2015/05/21
Residual顛末
Residualと聞くと工学系出身者としては留数Residueを連想するのだけれど、役者業界では出演作品の二次使用料を指す。「残り」という意味だから、最初にもらう出演料はあくまで初回分だよ、ってニュアンスなんだろうか。今までResidualが発生するようなメインストリームの役をやったことが無かったので縁遠いものと思っていたが、実は一昨年のHawaii Five-0の出演はResidualの対象であった。
実は、というのは誰かが「Residualあるよ」って教えてくれるわけじゃないんで、あれっと思ったのは先月、2014年分の税金申告の書類をかき集めてた時。CBS Televisonから身に覚えのないW-2(源泉徴収票みたいなもの)が送られて来てて、でも2014年にCBSの仕事してないし、チェックも送られて来てない。翌朝に会計士さんと会って申告書作る手はずになってたので困った。いや、届いた時点でちゃんと確認しろってことなんだけどね。とりあえずエージェントに尋ねてみたら、それはResidualだろうと。概念としてResidualは知ってたけど金額が初回出演分より多いので何かの手違いかと思ったのだが(この時点で税引き前$2900ちょい)、エージェントの言うにはそういうものらしい。そんでもってチェックが届かないというのもよくあることらしい。いいんですかそんなんで。
ともかくCBSからは支払われて源泉徴収もされてるとしたら申告書に入れないわけにはいかない。支払いを担当しているEntertainment Partnersという会社に朝イチで電話を入れ事情を説明すると「ふーむ、昨年は貴方宛に10枚小切手が発行されてるわね。」あの、一枚も届いてないんですけど。「それじゃ、まずDetailed Earnings Reportを請求してちょうだい。そこにチェックの番号が記されてるから、次に届いてないチェックのキャンセル&再発行手続きをして。」こともなげに言う。
支払われていることは確認できたので2014年分の申告に該当のW-2を含めて、税引き後の金額は帳簿上はAccounts Receivable(売掛金)としておく。さてここから回収に動かなければならない。
まずDetailed Earnings Reportを請求。これは「W-2に記されたresidualsのチェックが届きません」というFAQになってるくらいだからほんとうによくあることなのだろう。
程なくpdfファイルが届く。確かに10枚チェックが切られていることになっている。全く届いてないので、全てのチェックIDをリストして、cancel & reissue requestを送る。
しばらくしたらEntertainment Partnersから電話が。「これらのチェックは全て現金化されてますね。」は? 「チェックはSAG-AFTRAに送られたのでそちらに問い合わせてもらえますか。」なぜSAG-AFTRAに (私はまだ組合員になってない)、とは思ったが、契約が組合基準だったから既定の処理としてそういうことになってるのか。
で、次はSAG-AFTRAである。まずResiduals Departmentに電話。「ああ、貴方宛のチェックは届いてますね。送り先がわからないので信託(trust)に入っているんだと思います。Trust Departmentにつなぎますね。」……「Trust Departmentです。あなたの口座には確かに残高があります。ですが連絡先がわからないのでそのままになっています。所定の手続きで連絡先を登録してください。」
連絡先の登録はフォームに記入した上、本人確認のためにIDのコピーと署名を送らないとならない。チェックの宛先をエージェントにして郵便で送付。
ここでまた何日か経過。SAG-AFTRAから電話。「エージェントをチェックの宛先にする場合は別の書類が必要になっているので、その手続きをするか、もしくは宛先も本人にしてください。」ぐわぁ。もう面倒になったので本人宛にしてもらう。今度はフォームのスキャンをemailで送るだけで済んだ。
そこからさらに数週間経過して、ようやくチェックが届いたので、記録のために経緯を記しておく次第。明細を見てみると、プライムタイムでの再放送料が大きくて、1回につき初回出演料の半分くらい。それから海外放送料というのが数十ドル単位だけど積もり積もってトータルで数百ドルになってる。インターネットでのストリーミング、ケーブル、PPV、DVDは全部合わせても数十ドル。これは視聴者からのペイを分配するからほとんど回ってこない、のかもしれない。しかし、ということは番組の多くがネットになると収入構造も大きく変わってくるのかもしれない。Netflix製作の番組とかだとResidualはどのくらいになるんだろうな。出てみたいものである。
なお各段階において電話口の担当者は非常に協力的で、emailによるフォローアップも速かった。それとシステム全体の効率とはあまり関係が無いようだ。こちらから連絡しなかったら信託にどんどんたまっていくだけになるがどうするつもりだったんだろうとも思うが、考えてみれば「必要なら本人が連絡してくるだろう」という仮定は間違いではないし、税務申告は基本的に誰もがするのだから、どっかで処理が止まってても申告時にW-2と照合すれば必ず本人が気づくシステムにはなっている。本人の回収努力まで計算に入れればシステム全体として動くようになっている、ということか。
2015/05/12
指数表記
続けてkbkさんのところからネタをもらうけど
http://www.kt.rim.or.jp/~kbk/zakkicho/15/zakkicho1505b.html#D20150512-6
difference - 言語比較 > 10のべき数を表す記号 > D / E / *10^ - Qiita
D って FORTRAN 以外でも使ってた?
