Island Life

2015/09/25

小学校ではこうやって議論のやり方を教えるのか

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右上の "`I wonder ...' bottle" に疑問や不思議に思ったことを書いて入れておく。 教師がひとつ選んで皆でディスカッション。 並べてあるのは発言のガイドライン/テンプレート

  • What do you mean by...
  • True? Is it factual? How do we find out?
  • Reasons; support your opinion
  • Examples; Evidence; to support a claim
  • Counter-examples; check the truth of a broad statement
  • Assumptions - make them known when they underlie discussion
  • Inferences: "If ... then"; Implications

Tag: 生活

2015/09/24

型と自由

Michael Chekhovの演技テクニックを学ぶワークショップに参加した。 (Michael Chekhovは劇作家のアントン・チェーホフの甥)。 なおチェーホフは英語ではチェーコフ。 「チェーホフの」だと英語ではチェコヴィアン。 チェコヴィアン・テクニック、なんかかっこいいぞ。

Chekhovian techniqueとして有名なのは psychological gestureで、それについては聞き齧りというか読み齧りで 芝居の時に自己流で応用しようとしたこともあったんだけど、 習ってみると思ってたのよりずっと具体的な話だった。

基本的には動きから入るテクニックで、 動きによって生じる内面の変化を発見してゆくんだけど、 掴みどころのない「動き」をあるレイヤでざっくりと分類しちゃう。 例えば「動きの質(quality of movements)には4種類ある。flowing, molding, flying, radiatingだ。ではそれぞれやってみよう。」ってな具合。 あるいは、「動きの中心は3つある」とか。

可能な動きなんていくらでもあるのにその4つの質だけに注目するんでいいのか、 とか思うわけだけど、実際にやってみて、さらにそれを他のレイヤと組み合わせて 応用してゆくと、なるほど、と思えた。

動きのある一面に名前をつけてそれに集中する訓練をしておくと、 いつでも名前によってその動きおよびそれにまつわる身体状態を呼び出すことができる。 動きの道具箱を揃える感じだ。それぞれの道具がきちんと身につけば、 今度は道具の組み合わせを自分で制御することにより、いくらでもバリエーションを作り出せる。

そこをすっ飛ばして感覚だけでやっていると、ある時うまくいったとしても それをいつでも再現できるとは限らない。なぜうまくいったのかの分析もできない。 名前をつけて分類してしまうことは、一見他の可能性を切り捨てて 制約をきつくするようだけれど、 むしろそれが自由に表現するための基礎となる。 空間を基底ベクトルに分解したらそれによって全空間が表せる、というようなものか。

psychological gestureにしても、既に種類が決まっていて、 コーチによっては具体的な動きのパターンさえ決まっているのだそうだ。 今回の講師の流儀では動き自体は各自のイメージでokだったが、 「全く同じ動きをいつでも再現できること」が重視された。

これは、武道の型にも似てるかもしれないと感じた。 再現可能な道具を身につけること、 それと、決まった型を繰り返すことにより、動きの周辺の情報に気づくことができるということ。

  • Centers
    • Thoughts, Emotion, Will
  • Quality of movements
    • Flowing, Molding, Flying, Radiating
  • Feels
    • of Form, of Ease, of Whole, of Beauty
    • form has beginning, action, and end. important to sustain after action. do not lose ease.
  • "Three sisters"
    • Flying, Falling, Balance - a character is always in either one of these states.
  • Psychological Gestures
    • Open, Close, Push, Pull, Lift, Smash, Tear, Penetrate, Embrace, Wring, Throw
    • polarity

Tags: 芝居, Chekhov

2015/09/08

昨日のエントリにResourcefulnessとタイトルをつけたのは現場での具体的な例が頭にあったからだけど、エントリが長くなるので結局書かなかった。ので補足として書いておこう。

"Under the Blood-Red Sun" の漁船のシーンは、当時と同じ型の漁船(サンパン)を持っている人から船を借り受けて、カネオヘの小さな船着き場に接岸して1日かけて撮影する予定だった。

ところが漁船のエンジンが壊れて予定どおりに持ってこれない。とりあえず岸で撮れる部分はまとめて取ったが後はただひたすら、いつ来るともしれない船待ち。LAから呼んでる役者もいて撮影日程は動かせない。

結局別のボートで引っ張って来たんだけど、着いたのは午後もかなり回ってからで、潮が変わっちゃってて接岸できない。そんで、出演してる役者4人、監督、撮影監督だけがジェットスキーで沖合いに錨を下ろした船に渡り、撮影することになった。ものすごい狭い船上でカメラの位置も構図も限られるうえ、日没が迫っていて試行錯誤の余裕もない。音はワイヤレスのピンマイクの電波を岸で拾うだけでブームは使えない。当初の撮影プランをスクラップして現場合わせである。

