余裕っていうのは、 無駄を節約する色々な工夫の上に成り立っている。 昔は、一日中働きづめでようやく喰ってゆけるだけの量しか生産できなかったんだから、 余裕なんて無かったわけだ。 『モモ』のポイントは「時間泥棒に時間を盗ませるな」ってとこで、 自分で贅沢に使うための時間をひねり出そうと色々工夫することは何も問題ない。 目的を忘れちゃだめだってことだ。
(追記 2011/06/11 07:54:55 UTC): スピーチ全文: http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html
このスピーチを受けて「効率」の点に突っ込んでる感想は結構あるようだ。 このスピーチそのものについては、作家の使命と決意を述べるところが主題であって、 その限りにおいては良いかなと思った。 物語の具体例として「効率」を持ち出したのが筋が悪いんじゃないかってだけで。
筋の悪さという点では、「被爆国だから核を拒否すべきだった」という物語も 情に訴えすぎていて(論理を10段くらいすっ飛ばしてて)あんまり良くないと思うけど、 個人の信念としてそこから出発することは誰にも文句はつけられない。
でも、過ちを繰り返さないための信念として 「核の拒否」を芯にするのは弱いと思う。 大きな過ちを防ぐには、小さな過ちを繰り返してそこから学べる環境が必要だ。 「ほんのわずかな失敗も許されないプロジェクト」は、その点で、 最初からほぼ失敗が運命づけられている。 原発は「失敗した時のダウンサイドがでかすぎ、そのために(人を説得するには)無謬神話に頼らざるを得ない」という点で、極めて「筋の悪い」技術だ、 というのが、今のところ私の中では最も有力な脱原発の論理。 もちろん、そのダウンサイドがいかに大きいか、という点を説得するのに、 原爆体験は重要だ。けれど論理をすっ飛ばして核=核の連想で拒否してたんじゃ、 別の過ちを踏んでしまいそうな危うさがある。新しい技術はどんどん出てくるよ。 その時何を以って判断するの? 核エネルギーでなければいいの?
Tag: 生活

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