Common LispとSchemeにはDとEだけじゃなくてFもLもSもあるぞ。
1.0E1 ; デフォルトの精度 1.0D1 ; 倍精度 (double-float) 1.0F1 ; 単精度 (single-float) 1.0L1 ; 長精度 (long-float) 1.0S1 ; 短精度 (short-float)
で、ちょっと落とし穴なのは、Common Lispの場合 eで使われるデフォルトの初期値が単精度なんだよね。 メモリが少なかったり倍精度演算が遅かったりした時代の名残りかもしれないけど、 倍精度で計算してるつもりで定数をeで書いといたらそこだけ単精度に丸められて微妙に誤差が、 みたいなことが。 (Schemeはデフォルトの精度は決められていない。Gaucheでは全てdouble floatにする。)
なので倍精度を確実にしたいならdを使うのが良い。
ところでCLのshort floatは仮数部13bit以上、指数部5bit以上と決められているので 画像フォーマットで使われるhalf float (仮数部11bit)だと微妙に足りない。 single floatとは別にshort floatを実装してた処理系ってあったのかなあ。 36bit/wordのマシンだと1wordに2つのshort floatが入るから、 そういうアーキテクチャで使われてたのかも。
Tags: CommonLisp, Scheme, Programming
2015/05/11
ここにごみを捨てないでください
とある場所で、「ここにゴミを捨てないでください」ってのに英文が併記してあって 「Please do not throw away garbage here」とかあったんだけど (ちょっと記憶があやふや)、 それ、「please」はつけない方がいいんじゃなかろか。
「ゴミを捨てないでください」でよく見るのは "Do not litter" とか "No litter[ing]"。道端とか芝生にポイ捨てするなとか、 建物のわきや空き地ににゴミを出して欲しくない場合とかに使える。 Pleaseはつけても別に不自然じゃない。
ただしlitterは「散らかす」なんで、ゴミ箱が設置されてる場合はno litterは「そのへんにポイ捨てしないでゴミ箱に入れてね」になる。 だから、ゴミ箱に見える容器があるけどそこはゴミ箱じゃないからゴミを捨ててほしくない、っていうシチュエーションだとno litterは使えない。その場合はdon't throw trash in this can みたいな言い方になるような気がする。
"throw away garbage" も通じるし間違いじゃないと思うけど、どっちかというと誰かがゴミを持ってるのを見て(あるいは思い浮かべて)、捨てる人と捨てられる物との関係を考えている時に使われる感じ。throw awayの類語句にget rid ofとかabandonがあるように、言いたいのは関係性が切れるってことの方で、捨てられる場所は二の次というか。 実際に投げ捨てる動作を思い浮かべて使う場合もあるけど。
Tag: 英語
2015/04/27
バックの話、あるいは信じること
(訳注: これは、演技コーチ・演出家のScott Rogers氏による 記事を、 氏の許可を得て翻訳したものである。 Scott Rogers氏はハワイとオレゴンで Scott Rogers Studiosを主宰し演技を教えるほか、 映画・TV撮影のオンセットでの演技コーチ、また時に地域の劇場で演出をしている。 本ブログの記事はCC-BYライセンスだが、翻訳部分についてはCC-BY-NC-NDとする。)
注意: 本記事は私のいつもの「演技のヒント」記事とはかなり毛色が違うものだ。 でも良いんだ。この記事には演技の深い真実が含まれているし、 私にとって個人的にも特別なものだから。あなたがどう思ったか聞かせてほしい。 また、良いと思ったらぜひシェアしてほしい。
ジョージ・『バック』・アシュフォードが私の演技のクラスに来たのは、2002年頃だった。 彼は当時、65くらいだったと思う。単なる推測だが。 彼はそれまで演技の経験はなく、演技を教わるのも生まれて初めてだった。 彼の本職は弁護士で、ホノルルで自分の事務所を構えて大いに成功していた。 彼と会っていて、思わず微笑んでしまったのを覚えている。彼が私に微笑んでいたからか、 それとも、彼の目の奥に、わんぱくな妖精のようないたずらっぽい光が見えたからかもしれない。 彼は、役者として映画に出てみたいんだと言った。
今になって演技を始めようと思ったのはどうしてだい、私は聞いた。 「本当のことを知りたい?」 「もちろん」 そこで彼は、肺癌を患っており、医者から余命4〜5年と言われたからだ、と教えてくれた。
何だって?