この待ち時間、監督のTimは泰然と構えてて不安などおくびにも出さず、いざ撮影となればアイディアを次々と出しててきぱき人を動かす。もしかすると内心は大嵐だったのかもしれないけど、外面が落ち着いてたらみんな「きっと秘策があるに違いない。自分はやれる準備を全部やって備えておこう」って思うでしょう。一種のテクニックなのかもしれないけれど、それにしてもたいしたものだなあと思った。

そんな悪条件で撮ったにもかかわらず、出来上がったシーンからはそんなトラブルは窺えない (ちなみに船上のシーン中に実は岸で撮ったショットがあるんだけど、多分知らないで観てたら気づかないと思う。)

Tag: 芝居

2015/09/07

Resourcefulness

http://business.nikkeibp.co.jp/atclcmp/15/072800004/082100002/?P=2

宮本:きつく言うことはありますが、感情にまかせて怒鳴ったり怒ったりはしません。そもそも、それでは通用しないんですよ。米国のブロードウェイでもロンドンのウエスト・エンドでもそうですけれど、感情的になってしまうと、みるみるうちに役者やスタッフが完全に距離を取りはじめるんです。「ああ、かわいそうな演出家だな。自分をコントロールできないんだ」「未熟な舞台演出だな」と言われる。芝居が成り立たない。それに、そんなことをしたら「あいつはコミュニケーションをうまく取れない演出家らしい」という噂がブロードウェイ中を駆け巡って、二度と声を掛けてもらえなくなってしまう。だから、一流の演出家は決して怒鳴ったりしないですよ。

これまで何人もの監督、演出、プロデューサと仕事させてもらったけど、 皆さんプロだなあと思うのは、どんな困難な状況になってもupsetしないこと。 思うように進まなかったり予定外のハプニングがあったりしても、 怒ったりイラついたり取り乱すことがない。 どうやったらその時点での手持ちの材料で最良の結果が得られるかに集中している。

もしかするとプライベートな場では不満を爆発させてたりするのかもしれないけど、 現場ではそういうのは一切出さない。 実際、怒って良いものができるなら怒ることも辞さないんだろうけど、 大抵の現場はそうはならないからなあ。

ドラマやマンガで怒鳴ったりイラつく監督が出てくると、まあもしかするとそういう現場も どこかにはあるのかもしれないけど、むしろ素人っぽい印象を受ける。 淡々とやってたらドラマにならないから ああいうのはお約束として受け入れるものなんだろうけど。 もっとも、「怒らない」ことと「厳しい/妥協しない」ことは直交するんで、 厳しいという設定を怒ることでしか表現できないとすればそれはあまり上手くない表現だろうなとは思う。

そんで、これは役者の立場からはある意味怖い面もある。 ダメな演技をしてても怒られないから。 監督としては手持ちのカードでベストな結果を得ることを 考えてるから、そのカードのうちの一枚がめっちゃ使えないカードであっても、 使えないなりにどうやったら少しでも活かせるかってことだけが問題。 結局のところそのカードをオーディションで選んだのは監督の責任でもあるわけで。 怒られることなく淡々と進んで、でも将来使ってもらえなくなる、それだけ。

自分が作品に対してきちんと貢献できてるか、どうやったら良くなるかを 自分の責任で考えるしかない。 「出来ないことを出来るように鍛えてもらおう」って姿勢じゃなくて、 「出来る状態で持っていくのが前提で、現場ではそれを良くして行くだけ」って覚悟が要る。

(日本の「ダメ出し」って用語もちょっと誤解を招きやすい語感かもなあ。 こっちでは単に "notes" という。)

Tag: 芝居

2015/09/06

Schemeから可変長引数を引き算したら

https://twitter.com/___yuni/status/640394172407656448

@___yuni: 割りと前から言ってる気がするけどschemeから可変長引数削除したらいろんなことがめっちゃ綺麗になるから削除したい…

Alice: 賛成さんせー。プログラムをメタに扱うときに可変長引数があると色々面倒なのよね。

Bob: うーん、そうしたら不定長コンテナのコンストラクタはどうなるのさ。 (list 1 2 3) とか (vector 1 2 3 4) って書けるのは listvectorが可変長引数を取れるからだよね。

Alice: そんなの '(1 2 3) とか '#(1 2 3 4) でいいじゃない。

Bob: いやクオートしたら全体がリテラルになっちゃうよ。中で変数展開したいとき どうするのさ。(list x (+ x 1))'(x (+ x 1)) じゃ 意味が違うでしょう。

Alice: ふっふっふ。私たちにはquasiquoteがあるのよ。中で展開したければこう書けるわ。

(define x 10)

`(,x ,(+ x 1))  => (10 11)
`#(,x ,(+ x 1)) => #(10 11)