彼は健康そのものに見えたし、人生を本当に楽しんでいるようだったから。 もし私が医者にそんなふうに言われたら、世をはかなんで3年くらい無駄にしそうだ。
でもバックはそうじゃなかった。
どうして私のところに来たのか、聞いてみた。 彼は、医者からその診断を聞いてすぐに、人生で今までやりたかったけどやってこなかった ことのリストを作ったんだそうだ。そしてそれを順番にやり始めた。 項目の一つが、映画に出演するということだった。 そこで演技のコーチを探して私に行き当たったというのだ。 ちなみにこれは、映画『最高の人生の見つけ方』より数年前の話である。
バックが私の生徒だった8年近くの間、私は彼が「死刑宣告」について誰かに話したということを 聞いたことがない。私自身、彼がそれについて愚痴るのを一度も聞かなかった。
彼はこれまでに2〜3の舞台と、ひとつかふたつの短篇映画に出演した。
彼は演技のクラスではいつも私に議論を挑んできた。といっても彼自身の演技についてではない。 いつでも、他の人の演技について、私が否定的過ぎる、自分はあの演技はとても良かったと思う、 といった調子だった。彼は耳が遠くて、すぐに出血してしまう体質だったのだけれど、 身体を使うエクササイズではいつでも真っ先に参加して、誰よりも熱心だった。 彼は時々、おそろしく長い話をして、でも辛抱して最後まで聞いていれば大笑いさせてくれた。 芝居の後に盛大な打ち上げパーティをやってくれた。 私は毎日自分の生徒から学んでいるけれど、彼ほどに色々なことを教えてくれた生徒はいない。
だから何かって? 何でこんな話をしてるんだって? 演技に関係あるのかって?
うん、確かにあまり関係ないかもしれない。
でも、私は正直に言って、バックが法律ではなく演技の道を最初から志していたら 成功してたと思う。それも大成功。私は、彼に演技の技巧を教えそれを磨くのを助けたけれど、 彼はその前から、役にどっぷり浸かることができるという子供のような貴重な能力を持っていた。 想像上の状況をある程度まで信じるということ、 あるいはサンフォード・マイズナーの言葉を借りれば、 「与えられた仮想的な状況の元で誠実に生きる」ということだ。 彼はまた、65歳を越えていながら、他人の目を一切気にせず (役者には重要な素質だ)、 そして20代30代の生徒よりも台詞を覚えるのが速かった。
私のコーチングの経験では、ほとんどの役者は想像することに十分に重きを置かず、 台詞を覚えることに必要以上に気をとられすぎる。 演技における想像の重要性を示すために、彼が来て間もない頃の 演技クラスでの批評の様子を紹介しよう。
(注意をひとつ。バックは時々強い言葉を使うので、そういう言葉が(私は「率直な発言」と呼ぶが) 不快な方はここで読むのをやめて欲しい。彼の言葉を勝手に変える権利は私にはない。)
バックによる『招かれざる客』からのモノローグ
スコット: いいね。ダメ出しがひとつだけある。ただ、これは多くのことに影響を与えると思う。 まず、君の目的はなんだい。それを5語以下にまとめて言ってほしい。
バック: (少し考えて) やつらはクソッタレだ。俺は違う。
スコット:なるほどね、確かにそうかもしれない。でもそれは2つの事実であって、目的じゃない。 君は何が欲しいんだ、それが知りたい。それも、できれば君が話している相手に何を求めているか、 ということだ。
バック: 子供が結婚してからも、敬意を持って扱って欲しい。俺はそんな燃えカスじゃない。
スコット:よし。じゃあ3語でまとめると、「私は敬意が欲しい」
バック:そうだ。
スコット:じゃあ、それを得る障害になってるのは何だい? 何が邪魔している?
バック: やつらがクソだから。
スコット: じゃあ、彼らが君に敬意を払わない時に、どんな感じがする?
バック: クソにまみれた感じ。
スコット: 感情を聞いている。
バック:強い怒り。
スコット:そう、その通りだ。だけど君はシーン中で実際に強い怒りを感じてはいなかった、そうだね。 (彼は少し考え、微笑んでおずおずと首を振った。まるでクッキー瓶に手を突っ込んでいるところを 見つかった子供みたいに。) 感じていたらもっとずっとやりやすかったと思うよ。 心底、敬意を望んでいるのに、人々は君を軽んじる。そしたら何か感じるだろう。 この場合は強い怒りだ。目的を明確に、簡潔に言うことができないと、 シーンの中で君を突き動かすものを求めるのが難しくなるんだ。 君のやったシーンに唯一欠けていたものが、その突き動かす力だ。 でも次に見る時はきっとそれがあるだろう。
(クラスの参加者に向かって)モノローグの真ん中あたりで、彼が台詞を間違えたのに 気づいた人はいるかな。かなり大きな間違いだったんだけれど、彼はずっと話し続けたから、 どこで間違えたか言い当てるのは簡単じゃなかったと思う。 私はいつでも眼を見てるんだ。何か予想しないことが起きた時、まず眼に出るからね。 でもバックの眼にはそれが現れなかった。彼の演じているキャラクタ自身が、 次に何を言うべきか迷っている、そういうふうにしか見えなかった。 これが出来るようになるのに何年もかかる役者もいる。バックは自然に出来ちゃったけれどね。 でもこれが目指すべき目標だ。キャラクタとして反応し、シーンの中に留まる。 よくやった。バック。
後記
2007年、バックはポルトガルで小型船を購入し、ハワイまでの航海を始めた (「死ぬまでにやることリスト」の項目のひとつだ)。 しかしカナリア諸島近辺で転倒し怪我をした(容易に出血する体質だったと書いただろう。) なんとかアンティグアまで航海を続け、そこからフロリダの病院に運ばれた。 でも彼はそんなことでくじける男じゃなかった。ハワイ島で船に再会すると、 そこからホノルルまで航海してきた。
2010年にバックは亡くなった。医者から言われた余命の2倍近くを生きたことになる。 その間、彼は毎日仕事していたし、隔週くらいで私をランチに誘ってくれた。 亡くなる2日前に病院から電話してくれた時は、次はタヒチへの旅行を計画してるんだと話してくれた。
誰もが死ぬ。でも誰もが生きるわけじゃない。
バック・アシュフォードは生きた。
翻訳はここまで。
この記事は「演技のヒント」についてのブログの一部ということをもう一度強調しておく。 単なる「いい話」ではなく、もう少し具体的な話なのだ。つまり、人はいくつになっても 役者になれるってこと。
昨日まで、"The Waipahu Project" という舞台に出てたんだけど、最高齢のキャストは 89歳。車椅子での出演だった。
2015/04/05
著作隣接権と契約
なるほど、こういう事情もあるのか。
アメリカという国は、さまざまな点で世界をリードする先進国であるにもかかわらず、こと著作権に関してはものの考え方が極端に遅れています。「著作隣接権」に関しては法規定はおろか概念すらなく、法整備によって実演家を保護しようなどとの考え方は存在しません。
では、俳優や音楽家などが映画に出演した際に二次使用料を払って欲しいと考えた場合にはどうするのでしょうか。
実演家は労働組合に結集してストライキ権を背景に要求を勝ち取るという形態をとっているのです。
ただ、著作隣接権が法的に保証されたとしても、 結局利用料や利用条件は別途契約で定めることになると思うんだけどそのへんどうなのかな。 例えば実演契約の時に「買い切り」の契約にサインしちゃったら、 いくら隣接権があっても二次使用料は入らないよねえ。 もらわない、ってことに合意したわけだから。 後から隣接権を盾に契約変更を要求できるとなったら何のための契約だってことになるし。 (まあ、あまりに隣接権をないがしろにするような契約は裁判になれば後から ひっくり返せるのかもしれないけど。)
で、結局契約が必要ならやっぱり組合作ってプレッシャーかけないと、 不利な契約にサインさせられて酬われないって状況は変わらないようにも思える。
SAG-AFTRAも実演家の権利の法的保証についてはバックアップしてるようだけど、 Performing Rights Actは音楽の演奏だけの話のように読めるな。 映像作品への出演については法的整備はまだということだろうか。
Tag: 芝居
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