Bob: 不定長なのはリストとベクタだけじゃないよ。u8vectorとかどうするのさ。 `#u8(,x ,(+ x 1)) とは書けないんだよ。だってそれはリーダの定義により (quasiquote #u8((unquote x) (unquote (+ x 1)))) と等価だけど、 リテラル #u8 の要素には数値しかありえないんだから。readの時点で エラーになっちゃう。

Alice: そもそもリテラルとコンストラクタを分ける意味ってあるのかしら。 #u8(1 2 3) ならリテラルデータだし、 #u8(x (+ x 11)) なら実行時に計算してu8vectorを返す式ってことにできないかな。 いやxが定数だってコンパイル時に分かるんなら計算してリテラルにしちゃっても良いんだけど。 つまりプログラマがわざわざ意識して使い分ける必要なくない? それで良いなら、 リスト以外についてはコンストラクタをどうするかって悩む必要ないわよね。 リストについてはquasiquoteで解決と。

Bob: それは綺麗な設計だけど、Schemeのようにmutableなデータがある場合は うまくいかないよ。'#(1 2 3) は変更不可なリテラルだけど (vector 1 2 3) は後でvector-set!されるかもしれない。 この二つを区別できる必要がある。

Alice: だめか… 仕切り直して、不定長コンストラクタ用の専用構文をひとつ 作るってのはどう? 例えばHaskellみたいに[1 2 3] がリストコンストラクタなの。 (let1 x 10 [x (+ x 1)]) => (10 11) って するわけよ。リストさえ構築できれば、他のデータ型はコンストラクタがリストを取るように すればいいだけよね。こんなふうに。

(->vector [1 2 3]) => #(1 2 3)
(->u8vector [1 2 3]) => #u8(1 2 3)

Bob: その場合、'[x (+ x 1)] は何になるんだよ。

Alice: クオートされてるんだから [x (+ x 1)] でしょう?

Bob: いやREPLに打ち込んだら確かにそう返ってくるかもしれないけどさ、 その[...]って、具体的にはどういうオブジェクトなのさ。リストじゃないよね。 (list? '[x (+ x 1)] => #t にしちゃったら (list? '(x (+ x 1)) と区別できないし。

Alice: うーん…

Bob: それに、プログラム的に[...]になるような構造を生成したい時は どうする? 例えばリスト(a b c d)を受け取って [(a b) (c d)]というプログラム片を生成したい、とかさ。 マクロ書く時にこういうこと良くあるよね。

Alice: そうねえ、そもそも [...](...) と二種類あるのが 良くないんだとしたら? もういっそのこと [...]をリストってことにしちゃいましょうよ。

(car [1 2 3]) => 1
(cdr [1 2 3]) => [2 3]
(cons 1 [2 3]) => [1 2 3]

ほら、なんか良さげ。 []の中は評価されるけど全体をクオートすればリストリテラルってことにもできる。

(define x 10)
[x (+ x 1) 'x]  => [10 11 x]
'[x (+ x 1) 'x] => [x (+ x 1) 'x]

Bob: えーと、それじゃ '(car [1 2 3])は何になるの? [1 2 3]をリストにしたなら、'(car ...) はリストじゃないよね。じゃあ何?

Alice: ぐぬぬ。じゃ、じゃあ(...)はリストのままでいいわ。 [...]をベクタってことにしましょう。さっきと逆に、リストのコンストラクタが ベクタを取ることにするの。

(vector? [1 2 3])  => #t
(->list [1 2 3]) => (1 2 3)
(->u8vector [1 2 3]) => #u8(1 2 3)

Bob: まあ機能しなくはないけど、不定長リストの構築にいちいち(->list [...])って 書かなきゃいけない、ってのはなんだか面倒だねえ。REPLでmapを試すのにもいちいち こう書くってことだろう。

(map (^a (+ a 1)) (->list [1 2 3]))

Alice: mapがベクタも取れるようにすればいいわ。 ベクタだけじゃなくて不定長のコンテナはぜんぶ統一して使えるようにすれば。 そういうコンテナの最初の要素を取るfirstと残りの要素のコンテナを返す restをオーバーロードしておけば後はそれで全部書けるでしょう。

Bob: そういう言語知ってるよ。Clojureっていうんだ。


Claude: (まあそのClojureでさえ)(不定長引数は捨ててないけれどね)

(Lisp系言語は(同図象性によって)プログラムはメタレベルでデータとなる)(それは(本質的に)不定長のリストだ)(プログラムの構築を(メタレベルの)プログラムで行おうとすると、不定長リストの構築は避けて通れない。)

(回避方法は色々考えられるけど、どこかで辻褄合わせが必要になるんだよね)

Tags: Programming, Scheme

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